180話 自然の恩恵と冬の諸問題
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「そうだわ、恵真ちゃん。今年の抱負ってもう決めた?」
「んー、皆でつつがなく過ごすこと……かな?」
突然の祖母瑠璃子からの問いかけに、恵真は少々悩んでから答える。
急遽出したふわっとした答えだが、意外と良い抱負だと恵真には思えた。
だが、瑠璃子は眉間に皺を寄せる。
「地味ね。地味だわ、恵真ちゃん」
「抱負に地味も派手もないでしょうにー……」
「みゃうみゃん!」
テトテトと歩いてきた飼い猫クロが恵真と瑠璃子を見上げて鳴く。
「あら、今年はより美味しいものを食べるの? それ以上モチモチになってジャンプ失敗しても知らないわよ?」
「みゃうみゃ!」
どうやらクロは自分の抱負を伝えに来たらしい。
たしかに年末年始で少々クロはふっくらしたように恵真にも見える。
抗議するクロだが、瑠璃子は気にした様子もない。
「私はそうね、旅行にも行きたいし、なにか楽しいことを探したいわね。一年の計は元旦にありっていうじゃない? どーんと大きな夢や目標を持ちたいわよねぇ。だって言うだけならタダだもの」
「んー、もう元旦は過ぎちゃったからなぁ」
「あら、本当だわ!」
元旦は元日の日の出から午前中を指す言葉である。
とっくに正月も終わったためにふさわしい言葉とはいえないのだ。
「あらあら」と呟いた瑠璃子に、恵真は皿に入った菓子を差し出す。
「さっき、焼いたの。もう冷えてると思うから味見してみて」
「あら、綺麗な焼き色ね。これは――」
「フィナンシェ、アーモンドパウダーが入っているんだ」
マドレーヌに似た見た目なのだが、フィナンシェはバターをあえて焦がす。
卵白と薄力粉、砂糖にはちみつ、焦がしバターにアーモンドパウダーを加えた風味豊かな菓子である。
部屋中に甘い良い香りがしていたのは恵真が菓子作りをしていたからだ。
「明日、二人に渡そうと思って」
「あぁ、アッシャー君とテオ君ね。お店を開けるのも何日か振りだものね」
「今から下拵えもしておかなきゃね」
そう言って張り切る恵真の姿は、休み中よりいきいきとして見える。
孫娘の嬉しそうな表情に、瑠璃子もまた微笑むのであった。
小さく可愛らしい紙袋を手渡されたアッシャーとテオは、恵真に確認を取って封を開ける。中に入っていた焼き菓子を見て、兄弟は目を輝かせる。
その表情に恵真まで微笑んでしまう。
「フィナンシェっていうの。意味はお金持ち、なのよ」
「お金持ちが食べるお菓子なの?」
「ふふ、お金にかかわるお仕事をしている人達のために作られたという由来があるの。だから、そんな名前なんだと思うわ」
フィナンシェ――金融家、金持ちという意味合いの名がついているのは金融街で働く人々の軽食として考えられたからである。
形も金の延べ棒をイメージして作られたものなのだ。
恵真がそんな由来の菓子をアッシャー達に用意したのにもまた意味がある。
「私の国では年始に子ども達にお年玉っていってお金を渡すの」
「え! どうしてですか?」
アッシャーが驚くが無理もない。風習というものはそれを知らない者からすれば不思議に思えるのだろう。
「えっと、元々はお餅……食べ物を渡していたみたいなの。だから、私も二人にお菓子を渡そうかなって」
「そうなんだ。ありがとう、エマさん!」
「ありがとうございます!」
お年玉は元々は餅や物を渡していたという。時代と共にそれが変化していき、金銭になったのだ。日持ちする焼き菓子の中から、フィナンシェを選んだのには恵真の遊び心がある。
「お二人の分もあるので、お茶と一緒に召し上がりませんか?」
「う、嬉しいです……。心が弱っている今、エマ様のお優しさが染みます……!」
「そうだねぇ。いつまでも落ち込んでいるわけにもいかないからねぇ」
そう言ったアメリアだが、そのあとに深いため息を溢す。
リリアもまた、テーブルに顔を伏せてどこか元気がない。
嬉しそうなアッシャーとテオ、そんな二人とは反対に客であるリリアとアメリアはかなり落ち込んでいる様子だ。
「ネンマツの反動でネンシからは客足が伸び悩んでねぇ。毎年のことだけど、この時期は商売が難しくなるのさ」
「寒くなりますし、雪なんか降ったら外出を控える人も出てきますから」
ネンマツは華やかに賑やかに、ネンシは静かに過ごすマルティアの風習もある。
恵真の国でも同じように、正月の後は人々の財布は固くなるのだ。
節分やバレンタイン、そういった行事で盛り上がるが、これがなければ厳しい状況がマルティアと同じように続くことだろう。
寒くなり、雪が降ると客足が落ちるのも同じことだ。
喫茶エニシはエアコンで冬でも暖かい。そのおかげか、客足が落ちている様子はない。しかし、他の飲食店ではこうはいかないのだ。
「あ、美味しい! バターの風味が豊かですね」
「甘いもんは疲れた体にも心にもしみるもんだねぇ」
フィナンシェを口にした二人の表情は一気に柔らかくなっていく。
作った恵真としてもそんな姿は嬉しいものだ。
「お兄ちゃん、はんぶんこしよう? で、お母さんにお兄ちゃんの分をあげるの」
「それいいな! よし、半分にしよう。あ、でも仕事中だからダメだぞ。あとでな」
「見逃してあげますよ?」
二人の会話を聞いていた恵真は冗談めかして兄弟にわざと背を向ける。
食べてもいいよ、そんな合図である。
半分にしたフィナンシェをぱくっと口に入れた二人の表情も一瞬で柔らかくなる。そんな表情をちらりと横目で恵真は確認する。
「おいしいねぇ。しみるね、お兄ちゃん」
「うん、しみるな」
先程聞いたアメリアの言葉を真似ているのだろう。
そんな二人にアメリアもリリアも楽しげに笑いだす。
帰るときにはハンナの分も合わせ、もう少し多めにアッシャーとテオに渡そうと恵真は思うのだった
*****
マルティアの街でもネンマツネンシが終わり、人々は今まで通りの生活に戻っている。いや、いささかいつもより人通りが少ないくらいだ。
ジョージの店も客は一人しかいない。
「ネンマツネンシで経済が盛り上がって活気が出るのはいいんだけど、問題はその後だよねぇ。それに例年以上に雪が降っているのも困りものだね」
「そんなとこでボヤいている暇があるなら、こっちに来て荷物の一つでも運んでくれ」
「冷たいねぇ、ジョージ。それが久しぶりに会いに来た旧友に対する態度かい?」
ジョージの古い友人であり、前領主の兄エリックだ。
領主の不在時には代理として執務に当たる彼であるが、ジョージの店に顔を出すときは大体なんらかの相談事があるのだ。
面倒そうにあしらうジョージだが、エリックはため息を溢しつつも動く気配はない。こうしてわざわざ市井に来て、マルティアの様子を見ているのだろう。
仕事熱心とも言えるが、ただ単に気分転換に訪れているようにもジョージには思える。
「で、なんだって?」
「経済が停滞してしまうことを最近、妻が懸念しているんだよ。物流も雪で停滞するし、冬は長く厳しいからね。しかし、なにかしようにも末端にまで届かないんじゃないかと妻は案じているらしい。――本当に彼女は優しく素晴らしい人なんだ」
「ふーん、そりゃそうだな。おい、これを紐で結んでくれ」
「ジョージ、聞いてないね?」
後半はどうでもいいが、エリックの話ももっともである。
施政者側になると自身の周囲しか見えなくなる――それが傲慢さから来るとは限らない。単にかかわることが減り、目に入らなくなるのだ。
だが、旧友であるエリックはそうではないらしい。内心でジョージはエリックを見直す。
実際、森林や山に雪が深くなる冬は冒険者の仕事も減る。農家もまた同じだ。他国への商売も陸路の影響が大きい。毎年のこととはいえ、皆が苦労する時期なのだ。
「しかし、そう簡単に今までの習慣は変えられねぇ。ネンマツネンシで金を使った分だけ、財布のひももぎゅっと締める。そういうもんだからな」
「ジョージもそう思うかい? そうなんだよねぇ……。やはり、蓄えた分で生活するしかない。いや、一時的な支援を……」
「それが末端まで行き届かねぇから、お前さんはここに来たんだろう?」
「そうなんだよねぇ」
自然も経済も冬は厳しい。だからこそ、春を迎えるときにあれほどの喜びを人々は得られるのだろう。
それはわかっているのだが、しかし、それで終わらせてしまえばそこまでだ。
灰色の空を見て、エリックは再びため息を溢す。
「お、そうだ。冒険者ギルドと商業者ギルドで開発中のものがあってよ、少ない燃料でも野菜や肉に火が入るんだと。で、水も少なくってすむらしい」
「そうなのかい? ジョージの周辺はいつも面白いことが起こるねぇ」
「うーん、俺の周りってよりは……まぁ、いい。楽しみにしとけよ!」
旧友の言葉にエリックは驚き、少し安堵もする。
街の人々にはこうして、なにかを自分達で生み出そうとする気力や意欲があるのだ。それは街の力であり、新たな文化に繋がっていくだろう。
上の者が与えるだけで終わるのではなく、自分達の生活を豊かにするために自ら行動する人物がいる。
なんとも頼もしいとエリックは旧友ジョージを見つめる。
実際にはその中心人物が、黒髪黒目の女性であるとは旧友は口にしない。
旧友とはいえ、彼は高位貴族であり、権力者でもある。
魔獣に守られている黒髪黒目の女性エマは街で今のまま、穏やかに暮らす日々が似合うとジョージには思えるのだ。
「まったく、飽きない日々が続くな」
停滞中の経済だが、フライパンの開発でまた新たな調理法が普及するかもしれない。そんな予感にジョージは楽し気に笑うのだった。
新宿の紀伊国屋本店様の2階で
ライトノベルと新文芸のフェアが行われるそうです
サーガフォレストさんからは「裏庭のドア~」も参加!
各出版者様から様々な作品が並ぶそうですので
お近くの方はぜひ。




