193話 森ウサギとギルドの依頼 2
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翌日、アッシャーとテオが喫茶エニシのドアを開けると、なにやら食欲をそそる香りが部屋に満ちている。
すぐ提供できる煮込み料理がメニューには多い。その香りだろうと思う兄弟に恵真がにこやかに声をかけた。
「アッシャー君、テオ君、おはよう」
「エマさん、おはようございます」
「おはよう、エマさん。いい香りがするね。なにか焼いてるの?」
カウンターを覗き込むとフライパンの中で肉がジュウジュウと音を立てている。こんがりと焼き色がついた肉は新たなバゲットサンド用なのだろうか。そう思ったアッシャーだが、キッチンにはすでにバゲットサンドは準備されている。
テオも同じ考えだったようで、不思議そうに恵真を見る。
「これはね、森ウサギなんだ。昨日、セドリックさんがお肉を置いてってくれたから、試しに焼いてみたの」
「え! 森ウサギなんですか! すっごく美味しそうなのに……」
「うん。普通のお肉とあんまり変わらないねぇ」
アッシャーもテオも森ウサギを口にしたことはない。
森ウサギの肉は硬く調理に向かない――長くそう思われてきたため、多くの人々は口にする機会もない。市場に出回らない物を口にすることがないのは当然のことである。
「見た目は鶏のお肉に似てるかもしれないね」
薄切りに削いだ肉は脂質が少なく、鶏肉にもよく似ている。硬いという話であったが、通常の肉となんら変わりなく見えた。
焼いた香りも良く、塩コショウで味付けしただけだが、美味しそうだと恵真は思う。
「じゃあ、まずは試しに私が食べてみるね」
硬いと評判の肉だ。アッシャーとテオより、まず自分から口にしようと恵真は考え、ぱくりと肉を口に運ぶ。
「どう? エマさん? お肉、おいしい?」
「テオ、口にしてるんだからエマさんすぐには喋れないだろ?」
「そっか、じゃあエマさんが食べ終わってから聞こう」
そんな会話を兄弟がしている間も、恵真はもぐもぐと口を動かし続ける。その表情には何の感情も浮かんでいない。嬉しそうでもなく、悲しそうでもなく、ただただ恵真は咀嚼し続ける。
自身の様子を不思議に思った兄弟に、恵真はそっと森ウサギの肉を差し出す。
嬉しそうにフォークでぱくりと口に運んだアッシャーとテオ。しかし、そんな二人の表情も恵真と似たものに変わる。
ただただ、三人はもぐもぐと咀嚼を続ける。
沈黙を破ったのは恵真である。
「……すっごい硬いね、このお肉」
ぽつりと呟いた恵真にアッシャーとテオはこくりと頷く。
筋肉質で脂がないせいか、硬い肉はゴムのようだ。口に含んだ瞬間は肉の旨味が広がるのだが、どんどん肉汁がなくなり、パサついてくる。
すると、さらに肉の硬さが際立ってしまうのだ。
セドリックの言葉も一理あるのだと実感した恵真だが、頭を振って、その考えを吹き飛ばす。
「せっかくのお肉なんだもの。なにか方法があるはずよ。ひき肉にするとか……。あ、でも硬さが気になっちゃうから、合い挽きにする? うーん……」
味は決して悪くはないのだ。問題はこの硬さだ。
「おいおい、どうしたんだ? そんなとこに突っ立って。開店準備はいいのかよ」
「ジョージさん……。実はちょっと困っているんですよね」
恵真が悩み出したところにジョージがやって来る。なにやら木箱を抱え、空いているテーブルにそれをドンと置く。中には野菜がぎっしりと詰まっている。
玉ねぎやじゃがいも、人参など使い勝手の良い野菜ばかりだ。
「春になって摂れたもんばかりだ。まぁ、世話になってるから安くしとくぞ。どうだ?」
「うわぁ、ありがとうございます! お代はギルドを通じてでもいいですか?」
「おう、問題ないぞ。ん、なんだ。肉を焼いてたのか? 朝から豪勢だな」
皿の上にまだ残る肉を見て、ジョージが言うとテオが答える。
「森ウサギのお肉だよ」
「はぁ? 森ウサギ? 食ったのか?」
「うん、でもすごく硬いんだよ」
テオの言葉にジョージは豪快に笑うと、うす茶の髪をわしゃわしゃと撫でる。
「ははは! そうだろ? 俺も昔、食ったことがあるんだが、硬ぇよなぁ!」
「そうなんです。なのでひき肉にしたり、蒸したりすれば違うかなって考えているんですけど……」
「調理法を変えるねぇ……さてはギルドの依頼だな? 今年は森ウサギが大繁殖したからなぁ。冒険者の有志に声をかけるって話もあるが、集まるかどうか」
そう言ったジョージだが、ふと首を傾げ、なにやら考えこむ。
「ん? そういえば昔、じいさんが言ってたな。森ウサギを昔、信仰会で食ったらしいんだが、そのときは信じられないほど柔らかい肉になってたって」
「え、本当ですか⁉」
ジョージの口から出た言葉に恵真は驚く。
森ウサギの肉を柔らかく食べられる調理法はすでにマルティアにあったのだ。
「でもよ、俺のじいちゃんが子どもの頃だからだいぶ昔の話だぞ?」
「信仰会に資料かなにか、残っている可能性もありますから!」
長く続く信仰会であれば、先人の知恵もなにか残っているかもしれない。
森ウサギの肉を柔らかくする調理法が信仰会にあるかもしれない。新たな希望に恵真は期待で胸を膨らませるのだった。
*****
「そういった資料はないね……。あれば信仰会としても非常に助かるんだが……」
信仰会に訪れたリアムはクラークの言葉に軽く頷く。
ジョージの祖父が子どもであった頃の話だ。無理もないとリアムは思う。
森ウサギの良い調理法があれば、信仰会で今も調理されているはずだ。
「年月の間でその調理法が忘れられてしまったものか、そのとき偶然に良い出来栄えになったのかもしれませんね」
「そうだね。でも、余り肉のこともコメやじゃがいも、食の変化は信仰会にも、ここに訪れる人にも良いことなんだ。厳しい冬でも食に困ることがなかったからね。本当にトーノ様と君には感謝しているんだ」
信仰会に訪れる人々には様々な事情がある。
そんな彼らに食事を提供する信仰会だが、教会と違い、貴族の寄付がないため、資金は潤沢とは言い難い。
特に冬は仕事が出来なくなるものが増え、食材の在庫も厳しいことが多いのだ。
だが、昨年の冬は怪我をした冒険者達も、恵真の考えた蓋つきのフライパンの内職で信仰会を頼る必要がなくなった。
恵真と自身への感謝を口にするクラークにリアムは軽く笑みを湛え、首を振る。
「いえ、私はなにも……。ただ、あの方の力になりたいだけで」
「……ありがとう。エヴァンス君」
信仰会を後にするリアムの背中をクラークは見送る。
遠くなっていく広い背中、成長した教え子は頼れる存在となっている。
しかし、先程の彼の言葉はなんとも引っかかる。
自身にまとわりつく子ども達の頭を撫でながら、クラークはふぅとため息を溢した。
「力になりたいか……なんと、もどかしいものなんだろうね。歳をとると世話焼きになるものとは聞いていたが……。まぁ、年寄りが口出しすることではないんだろうね」
「お仕事のお話?」
「いや、それもあるのだけれど……。本当に彼らには感謝しか出来ていないしね」
子ども達の不思議そうな視線に気付いたクラークは微笑む。健やかに彼らが過ごせる日々を作ることが、なによりもリアム達の恩に報いることでもあるのだ。
クラークは子ども達と共に遊びを始める。きゃあきゃあと嬉しそうな声が信仰会に響くことに、去っていくリアムの口元もまた弧を描くのだった。
夜も更け、恵真と瑠璃子はのんびりとお茶を飲みながらテレビを見ている。
流れる番組はこれは自身にとってありかなしかを問う内容で、それぞれの意見の違いがなかなか興味深いのだ。
今週は食べ物を中心にしているようで、シチューをごはんにかけるのはなしかありかなど、食生活の感覚の違いが浮かび上がる。
「酢豚にパイナップルですって。たしかにこれは好みがわかれるところよね。恵真ちゃんはどう?」
「あっても美味しいし、なくても美味しいよね」
「ふふ、恵真ちゃんらしいわ。でも好きか嫌いかはさておき、生のパイナップルじゃなきゃ、効果は得られないわよね」
瑠璃子の言葉に恵真は視線をテレビから彼女へと移す。
恵真が知る酢豚に入っているのは缶詰のパイナップルなのだ。
「あら、知らなかった? ほら、パイナップルの酵素がお肉の組織を壊すのよ。それでお肉が柔らかくなるのよ。昔は生のパイナップルなんか手に入らないから、缶詰になったんでしょうねぇ」
恵真は目を輝かせ、何度も頷く。
先程、瑠璃子にも話していた森ウサギの調理法に、その発想も活かせると恵真は考えたのだ。
「え、でもあっちにパイナップルなんてあるの?」
気温が高い国でなければ、パイナップルは育たないだろう。
恵真から聞くマルティアの印象からは遠い。雪が降る地域ではパイナップルがあるとは到底思えない。他国から輸入しているとしても、それでは価格が高くつく。
森ウサギの新たな調理法を恵真が考えるなら、もう少し庶民の手に届くものにするだろう。
不思議に思う瑠璃子だが、どうやら恵真にはなにか案があるらしい。
恵真の膝の上にいるクロはみゃうと鳴き、撫でるよう催促をする。
いつもと変わらぬ日常に瑠璃子は微笑むのだった。
酢豚にパイナップル、ありかなしか――これも意見が分かれますね。
当時、パイナップルが高価だったからという説もあるそうです。
最近は黒酢を使った物も多いですね。




