176話 今年の終わりと小さな願い
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
今日は新作も裏庭のドア、2作更新しています。
お楽しみ頂けたら嬉しいです。
吐く息も白くなるほどの気温の中、買い物帰りの瑠璃子と恵真は歩いていく。
だが、恵真の手の中にはほかほかとした温もりがある。
コンビニで買った肉まんだ。半分に割って、瑠璃子に手渡す。
「温かい料理がいいと思うんだよね」
「お店の話? あら、なかなか美味しいわ、これ」
食べ歩きは行儀が悪いという考えもあるかもしれない。
だが、寒空の下の肉まんは格別である。
なにより、恵真は冷たい風が吹く中の肉まんに新たなイメージを得た。
「うん、これからの時期にいいかなぁって。蒸し料理とかいいよね。冬至もあるし、かぼちゃ料理もいいなぁ」
恵真の店、喫茶エニシに訪れる人々にも温かい料理を提供したい。
首元をすり抜ける風の冷たさに恵真はそう感じたのだ。
「あれでしょ。お歳暮みたいになにか贈る習慣があるのよね」
マルティアの冬至には独特の習慣がある。
世話になった人に贈り物をし、かぼちゃ料理を食べるのだ。
お歳暮と冬至が混ざったものだと考えられているが、定かではない。
他にもネンマツネンシという風習がある。
これらは過去の聖女たちが伝えたと言われている。
「あ、見ておばあちゃん。雪が降って来た」
空を見上げるとチラチラと雪が舞い落ちてくる。
冬至に年末年始、今年ももう終わりに近いのだと感慨深く思う恵真であった。
*****
「わぁ! いい香りだね」
「ほう、こりゃ興味深いな」
ふたを開けるとふわりと蒸気が広がり、皆が歓声を上げる。
その声に恵真が嬉しそうに微笑む。
「ふふ。今回はちょっと本格的にせいろを使ってみたんです。電子レンジでもつくれるんですけどね。見つけたら使ってみたくなっちゃって」
肉まんから恵真には蒸し料理という考えが浮かんだ。
それを瑠璃子に話すと彼女は食器棚の奥に眠っていたせいろを出してきたのだ。
そのせいろを使って恵真が作ったのは蒸しパンである。
シンプルな食材で作れる蒸しパンだが、卵を使ったことやせいろで蒸すということが皆の目には新鮮に映ったらしい。
特にジョージとアメリアは蒸しパンよりもせいろに関心を抱いたようだ。
「茹でるよりも使う水の量が少なくてすむな。これは生の野菜にも使えんのか?」
「はい。野菜もお肉もお魚も全部蒸せますよ。こんな風に小麦粉で作ったものも蒸せますし、本来は米粉で作ったものも蒸せるんですよ」
「そ……それは本当ですか?」
急に大きな声を上げたのはルースだ。皆の注目が自身に集まったのを感じたのか、長い前髪で隠れた顔が赤く染まる。
隣に座るリリアが宥めるが、ルースは赤面したまま恐縮した様子である。
ルースの友人アルロは米、最近では米粉の販売にも力を入れていた。
恵真が教えた調理法と米粉が彼らの日々にも影響を与えているのだ。
そんな米粉の新たな可能性に、ルースが興奮するのも無理はない話である。
「す、すみません。僕が急に……大きな声を出してしまい……」
「ううん。でも、米粉はもっと細かく出来ないと使えないかも」
「そ、そうなんですか」
現在の米粉はまだまだ荒い。フライドポテトやチキンを揚げる際にはその荒さも活かせるだろう。
だが、小麦粉の代用として使うにはまだその粒ではだめなのだ。
「いや、しかしこのせいろってやつは作るのは難しいだろうな。まだまだ一般の流通が難しいな」
まだまだせいろを眺めていたジョージが残念そうに呟く。
しかし、恵真はジョージの言葉に首を振る。
マルティアにある調理器具でも蒸し料理は作れるのだ。
「大丈夫ですよ。フライパンで蒸せますから」
「フライパンってあれかい? あたしらも使ってるあの……」
「はい、それですね。これを使います」
恵真が右手に持ったのは鍋のフタだ。
深めのフライパンに水を張り、器を入れて蒸し焼き状態にすれば、蒸し器の代用として使うことが出来るのだ。
恵真の言葉にジョージとアメリアの目が輝く。
「作っとくれ! ジョージ!」
「あぁ、もちろんだ。こりゃ、商業者ギルド案件だな。いや、冒険者ギルドも巻き込もう。大きな仕事になるぞ」
自分が思っていた以上に大きなことになりそうだと恵真は思うが、既に二人は意欲満々である。
「甘くってふわふわしてておいしいね!」
「うん。ふんわりしてるけど食べ応えがあるな」
「皆もあったかいうちに食べるといいのにねぇ」
はふはふとまだ熱さの残る蒸しパンをアッシャーとテオは頬張る。
冷えても美味しい蒸しパンだが、温かいうちに食べるとまた違う良さがあるのだ。
すっかり体調の良くなったオリヴィエは、いつもの通りソファーに座り、紅茶を飲む。その横でクロはあくびをしている。
暖かい室内に風がひゅっと入ってくる。
「うわっ! やっぱ暖かさが違うっすねぇ! ん、なんかいい香りがするっすね!」
「バート、いいから早く入れ。冷気が入ってしまうだろう」
バートとリアムが訪れたのだ。
今日も今日とて、賑やかな喫茶エニシであった。
*****
「どうしたの? ルース。なんか最近、元気がないんじゃない?」
「そ、そんなこと……」
「私に隠し事してもダメよ? 友達なんだからわかるわよ」
喫茶エニシからの帰り道、リリアとルースは二人並んで歩く。
二人が持っている紙袋にはまだ温かさの残る蒸しパンが入っている。恵真から渡されたその袋からは甘い香りがかすかに漂う。
ルースは長い前髪でその瞳の色と表情を隠す。
背が高いルースはローブをまとい、少年のように見えるが、実際はリリアと同年代の少女である。
自分の身を守る意味もあり、少年として振舞っているのだ。
「と、友達……!」
「なんで驚いてるの」
「す、すみません……」
「謝るのもなしよ」
「す……はい、その、えっと……わかりました」
友達と直接言われた気恥ずかしさや、つい謝ってしまう自身への反省を心中でするルースだが、しばらくすると事情を語り始めた。
「先程のコメ粉もあって、アルロの仕事は順調なんです。フライドポテトでコメ粉を使う店も増えたり、コメ自体に注目が集まってて……」
「そう、いいことね」
恵真が米粉という存在を教えてからアルロの家は大忙しである。
フライドポテトに米粉を使うもの、また元々の米自体も調理法が広がったことで需要が増えた。
他の店でも米を扱うものが増えたが、最初に始めたアルロの家に注文が集まるのだ。
「……はい。家を継がなきゃいけないことになって、アルロは悩んでいた時期もあるんです。今は凄くやる気に満ちていて、エマ様のおかげですね」
「でも、ルースは寂しいと思っているのね」
「そ、そんなこと……えっと、はい、そうかもしれません」
先程のやり取りを思い出したのだろう。
一度否定したルースだが、リリアの言葉を肯定する。
はぁっ、とルースの吐き出したため息が白い蒸気に変わって消えていく。
「凄く良いことなのにどこか寂しく思ってしまう自分が嫌なんです。今まで頼ってきた分、アルロの力になりたいのに今の私には出来ることがなくって……。なんだかアルロが遠くなってしまったように思えてしまうんです」
会う機会が減り、多忙であるアルロに出来ることもない。
そんな状況がルースにははがゆく、同時に寂しさも感じるのだろう。
なにより、アルロを応援していたはずの自分がそんな思いを抱くことに、ルースは罪悪感に似た思いを抱いていた。
「……そう、そうなのね」
リリアはその思いを否定も肯定もしない。
ルースが薄い緑の瞳を長い前髪で隠すのは、自信のなさでもあり、自身を守るためでもある。
風魔法使いはその能力の使い道のなさや、力の弱さから軽視されがちなのだ。
そんな状況でアルロがどれほどルースの支えになっていたか。
安易に言葉をかけることをリリアは躊躇したのだ。
それからは二人とも何も言葉を交わすこともなく、歩き続ける。
「……じゃあ、ここで」
「あ、そうね。じゃあ、気をつけて」
背中を向け、去っていくルースの姿をリリアは見つめる。
自分の無力さに悩むルース、だがリリアも今また同じ気持ちを抱いている。
悩む友人に自分は何も出来ずにいるのだ。
「もどかしいわ……友達なのに」
リリアが吐いたため息は寒空の中に溶けて消えていった。




