182話 自然の恩恵と冬の諸問題 3
いつも応援ありがとうございます。
楽しんで頂けるよう書き進めていきますね。
「よし、これでいいかな。あとはおばあちゃんの帰りを待つだけだね」
「みゃう!」
夕食の準備を終えた恵真がエプロンを外す。
人参の胡麻和え、蒸した豚もも肉ともやしシソを刻んだもの、油揚げと大根の味噌汁には大根の葉も刻んで入れている。あと数分でご飯も炊きあがるだろう。
祖母の瑠璃子は今日、駅前まで買い物に行っている。
正月が終われば、もう冬物のセールが始まるのだ。
飲食業が厳しくなるのはこちらでも同じことだと恵真は思う。
出費の後は皆、財布の紐を締める。それは家計を預かるものなら誰しも考えることなのだ。
「セールかぁ、マルティアでもセールをしたらどうかな? あぁ、でも飲食にはセールなんてないよね」
「みゃう?」
クロが「そうなの?」というように鳴いて小首を傾げたとき、玄関先から「ただいま」という元気な声が聞こえる。
足音がこちらへ近づき、ガチャリと部屋のドアが開いた。
「ただいまー! もうついつい買い過ぎちゃったわ!」
「おかえり、おばあちゃん。ご飯は出来てるよ。岩間さん元気だった?」
「えぇ。二人して食事したり、おしゃべりしたり楽しかったわ。あ! ねぇ、これ見て見て。セールだからってつい買っちゃったのよ」
両手に紙袋を持った瑠璃子は紫の帽子にエコファー付きの黒のダウンコートと華やかな装いだ。楽しそうに戦利品である衣類などを恵真に見せる。
「これは恵真ちゃんに似合うはず」と「これはあの服に似合うわね」などと嬉しそうに話しながら整理し始めた。
祖母の少女のようにはしゃいだ姿に恵真はくすっと笑って、食事を皿に盛っていく。
「あ、でもねぇ恵真ちゃん知ってる? 最近は福袋ってあんまりないのよ。もう予約とか抽選がほとんどなんですって」
「そうなの?」
小鉢に人参の胡麻和えを入れる。大皿で蒸した豚肉ともやしはそのまま出して、小皿に取り分けよう。そう思いながら、恵真は瑠璃子の話を聞く。
「でも、中身がわかるのが今の福袋のいいところよねぇ。開けてがっかり、がないんだもの。あ、これ見て。とってもお得だったの」
そう言って瑠璃子が取り出した紙袋からは、缶詰やコーヒースティックなど様々な食品が出てくる。お菓子なども数種類入った食品の福袋らしい。
「でね、ここからが凄いのよ。なんと、当たりもあって中にお買い物券が入っているの! ……私は外れちゃったみたいだけどね。あら、恵真ちゃんどうしたの?」
キッチンにいる恵真がこちらを振り返り、目を輝かせている。
そんなに福袋が嬉しかったのかと思う瑠璃子に、恵真が大きな声で言う。
「おばあちゃん、それ! 凄くいいアイディアだね! そうだよ、それがあったよね!」
「え、えぇ……」
なんのことかわからない瑠璃子は曖昧な返答をする。瑠璃子は何があったのとクロに視線を送るが、当然クロにもさっぱりわからない。
そのとき、炊飯が終わった合図の音が鳴る。
「あ、ご飯が炊きあがったみたい。温かいうちに食べよ、ほら着替えて来て」
「えぇ、そうね」
「でも本当にありがとう。流石、おばあちゃんだね」
「えぇ、もちろんよ」
なにやらわからないが、孫に褒められるのは悪くないものだ。
瑠璃子は紙袋を持って、嬉しそうに階段を上っていく。
恵真はというとこちらもまた頬を緩め、楽しげな様子だ。さっぱりわからないクロだが、恵真が喜んでいるのは良いことだとソファーの上で丸くなるのだった。
*****
「ふく、ぶくろ……ですか?」
「はい、それをマルティアの商店でも行ってみてはどうかなと思いまして」
初めて聞く「フクブクロ」という響きに、リアムもセドリックも不思議そうな表情を浮かべて恵真を見る。
ジョージとアメリアはじっと恵真を見て、次に何を言うかをじっと待つ。
「私の生まれた国では福袋というものを販売するんです。いろんなものを入れたお得な袋で福、えっと良いものが入った袋という意味なんです」
「それを街の商店で販売することで、経済を活気づける――ということでしょうか。おぉ、なんだか面白そうだな!」
セドリックがいち早く賛同する。
福袋という形であるだけで、どんな商売の店でも参加することが可能なのだ。街全体で盛り上げることが可能だろう。
「どんなものを入れるの? エマさん」
「うーん、中身がわかる形ならなんでもいいと思うよ。あとはお客さんの判断次第かな。入れるのも紙でなくったっていいし、麻や布の袋とかカゴでも問題ないよ。でも、内容さえわかってるのは大事かなー」
「中身がわかるなら、安心して買えますね。がっかりするようなものが入ってたらやだもんな、テオ」
アッシャーの言葉にテオが力強く頷く。
もし、お得だとしても不要なものでは困ってしまうだろう。
「でも飲食業では難しいんじゃねぇか? そりゃあ、一時的な売り上げにはなるだろうが、売り上げを維持していくのが飲食店の難しいとこだからな」
飲食店の経営には食材費や光熱費など維持していくのにかかる費用がある。
店を開いても客が来ない――この状況が続くことで損益が出てしまうのだ。
「はい、ですので飲食店では券を販売するのはどうでしょう」
「券? なんだ、劇場とかで買うあれか?」
「飲食代金をそれで払えるものを準備するんです。例えば、10回紅茶が飲める代金で11回分の券が買える。そうすれば1回分はお得になりますよね」
瑠璃子の福袋で思いついたのがこれである。
最近の福袋には飲食券もある。物ではなく、飲食券の方がよく来店する客には好まれるだろう。
「ですが、それでは店側が損をしませんか? 他の商品は余分にあるものなどを入れることで在庫の整理になります。でも、これでは紅茶一杯分損をしてしまうのでは……」
セドリックは恵真の言葉に疑問を持ったようだ。
だが、その隣でリアムが呟く。
「なるほど、券があれば客もせっかくだと足を運ぶ。冬の閑散期、飲食店にとっては継続的に通ってくれる人がいるということになりますね」
「はい。お客さんはちょっとお得に楽しめますし、お店を開ける人は来店する人がいるという安心が得られます。そうですね、この冬の期間だけ使える券にしてはどうでしょう。街に出る人はついでに他の買い物をしていくかもしれません」
飲食店には福袋として券販売分の収入が入る。
前もって維持にかかる費用が入ってくるのだ。精神的な負担も軽くなる。
寒さの続く中で客足が伸び悩んでいるが、券を購入した客は必ず足を運ぶだろう。それは街の活気にも繋がっていくはずだ。
「そりゃあ、良い案だね。あたしんとこはエールでやってみたいね。それにさ、お得だとつい他のもんも注文したくなるのが人ってもんだからね」
「はい。各店でいろんな福袋を考えて販売すれば、きっとお客さんにも楽しんで貰えますよ。ただし、必ず中身はわかる形で!」
「あとから揉めないようにその方がいいだろうな。中身に納得した上で買う、客の満足感にも繋がるだろう。フクブクロ、か。良い案だな。商業者ギルドにも伝えて、各店で共有した方がいいな」
自身が商売をするアメリアやジョージも賛同を示す。
こうして恵真の発案で福袋をマルティアの街で販売していくこととなったのだ。
「エマさん、本当にこれを入れていいの?」
「うん、いいよ。どの袋にどれを入れるかも自由だよ」
「どれを選ぶかも運試し、ですね!」
用意したのは可愛らしい布袋、そこにはハンナが刺したクロの刺繍が入っている。
その袋にアッシャーとテオは券と一緒に包装されたフィナンシェも入れていく。数は1個のものもあれば、2個のもの、3個入りまである。
手前にあるものから渡していくつもりだが、どれが誰に渡るかはわからない。アッシャーの言う通り、運次第だろう。
券には偽造防止のためか、テオの描いたクロの絵と恵真のサインが入っている。
サインと言っても「遠野恵真」と漢字で書いただけなのだが、マルティアの人々に模倣することは困難なのだ。
「大変! エマさん、もうお客さんが並んでるよ!」
「え、まだ開店前なのに?」
恵真としては客の集中を防ぐため、ささやかなものにしたつもりだ。
しかし、紅茶が一杯無料になることや焼き菓子が必ず一つ付いてくることは喫茶エニシに足を運ぶ者には十分に魅力的であったようだ。
慌ててアッシャーとテオは商品をカゴに入れて、表へと出ていく。
窓からそっと様子を覗くと甘味好きのファルゴレまでいるではないか。
次々と渡っていく喫茶エニシの福袋、手にした人々には笑みが浮かぶ。他の店舗でも同じように福袋の販売が始まったころだろう。
売れ行きはどうだろう。人々は喜んでいるだろうかと落ち着かない恵真は窓から空を見上げる。
めずらしく雪の降らない空は青く広がる。それだけで心まで晴れやかになるのは、冬の厳しさを知るからこそだ。
清々しいその青さがまるで復調の兆しのように感じられる恵真であった。
*****
「フクブクロ、か。ジョージ達も考えたものだね」
「いいからなんか手伝っていけ」
「カトラリーより重い物を僕が持てると思うかい? あぁ、もし持てるとしたら妻への愛くらいかな」
「あー、うるせぇ」
再び店に訪れた旧友エリックが木箱に腰かけながら言うのを、ジョージは適当にあしらいながら作業をする。
恵真の発案であるフクブクロは好評だった。購入したものはもちろん、販売側にとっても一時的にとはいえ、売り上げが増えたのだ。
そして飲食店では券を販売することで前もって資金を確保できる。
実はそれ以外にも朗報があるのだ。
「冒険者ギルドでも面白いもんを売り出したんだ。ほら、これだ」
「なんだい? それは」
「ネックウォーマーだとよ。首元につけるんだが、ほどけることがねぇから野外での仕事にも向くんだ。他にも面白いもんが出来るから待ってな」
冒険者ギルドで負傷した冒険者が内職に始めたのだが、こちらも商売をする者や野外で活動する者に好評だ。ほどける心配がないため、常に両手が開くうえ、軽量なのも魅力であった。
「やはり、庶民の知恵っていうものからは学ぶところがあるもんだ。冬季の支援が末端まで行き渡らないという悩みはほぼ解決したね」
「だからって庶民の努力に甘えるんじゃねぇぞ?」
「もちろんさ。妻がそれを許さないよ」
じきに蓋つきのフライパンも広がり、さらに面白いことになるだろうとジョージは考える。冒険者の内職、街の活気と懸念した事柄は一定の成果を収めたのだ。
フクブクロ、奇妙な名前のそれはネンシの後の楽しみとして、マルティアの街に定着する。その後年月を経て、スタンテールの国全体にまで広がっていく。
「皆が笑顔になれるよう、新たな年の始まりに幸運をわかちあう」そんなもっともらしい理由と共にだ。
その始まりが黒髪黒目の女性トーノ・エマだということは歴史に残ることはない。
けれど、彼女が始めた物事は文化としてこの国に残っていくのだ。
福袋、今はもう抽選が主流ですね。
中身もちゃんとわかっていて、はずれなし。
皆さんはなにか福袋を買いましたか?




