190話 伯爵令嬢アナベルの茶会 2
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「女性向けの料理は色々思いつくんですけど……それが貴族のご令嬢にふさわしいかとなると難しいものですね」
今日、喫茶エニシに集まっているのはリリア、ナタリア、ルースにアメリアと女性ばかりである。
そう、三月三日には遅れたが昨年同様、恵真はひな祭りの会を開いたのだ。
ちらし寿司にはまぐりの吸い物、春人参のサラダ、新玉ねぎとベーコンを煮込んだものなど春らしい料理が並ぶ。
貴族令嬢達の好みがわからない恵真は皆に、どんな料理を彼女達が好むのかの案を求めた。
「だが、恵真の料理はどれも味が良い。そんなに案ずることはないのではないか?」
「わ、私もそう思います。今日の料理もどれも可愛らしいですし、お味もとてもよくって……こういったお食事ではダメなんでしょうか?」
ナタリアの意見にルースが賛同する。
今日恵真が用意した料理は彩りも良く華やかなものだ。春の食材を使ったことで旬も取り入れ、可愛らしい見た目である。
こういった食事を作れる恵真であれば、茶会にもふさわしい菓子や料理を用意できると二人は考えたのだ。
「でも、貴族の方の常識はあたしらと違うからさ。お嬢さんが気にするのもわからなくないよ」
「エマ様の料理はどれも美味しいですよ?」
そう言ってリリアがちらし寿司をぱくりと口に運ぶ。
「ほら、そこからもう違うんだよ。ご令嬢っていうのはさ、そんな大口で食べたりしないもんなんじゃないかねぇ」
「あぁ、確かに……。い、いや、リリアが元気よく食べる姿は好もしいものだぞ? なんというか、やんちゃというかおてんばというか……。とにかく元気があっていい」
もぐもぐと口を動かしながら、不服気なリリアはリスのようで愛らしいと恵真は思うのだが、貴族令嬢はそうはいかないというのも事実だろう。
「うん、食べやすさっていうのも重要ですよね。茶会の料理ですし、それを食べる人に合うものを考える必要がありますもんね」
「そうなんだよ。貴族っていうのは他人からどう見られるかを気にするものだろうしさ。まぁ、そう考えるとあたしらも幸せだね。こんな風に気の置けない者同士で食事を楽しめるんだからさ」
アメリアの言葉に皆、頷く。
こうして気兼ねなく話し合える関係はなかなか出会えるものではない。
「じゃあ、そろそろ甘いものはいかがでしょう。ロールケーキとかブラマンジェも用意しているんです」
「わぁ! 楽しみです。私もお手伝いしますね!」
「恵真の菓子もまた旨いからな」
デザートの登場で皆がまた嬉しそうに笑う。
その賑やかさにソファーでウトウトしていたクロが目覚めるほどだ。
窓からは柔らかい日差しが注いでいる。
今年のひな祭りもまた和やかに過ぎていくのだった。
*****
夕食後、料理の本をぱらぱらとめくりつつ、恵真は茶会の料理を考える。
季節の旬や彩りを考えつつ、経済的にもあまり負担のかからぬものが良いと考慮せねばならない点が幾つかあるのだ。
少々根を詰め過ぎている様子の恵真に、祖母の瑠璃子が声をかける。
「ほら見て、恵真ちゃん。春特集ですって。ホワイトデーにお花見に、色々特別な料理やギフト商品の紹介があるみたいよ」
「あ、本当だね。わぁ、桜のスイーツにギフトも可愛いものが多いね」
「色合いも可愛らしいし、こういうのを見てると春が来たんだわって思うわよね」
春の桜特集ということでホワイトデーのお返しや入学のお祝い、そういったギフトの紹介や桜をもちいたスイーツの紹介だ。
デパートや百貨店などのものから、全国チェーンの店まで様々な菓子やギフトが扱われ、その色合いやデザインに恵真も興味を惹かれたようだ。
「やっぱり、可愛らしさや見た目も女の子は気にするよね」
「お茶会のお話ね。最近はアフターヌーンティーとかも人気あるけど、やっぱり昔からそういう可愛らしいものや美味しいものは皆好きよね」
「桜スイーツか……。でもあちらの世界では桜に馴染みがないしなぁ」
桜の塩漬けを使う菓子も風流だが、向こうの人々に覚えがない物では使いにくい。再び、料理を真剣に考え出す恵真に瑠璃子は微笑む。
「梅ちゃんちのお庭でお花見をしようってことになっていてね。もしよかったら恵真ちゃんも顔を出さない?」
「うん、じゃあ私もなにか料理作るね」
「あら、やだ。無理はしないでね。お茶会のことだってあるんだから。そんなつもりで誘ったんじゃないのよ」
恵真の言葉に瑠璃子は慌てる。
気分転換になればと声をかけただけで、負担をかけるつもりはなかったのだ。
だが、恵真は気にした様子もなく笑う。
「依頼の方が先にあるし、落ち着いてからだし大丈夫! お花見が出来るのは春だけなんだから、楽しまなくっちゃね」
「ふふ、季節を楽しむのも贅沢なことだものね」
桜が咲いて散るまでの短い期間、それを味わうのは風流で贅沢なことでもある。
先日、恵真が見た硬いつぼみも一度開花すれば散るのも早い。
限られた季節の風景を楽しみにする恵真と瑠璃子であった。
「お花見っていいねぇ。おいしいごはんも食べて、お花も見るんでしょ?」
「うん。この時期になるとね、桜っていう花が開いてすっごく綺麗なんだよ」
花見という文化を説明する恵真に皆が興味深そうに聞き入る。
桜の花の元に集い、会食をしたり、食べ歩きをする花見というものはにぎやかで春の行事の一つなのだろう。
楽し気な恵真の様子からもそれが伝わってくる。
「野営ならいくらでもするっすけど。そんな楽しい会はしたことないっすねぇ。あ、でも花祭りっていって花を愛でる祭りはあるんすよ。屋台が出たりするんすよー。これもたしか女神様云々で教会主導なんすけどね」
季節の移り変わりを祝うのはどの世界でも共通らしい。
恵真の世界でも各国に花を祝う祭りはある。季節と共に咲き誇る花々は自然の恵みを感じられる身近な存在でもあるのだろう。
「今回の茶会もそれに少し近いものかもしれません。アナベル令嬢の育てた花々がある庭園で茶会を開くと聞いております」
「いいですね! 外で食べるだけで気分も違いますし、その日はお天気が良いといいですね」
「……えぇ、そのような穏やかな会になると良いですね」
バートは社交もまた貴族の戦いなのだと言いたそうだが、リアムは恵真の言葉を否定せず、希望的観測を述べた。
セドリックはというとなにやらごそごそと布袋の中から取り出している。
「これをトーノ様にお渡ししたく……。実は先日の依頼の際に使者から受け取っていたのです。ただ、その時点でお渡ししてしまうと、断りづらくなるだろうとシャロンが申したのです」
「そうか、流石副ギルド長だな」
「マルティアの冒険者ギルド長にはない配慮があるっすね」
リアムとバートの言葉にセドリックは眉間に皺を寄せるが、実際、依頼の時点で持参しようとしていたのは事実であり、なにも言えない。
代わりに恵真へと袋の中身を差し出した。
「これはロイド伯爵家の領地で名産の木を使った木工製品です。職人が作り、細工を施したもので、依頼の礼の一つだとのことです」
「木箱……でしょうか?」
滑らかに角を整えた箱は道具箱にもいいだろう。
木目を生かしたことで、温かさも感じられるその箱に恵真は親しみを覚える。
蓋はというと、細やかに花が彫られて、持ってみても重さは見た目ほどではない。
実用性と愛らしさを兼ね備えたその箱は好もしいものだ。
じっとその箱に見入る恵真の様子にセドリックもリアム達も首を傾げる。
「……これ、これです!」
「は、はい? なんのことでしょう」
突然の恵真の言葉にセドリックは目を瞬かせる。
なにか不備でもあったかと視線をリアムやバートに向けるが、彼らもなんのことかわからない様子である。
再び恵真に目線を移すと、彼女は目を輝かせ、セドリックに微笑む。
「この箱ってどれだけ用意がありますか? 蓋の細工ってそれぞれに違うんでしょうか?」
「え、えぇ。特産品ということなのである程度の確保は出来るでしょう。細工自体は問い合わせねばわかりませんね」
恵真に渡したものが上質のものであれ、特産品である以上、他にもあるはずだ。
細工に関してはセドリックとしてはどうとも答えられないが、現在、貴族からの注文が多くない状況を考えても、職人の手も空いているだろう。
セドリックの答えに恵真の瞳はさらに輝く。
「では、問い合わせましょう! この箱と食事、組み合わせることで特色を出せますし、楽しんで頂けるはずです!」
特産品である木箱、そして自身の料理を組み合わせるという恵真の言葉にリアム達は不思議そうに木箱を見つめる。
恵真がなぜ喜んでいるのかが、彼らにはわからないのだ。
だが、恵真の様子から茶会の具体的なイメージが湧いたことだけは理解する。
「お花見っていいねぇ」
「あ、じゃあ母さんと一緒に今度どこかに行こう。少しの時間なら気分転換に良いし、最近は天気もいいしさ。見上げる花じゃなくっても野草とかも咲く季節だろ?」
「みゃうみゃ」
「ほら、クロ様もそれがいいって言ってるし!」
アッシャーとテオは恵真から聞いた花見にすっかり心奪われたようだ。
花を見て、季節の移り変わりを楽しむのに花の種類は関係ない。そう判断したアッシャーは家族で小さな花見を計画し始める。
アナベル伯爵令嬢の茶会とアッシャー達の花見、形も立場も異なる花を愛でる計画が今、喫茶エニシで同時に進んでいた。
*****
花の手入れをしつつ、アナベルは深いため息を溢す。
穏やかな天候は今後も続くだろう。庭園での茶会にはふさわしいことなのに、空と裏腹にアナベルの心はどんよりと重い。
「お嬢様、こちらでようございますか?」
「えぇ、この追肥でまた綺麗な花を咲かせてくれるはずね」
花が咲くに必要ものは様々ある。そう、それは令嬢も同じこと。美しく飾るために、ドレスに宝飾品にと必要なものは多くある。
そして教養や所作、稽古事も幼き日より身に着け、貴族令嬢として美しく咲き誇れるのだと他の令嬢を見るにつけ、アナベルは思い知る。
伯爵令嬢であるアナベルだが、家の経済状況もあり、自身の至らなさを感じることも多い。
元来、口下手で内向的な性分でもあるため、交流を主とする茶会にも積極的にはなれないのだ。
「でも、しっかりしなきゃね」
自身に言い聞かせるように呟いた言葉に庭師は目を細める。
美しい花を愛でる令嬢は数多くいるだろう。
しかし、そのために土で手を汚すこと、地面にしゃがみ込める令嬢がどれほどいるだろうか。丹念に世話をせねば、このように生き生きと花開くことはないのだ。
「お嬢様が育てられた美しい花々、皆さんにご覧いただけるのが楽しみですね」
「えぇ、そこには自信があるのよ。皆、綺麗に咲いてくれたもの」
長年、庭の手入れを通じ、アナベルの気性を知る庭師は茶会の成功を切に願う。美しく咲いた花、それは彼女の日々の努力と優しい心が育てたものなのだから。
小さな肩に背負うには大きすぎる責任、微笑むアナベルの表情はどこか硬いものであった。




