194話 森ウサギとギルドの依頼 3
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昼を過ぎた喫茶エニシにリアム、そして冒険者ギルド長のセドリックが訪ねてきた。時間帯のせいか、他に客はいない。
セドリックに誘われて、リアムは同行したのだが、当のセドリックの様子は普段と異なる。なぜかそわそわと落ち着かないセドリックを不思議に思いつつ、リアムは席に着く。
「いらっしゃいませ、ご注文はなににしますか?」
「その……あれはどうなったんだ?」
水の入ったグラスを持って来たアッシャーが、そう尋ねるとセドリックが身を乗り出すようにして言う。
にっと笑ったアッシャーが、キッチンの恵真を見る。それに頷いた恵真は、冷蔵庫の中から金属のボウルを取り出してくる。
「では今から、森ウサギのお肉の新しい調理法をお二人にもお見せしますね」
恵真の言葉にリアムは驚くが、セドリックはどうやら知っていた様子だ。
「森ウサギの調理法が見つかったですか?」
「はい。ナタリアさんにセドリックさんへのお願いをお伝えして頂いて、それで今朝、お肉を持ってきて頂いたんです」
「なるほど、セドリックが落ち着かないわけです」
森ウサギの肉を頼まれたセドリックはナタリアから理由を聞いていたのだろう。
セドリックが落ち着かぬ理由はどうやら森ウサギの調理法が待ち遠しかったためらしい。だが、リアムもまた事情を聞いて、強い関心を抱く。
恵真が考えた新たな調理法では、硬い森ウサギの肉をどう料理するのか、予測がつかないのだ。
「どうぞ、カウンターの方にお座りください。その方が調理が見やすいですから」
そう恵真から声をかけられ、リアムとセドリックはカウンターの席へと移動する。
ボウルに入った肉は何かに漬けられているようだ。それが森ウサギの肉を柔らかくする特別な調味料なのだろうか。
「これね、すっごく大変だったんだよ」
「僕達もエマさんの手伝いを少ししたんです。な、テオ」
胸を張るテオとそれに同意するアッシャー、やはりなにか特別な素材や調理方法なのだろうとリアムとセドリックは視線を交わし、頷く。
「それでは焼いていきますね。柔らかくなるといいんですけど……」
油を引いて熱したフライパンに肉を乗せるとじゅわっと立ち上がる香りは、どこかで嗅いだことのあるものだ。
「入れているのは塩コショウと赤葡萄酒、それに酸味が欲しいのでトルートも入れています」
「あぁ、それで知っている香りがするんですか……」
セドリックの言葉に恵真がくすくすと楽し気に笑う。アッシャーとテオも、いたずらが成功したかのように得意げだ。
「え、なにかおかしなことを言ったか? なぁ、リアム」
「いや……」
セドリックもリアムも三人が笑う理由がわからず、戸惑った様子だ。
「すみません。特別なものは何も使っていないんです」
「え、そうなのですか?」
恵真の言葉にセドリックは首を傾げる。
今まで、硬く食べられてこなかった森ウサギを調理するのだから、なにか特別な食材や調味料と組み合わせるのではないかとセドリックは思ったのだ。
「はい。マルティアで手に入る食材でないと、マルティアの皆さんが調理出来ませんから」
確かに恵真は今までマルティアで広める料理には、安価で入手しやすい食材を使用してきた。今回もまた、それを考慮した調理法を考えだしたらしい。
「では、これには何を使っているんですか?」
セドリックの言葉に恵真はキッチンに置いた木箱から、ある食材を取り出す。
それはリアムもセドリックもよく知る身近な食材だ。
「これ、玉ねぎです。玉ねぎをすり下ろしたものにお肉を漬けて置いたんです」
「……玉ねぎ? そんなもので肉が柔らかくなるんですか?」
「はい。もうそろそろ、お肉が焼けそうなので、お二人とも試食をお願いしますね」
恵真の言う通り、フライパンでは焼けた肉からは食欲をそそる香りが漂う。しかし、その肉は硬い森ウサギの肉なのだ。
複雑な表情でセドリックは皿に取り分けられる森ウサギの肉を見つめるのだった。
赤葡萄酒とトルート、すりおろした玉ねぎがかかった肉は見た目にはとても美味しそうに見える。白い皿に盛られた肉を差し出され、ナイフとフォークを持ったセドリックは緊張の面持ちだ。
喫茶エニシの店主、恵真であればと依頼したセドリックだが、森ウサギを食べるのは久しぶりのことだ。
「……これは」
「リアム⁉ ど、どうなんだ、味は?」
隣のリアムは既に肉を切り、口に運んでいたようだ。
一口食べたリアムの次の言葉をセドリックはじっと待つ。
「旨いな……。森ウサギの肉とは思えない柔らかさだ」
「な……! 本当か⁉」
リアムの言葉に誘われるように、セドリックはナイフで肉を切ろうとする。
すると、スッとナイフが入り、簡単に肉が切れる。
「うわっ……! この瞬間からもう違うな。遠征で森ウサギを食ったこともあるが、どう煮込んでも硬く嚙み切れなかったのに……。本当に玉ねぎだけで、この柔らかさになるのですか?」
驚きで目を瞠るセドリックに恵真は微笑む。
「はい。玉ねぎにはお肉を柔らかくする効果があるんです。まず、お肉を叩いて、それをすり下ろした玉ねぎや調味料と一緒に漬ける。私の国にもある調理法なんです」
祖母の瑠璃子と見たテレビ番組の酢豚に入れるパイナップル、それが恵真にこの発想をもたらした。生のパインの酵素で肉の組織を壊す――これをマルティアでも調理しやすい食材にと、恵真は玉ねぎを選んだ。
日本にはシャリアピンソースという玉ねぎを使ったソースがある。ステーキ肉を柔らかく食べるために作られたこの調理法を恵真は森ウサギに応用したのだ。
しかし、他の肉類よりも森ウサギは硬い。
そのために先に森ウサギの肉を叩き、その上で玉ねぎのすり下ろしに漬けた。より繊維を壊すためであったが、その発想は森ウサギの調理に合っていたらしい。
「玉ねぎですと、他の食材とも相性がいいですし、使いやすいと思うんです。夏になったらトマトや夏野菜、秋にはきのこ、色々調理出来そうですよね。あ、すりおろし器がない人はただ切った玉ねぎでも大丈夫ですよ!」
リアムとセドリックの反応に恵真は相好を崩す。
二人はというと、身近な食材で森ウサギの問題が解決したことにあっけに取られた様子だ。味はもちろん、調理法も簡単で手軽である。誰もが森ウサギを調理することが可能であろう。
「いや、しかしこの森ウサギの調理法は画期的です。冒険者ギルドの依頼者にも冒険者達にも伝えましょう。これが広がれば、皆が助かります。いや、やはりトーノ様に依頼をしてよかった……!」
満足げなセドリックの様子に恵真は安堵する。
どうやら玉ねぎを使った森ウサギの料理は、満足のいく出来栄えに仕上がっていたらしい。
だが、リアムは何か気になることがあるようで、顎の下に手を置いて考え込む。
「テオ、さっきの大変だったとはどういう意味だ?」
恵真から聞いた調理法では特に難しい点はなかったはずだ。
そんなリアムの言葉にテオは少々むっとした表情を浮かべる。
「だって、玉ねぎって目がすっごくしょぼしょぼするでしょ?」
「目がしょぼしょぼ……?」
「うん。だから、ソファーのとこに避難してたんだ」
どうやら玉ねぎをすり下ろす際に、目が染みることがテオにとっては大事件だったらしい。懸命にどれだけ染みるものかを訴えるテオに、リアムは口元が緩む。テオにしてみれば、奮闘したのだろう。しかし、その光景を想像するとどうにも微笑ましくリアムには思えるのだ。
そんな思いは恵真とセドリックも同じだったようで、二人の口元も弧を描く。
「ちゃんと皆にそれも教えてあげてね?」
心配そうにセドリックに言うテオの姿にとうとう皆は白い歯を見せて笑う。
テオだけがその理由がわからず、きょとんとした表情で不思議そうに首を傾げるのだった。
森ウサギの新たな調理法を持ち帰ったセドリックは、それを冒険者や依頼者に伝える。半信半疑だった冒険者達だが、試しに調理した者がその味や柔らかさを伝えたことによって、調理法は広まっていく。
今まで、森ウサギの狩りに難色を示していた者も調理法が見つかったことによって、依頼を引き受けるようになる。
大繁殖した森ウサギの問題もこれで一段落だ。
マルティアに新たに広まっていく森ウサギの調理法は、人々の食生活を豊かにしていくのだった。
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今回も花守様が素敵な表紙と挿絵を手掛けてくださいました。
皆さんの応援で2巻が出せます。いつもありがとうございます。




