187話 ルイスの再訪 2
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
お楽しみ頂けましたら嬉しいです。
「ホロッホの卵の家畜化に成功し、以前より入手しやすくなったのですが、その卵を貴族達が使いだしたのです。いえ、彼らにしてみれば、それは当然のことなのです。私としてはあの頃の息子のような人の元に届いて欲しい、そんな思いもあったので、少々複雑な心境でして……」
ルイスの言葉に恵真達は視線を交わす。
先程、恵真達が話していたことが実際に起こっていたのだ。確かに卵を使えば料理の幅は広がる。ホロッホの家畜化で最もその卵を消費するのは貴族達であろう。
「でも、お貴族様がホロッホの卵を使うことで、クラッタの卵の値段が下がったりしないの?」
先程の会話を覚えていたのだろう。テオがルイスに問いかける。
「あぁ、そうなんだ。だから、それ自体は悪いことではないんだよ。いつか必ずホロッホの卵も皆に行き渡る時代が訪れるはずさ。だが、私がそれを見ることはないような気がしてね。なんだか気力がなくなってしまったんだよ」
そう言ってルイスはテオの頭を撫でる。
息子とは風貌も異なるテオだが、幼い日の息子を思い出し、自然とルイスの口元が緩む。
「ホロッホの家畜化は周囲の者達の生活も変えたのではないか? それにこれは国が力を入れてきたが成功させられずにいた事業だ。あなたの成果は誇るべきことだ」
リアムの言葉は事実である。
ホロッホの家畜化――それが村の人々の雇用も生みだし、皆の生活も潤ってきた。しかし、一方で息子のような子ども達のために自分は頑張ってきたのではないかと、ルイスはやり場のない思いになるのだ。
「えぇ、その通りです。村の人々の生活は安定し、皆に笑顔も増えました。ですが、あのときの私や息子のように本当に必要としている人に届かないのでは? そんな葛藤があるのです。贅沢な悩みですね。息子も私も今は十分幸せなはずなのに」
ホロッホの家畜化に成功し、その卵を貴族が口にすることでクラッタの卵の価格はじきに安定していくだろう。ホロッホの卵も生産量が増えていけば、価格が今よりも落ち着いていくはずだ。
そのことをルイスも当然理解はしている。
だが、そんな日が来るまでの気力、目標を今のルイスは失っているのだ。
恵真の手元には自身で焼いたパウンドケーキがある。卵を使った焼き菓子を恵真はいつまでもルイスに出せずにいた。
*****
春になり、日が暮れるのも冬よりだいぶ時間が経ってからだ。
アスパラガスのサラダ、新じゃがとコーンビーフの炒め物、わかめの味噌汁と食卓に並ぶ食材も春の訪れを感じさせる。
恵真は夕食を食べながら、今日のルイスの話を瑠璃子にも伝える。
ルイスが訪れたのは喫茶エニシ開店前のこと、当然瑠璃子はその話を知らないのだ。
「優しい人なのね、その人は」
恵真の話を聞いた瑠璃子は緑茶を一口飲むとそう言う。
「自分の状況が変われば、苦しかった時代やその思いを忘れてしまうことも少なくないはずよ。でも、そのときと同じように彼は同じ状況の人々を思って、悩んでいるんでしょう? それは優しさだと思うの」
祖母の瑠璃子の言葉に恵真も同意する。
今日訪れたルイスの服装などは、初めてであった頃とは異なっている。
しかし、彼の思いは当時と変わらない。
それは恵真も今日ルイスとの会話で実感したことでもある。
だが、そんな彼もホロッホの家畜化の方向で迷いが生じていたようでもあった。
「卵が高価だったり、手に入りにくいことは昔の日本でもあったのよ。江戸時代くらいから食べられるようになったって聞いたことがあるわ」
「そうなの? そんなイメージなかった」
「そうよね。私の生まれた頃にも、もう洋食文化も広がっていたし、卵は身近な食材よね」
恵真の生活の中では卵を使った菓子や料理は数多くある。
栄養のバランスも良く、価格も安定している卵は日々の生活に欠かせないものなのだ。
しかし、そんな卵もマルティアでは少々高価なものとなる。
そのため、マルティアの人々が作る料理を提案するときには、卵を使わないように恵真は工夫を凝らしてきたのだ。
「卵やお肉を摂らない分、豆でたんぱく質を摂っていたのよ。ほら、精進料理でも大豆製品をよく使っているじゃない?」
瑠璃子の言葉に恵真はルイスと出会った日を思い起こす。
恵真もそう思い、「肉ではなく、豆を摂ってはどうか?」そう提案して、ルイスの怒りを買ってしまったのだ。
誤解とはいえ、食文化や価値観の違いに恵真は気付かされた。
一方で、豆や野菜の良さを恵真はマルティアに広げてきたのだ。
「そうだよね。卵の普及には直接かかわることは出来ないけど、豆料理の良さを広げることなら私にも出来るよね」
「……恵真ちゃん?」
精進料理の話から、恵真の中では新たな豆料理の話へと繋がったらしい。
相変わらず、料理のこととなると熱心な孫娘恵真。困ったように笑いながら、瑠璃子はそんな彼女が作った夕食を食べ進めるのだった。
*****
「リアムさん、バートさん、お待ちしていました!」
「おおっ! どうしたんすか? トーノ様。なんかあったんすか?」
喫茶エニシのドアを開けたリアムとバートに、恵真からはいつもと異なる挨拶が飛ぶ。なぜ、自分達を待っていたと恵真が言うのか二人には思い当たることはない。
互いに顔を見合わせ、戸惑う二人だが、いつもの通りカウンター席に着く。
「実はお二人に聞きたいことがあって……。この国でもこういう食材ってありますか?」
恵真が差し出した小皿をリアムとバートは見つめる。
それは二人にも知識ではある食材だ。
「あー、ゴマっすね」
「マルティアにもあるんですか?」
恵真の瞳が喜びで輝く。
バートは恵真の反応に不思議そうな表情を浮かべた。
リアムもまた同様になぜ、そこまで恵真が喜ぶのかはわからないようだ。
「えぇ、あるにはあるっすよ。あんまり食わないっすけど」
「古の聖女が発見したものなのだと言われています。食用可能だということで知られてはおりますね。そちらがどうかしましたか?」
「ジョージさんに言えば、入手可能でしょうか? マルティアで購入できると皆さんも作ることが出来るので……」
当然、恵真は簡単にゴマを入手できる。
しかし、マルティアの街、そしてルイスの村の人々が入手出来ないのであれば、これから提案する料理も皆に食べて貰うことは不可能なのだ。
その言葉に恵真の考えを察したのだろう。リアムは口元を緩める。
「ホロッホやクラッタの卵の普及、その解決にはまだ時間がかかるかと思うんです。それなら、豆料理の良さ、新たな調理法をルイスさんに知ってもらいたいなって……。それなら、私にも協力出来ますから!」
料理になると途端に意欲的な恵真にバートも笑う。
アッシャーとテオは興味津々といった様子で、恵真の顔を覗き込む。
「豆料理って言うと、ちりこんかんとかミネストローネでしょ? 他にも美味しい豆料理があるの?」
「もちろんあるよ! 余り肉も使えば、色々出来るし、体に必要な栄養たっぷりな料理になるんだよ」
切り落としの様々な部分、それをスタンテール周辺国では余り肉と呼ぶ。
文字通り、余った部位の肉で安価なものなのだ。良い印象を抱かれないその肉も貴重なたんぱく質であり、もちろん味には問題ない。
恵真はこの肉と豆を使うことで、多くの人々にも調理可能な料理を作るつもりなのだ。
ホロッホの家畜化、夢であったそれを叶えたルイスだが、あのときの熱意を失っているようにも恵真の目には映った。
ミネストローネを作ったあの日のように、彼に新たな豆の調理法をと意欲的な恵真であった。
*****
喫茶エニシへと歩くルイスの気持ちは、広がる青空と対照的に靄が晴れない。
ホロッホの家畜化は順調であり、自身も周囲の者も生活は楽になったのだ。
それでも、本来望んだ卵の市民への普及はまだまだ先が見えない。懸命に走り続けた分だけ、ルイスはどこかむなしさも感じる。
雨が降るあの日、ホロッホの卵を冷やさないようにとルイスは人気のない道を懸命に走った。
今、同じ道を通れば、賑やかな声、買い物を楽しむ笑顔がある。
マルティアの街は活気に満ち、そんな人々と裏腹な自分の思いにまた孤独感を抱いてしまう。
ルイスはやり場のない気持ちのままで、喫茶エニシのドアを開くのだった。
卵は日本で広がったのは江戸時代頃だそうです。
「豆腐百珍」「卵百珍」など料理本も。
(たまごふわふわが有名かも?)
でも、養鶏が本格的に始まるまで
やはり高級品だったそうです。




