195話 聖女候補と黒髪の聖女
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マルティアの街にも春が訪れ、自由市には行商人とそれを目当てに来た人々で賑わう。長く厳しい冬が終わり、訪れた春は人々の心を浮き立たせる。
喫茶エニシにも柔らかな日が差し込み、クロはソファーで微睡んでいた。
「いいんですか? 頂いてしまっても……」
恵真の手元にあるのは上質そうなハチミツがたっぷりと入った小ぶりの壺がある。他にもドライフルーツやクルミなどが並ぶ。
「いいんだよ。このあいだ、行商人がウチの店に尋ねてきてな。店用に買ったんだ。ちょっとばかし、量が多かったもんでな。お嬢ちゃんにもと思っただけだ」
「おぉ! 奮発したっすねぇ」
「うるせぇ、いいんだよ。お嬢ちゃんには世話になったからな」
紅茶を飲みつつ、どこか素っ気なく話すジョージの姿に、隣に座るアメリアがにやにやと笑う。そんなアメリアを軽くジョージが睨む。
カウンターに置かれたドライフルーツをテオが興味津々に覗き込んだ。
「干したら小さくなっちゃうのに、どうして干すの? だって、そのままでもおいしいよ?」
「もちろん、そのままでも美味しいけどさ。保存しておくにはこうしたほうが長持ちするんだよ」
テオに教えるアッシャーの言葉にジョージが頷く。
「そう、ちっちゃい兄ちゃんの言う通りだな。お貴族様も口にするんだぞ。ほら、お前たちも食ってみな」
そう言うとジョージは袋に入っていたドライフルーツを少量取って、兄弟に手渡す。小さな手のひらに乗ったドライフルーツをおそるおそるテオが口に運ぶ。
「……あ、甘い」
「あぁ、干すことで旨味がぎゅっと凝縮されるんだよ。なかなかうめぇだろ?」
満足げに笑うジョージにアメリアと恵真は顔を見合わせて微笑む。バートもにやりと笑うが、何も言うことなくハチミツ入りの紅茶を口にした。
恵真の世界でも世界各国にあるドライフルーツだが、製法は二種類ある。砂糖漬けにしたものと乾燥させたものだ。ジョージが持って来たのは後者で、恵真にもよく馴染みがある。
もごもごと口を動かすアッシャーとテオに嬉しそうなジョージの姿を見ると、恵真にというのもあるが兄弟に食べさせたかったのだろう。
「そういや、今度花祭りがあるじゃねぇか。お嬢ちゃんの店でもなにか特別な食事をその日は出すのか?」
「花祭り……あぁ、この間バートさんが話していたやつですね。でもあれって教会だけの行事じゃないんですか?」
話題を変えるかのようにジョージが口にした花祭りという言葉に恵真は聞き覚えがあった。花見の話題になったときに、似た祭りとしてバートが挙げたのだ。
「あぁ、今年は新しく聖女様が決まるんだよ。そういう年は大々的に街全体で行うのさ。といっても、貴族のご令嬢が名前だけ聖女役になるだけなんだけどさ。でも、あたしら商売をやってるもんにすりゃ賑わうほうがいいからねぇ」
「噂では奉仕活動に熱心で心根の優しい方、らしいっすよ」
「そりゃ、聖女候補になるためかもしれないよ?」
「残念なことにその可能性もあるんすよねぇ」
アメリアの言葉に同意するようにバートが肩を竦める。
過去の聖女は様々な功績を残しているが、ここ数十年そのような話は聞かない。
貴族令嬢の名誉であり、教会としては貴族からの寄付が集まる理由になる。現在では教会での象徴的存在になっているのだ。
「そもそも聖女様を貴族から選ぶってことがそもそも間違いっすよね。過去の聖女様が全員貴族の出ならわかるっすけど」
「まぁ、聖女様の多くはある特徴があったというからなぁ……」
バートの言葉にジョージがため息交じりで呟く。
皆の視線は自然と恵真へと集まる。
黒髪黒目であることは過去の聖女と一致する。マルティアの街の皆が思い描く聖女の特徴を恵真は持っているのだ。
「でも花祭りは楽しそうですね。良いお天気になるといいですね」
自分とはあまり関係のないことととらえているのだろう。恵真はドライフルーツとハチミツを見ながら言う。
「お前さんも大変だな。しっかり守ってやるんだぞ」
ジョージの言葉に、いつのまにか起きていたクロがみゃうと鳴く。
今日も喫茶エニシには穏やかな時間が流れていた。
*****
「由々しき事態だな……」
冒険者ギルドではギルド長のセドリックが眉間に深い皺を寄せ、二人を見つめる。リアムは険しい表情を浮かべ、オリヴィエは腕と足を組む。
こうして三人が集まったのは花祭りへの対策のためだ。
「聖女を教会が決めるのはいい。聖女といっても高位の貴族令嬢。近年の聖女はその名ばかりのお飾りに過ぎないからな」
「そりゃ、リアムの言う通りだとボクも思うよ。問題は黒髪黒目のあの子の姿を見ている者が余計なことを教会に言うかもしれないってことでしょ?」
そう、リアムがめずらしく苛立つのはそれが理由だ。
黒髪黒目である恵真の姿、そして魔獣を従え、魔道具を扱うことからも高位貴族であることが推察される。そんな存在を教会が知れば、必ず利用するはずだ。
そのため、リアムは恵真に冒険者ギルドに所属させ、後ろ盾を作ったのだ。
「防衛魔法のついたドア、魔獣がいることで安全性は高いが、用心するにこしたことはないからな」
セドリックの言う通り、そもそも悪意や敵意のある者はあのドアを開けることは不可能なのだ。何しろ、幻影魔法もかけられたドアのため、店に辿り着ける時点でその人物に害意がないのは証明される。
「あぁ、新たな聖女が決まってしまえば関心は彼女へと移る。それまでは一層トーノ様の周辺に警戒をしたほうがいいだろう。なるべく俺も足を運ぶようにする。セドリック、ナタリアにもそう声をかけてくれるか」
「そうだな。下手にいつもと違う行動を取れば喫茶エニシに注目が集まる。普段通りの行動の中で、警戒を強めよう」
リアムの言葉にセドリックが同意する。
喫茶エニシに日頃足を運ぶ者達の中で警戒することが最善だ。下手に動くことで恵真の存在により注目が集まっては逆効果なのだ。
「で、今回聖女になるのってどんな子なの?」
「あぁ、エドワーズ侯爵家のメアリー嬢にほぼ決まっているという話であったな。家格で言えば、バイオレット公爵令嬢だがまだ幼い。シャーロット侯爵令嬢は病弱だという噂だったからな。まぁ、彼女になるのが順当だろうな」
ここ数十年の聖女達は皆、高位貴族の令嬢が選定されている。現在の聖女候補はメアリー侯爵令嬢のみ。このまま、彼女が聖女になると考えるのが自然だ。
過去には聖女の座を争い、聖女候補同士、そして家や親族を巻き込んだ権力闘争にもなったことがある。それを考えると今回は平和だ。
特に不満もなく、メアリー侯爵令嬢が聖女となることだろう。
「幸いにもメアリー侯爵令嬢には悪い話は聞かない。彼女が良き聖女になることを期待しよう」
リアムの言葉にセドリックは無言で頷き、オリヴィエは肩を竦める。
窓の外は街を行く人々で活気づく。
やっと訪れた春、新たな聖女の認定と花祭り、人々の心が弾むのも無理はない。
そんな人々を見ながら、リアムの表情にはやはり影が消えないのであった。
その宴席の主役だというのに少女の表情は浮かないものだ。
聖女候補であり、次期聖女となるだろうメアリーは華やいだ会場をそっと抜け出したのだ。
大人達に囲まれては称賛され、同年代の少女からは追従の言葉と嫉妬の視線を注がれる。息苦しさを感じたのは新調したドレスのせいだけではないだろう。
外の空気を吸ってくる、そう言ったのはメアリーは会場の熱気から逃げるためだ。
「私が聖女様になる……本当にそれでいいのかしら」
教会にも幼い頃より通い、慈善活動も行ってはきた。メアリーにとって聖女とは特別で崇高な存在なのだ。それゆえに自分でいいのか、その重責に耐えられるのだろうかと迷いもある。
そんなメアリーの耳に大人達の笑い声が響く。
煙草を吸いに外に出たのだろう。数人の男達がこちらへと歩いてくる。声をかけられたくないメアリーは咄嗟に空き部屋に身を隠す。
「いや、娘が聖女とは……。エドワーズ侯爵は一体、教会にどれだけ寄付を詰んだのでしょうな」
「まぁ、名誉職ですしね。ただの飾りに過ぎませんが、それで権力図が変わることもあり得る。今後はさらに懇意になれるように努めねば」
「まったく聖女様々ですなぁ」
勝手な大人達の言葉にメアリーは込み上げた言葉をぐっと飲み込む。
メアリーの中の聖女とはそのような軽々しいものではないのだ。
数々の経典にその功績が記される聖女達、彼女達の存在はこのスタンテール周辺に大きな影響を与えている。教会だけではない。むしろ、彼女達は市井の人々の生活に寄り添い、彼らの足元を照らすような知恵を授けてきたのだ。
「でも、たしかに最近の聖女様の在り方は彼らの言う通りだわ」
近年の聖女達がなにか功績を残したかと言われるとメアリーも言葉に詰まる。
高位貴族である彼女達が市井の者と言葉を交わすことなどないのだ。自分の理想としていた聖女はもう経典の中にしかいないのだろう。そうメアリーも思う。
「じゃあ、私には何が出来るのかしら」
理想とする聖女、近年の聖女の在り方、そして自分自身に出来ることを考えたメアリーは深いため息を溢すのだった。
G.Wが近付いてきましたね。皆さんはご予定などありますか?
私は皆さんに楽しんで頂けるように、更新分を書き進める予定です。
お仕事の方もいらっしゃいますよね。忙しいかと思いますので、お体に気を付けて。




