137話 リリアのパンとその未来 3
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
「でね、今のパンはそのままで食べ方をいくつか考えてみたの」
「え! もう考えてくださっているんですか! すみません、私一緒に考えようと思っていたので、エマさまに頼り過ぎですね」
「いやいや、いいんだよ。私がなんだか楽しくなっちゃってさ、色々試してみたの」
少し早めに喫茶エニシを閉めた恵真は、リリアが持参したパンを薄く切り始める。数日前にリリアから貰ったパンで、ここ何日かアレンジを試してきた。
白いパンとは異なる食感や風味のパンに合う、食材や調理を試してきたのはリリアに言った通り、アレンジで変わる奥深さに興味が強く湧いたためである。
料理のことになると恵真はついつい夢中になってしまうのだ。
だが、リリアからすると自身が考えるべきことを、恵真が手助けしてくれたことに恐縮してしまう。
そんな二人をアッシャーとテオはカウンターキッチン側の椅子に座って、興味深そうに眺めている。もう帰宅しても良いのだが、何か新しいことが始まる雰囲気が楽しそうに思えたのだ。
手にはグラスに入ったアイスティーを持ちながら、恵真たちの様子を眺めている。
「エマさん、リリアさんのお家のパンで何を作るの?」
「リリアちゃんの家のパンは今でも十分皆に人気があるみたいだから、パンはそのままで食べ方の提案、ってところかな」
「食べ方の提案、ですか?」
リリアの言葉に恵真は頷く。
同じパンでも食べ方や切り方を変えることで、新たな魅力を伝えることが出来ると恵真は考えたのだ。
リリアとその父ポール、そして祖父が作り、人々に愛されてきたパンを変える必要はない。その良さを形を変えて伝えることで、新たな視点や評価に繋がるはずだ。
「リリアちゃんの家のパンには皆が気付いていないだけで、白いパンよりも栄養が入ってると思うんだよね。私の国でも今はそういう食べ物が注目を集めているの。きっと、身近だから良さに気付かないこともあるのかな」
「……健康にいいんですか?」
「そう、精製されちゃうと栄養も取り除かれちゃうんだ。もちろん、他で栄養を補えている人ならいいんだけど、そう出来ない人もいるからね」
恵真の言葉にリリアは目を丸くする。
自分たちの家のパンに誇りは持っていたが、それが誰かの健康に役立っているというのは今、初めて知った知識である。
祖父や父が作り上げていたパンは、それを買う人々の身体にも良いものだという恵真の言葉にリリアは頬を赤くする。
白いパンが好まれ、良いものだと漠然と皆が思い、リリアもそう受け取っていた。しかし、恵真が言うには白いパンにはない良さが、黒いパンにはあると言うのだ。
「……エマさま、ありがとうございます」
「ううん? 私も楽しいから」
リリアの感謝の言葉は単に今回、調理を手伝ってくれたことに向けられたものではない。恵真の視点や知識は、リリアにとって新たな発見をくれる。
いつもと変わらぬ父が焼いたパンの知らなかった良さをまた一つ知れたのだ。
リリアの思いには気付かず、恵真は楽し気にパンを薄切りにしていく。
そんな恵真の隣でリリアも嬉しそうに微笑むのだった。
*****
リリアが持参したパンを恵真はパン切り包丁で薄切りにする。食感にパサつきや硬さがあるパンも薄くすると食べやすい。
切り分けたパンをフライパンで熱して、表面をカリッとした食感に仕上げる。
そのうえにバターを塗り、ハチミツをかけて、砕いたクルミを散らす。
「一枚目はハチミツとクルミでシンプルに。ハチミツは比較的手に入れやすいんだよね」
「はい。砂糖と比べると格段に購入しやすいです」
「で、次はこれ。ミートソースなんだけど、余り肉とトマトで出来るからどこのお家でも作れるんじゃないかな」
恵真が冷蔵庫から取り出したのは、昨晩のうちに作って置いたミートソースである。以前、ハンバーグを作った際にミートソースの作り方も伝えた。
レンジでミートソースを温め、焼いたパンにはバターを塗り、ソースをつけて食べる方法だ。
「こちらはソースをつけて食べるんですか?」
「もちろん乗せてもいいよ。でも、こうしてソースに付けるのって目先が変わるかなって。焼いてあるし、食感も変わるからね。あ、で次のはリリアちゃんにも野菜を切って貰おうかな」
「はい! 頑張ります!」
ミニトマトを数個、まないたに置いた恵真はそれを小さく切るようにリリアに伝える。その横で新玉ねぎをみじん切りにする。
ボウルにサラダオイルと酢、塩を入れて混ぜ合わせ、その中にトマトと新玉ねぎを入れて和える。最後にレモン汁を絞って完成だ。レモンはマルティアではトルートで代用が出来るだろう。
それを焼いたパンの上に乗せる。
「なんだか凄く格好良く見えるな」
「大人の食べ物っていう感じがするねぇ」
「わかる! 大人がお酒と食べそうだよね」
興味津々といった様子で眺めていたアッシャーとテオの感想に、リリアも力いっぱい同意する。そんな子どもらしい会話に恵真は笑いながら、じゃがいもを千切りにしていく。
フライパンでじゃがいもを塩で炒め、しゃきっとした食感が残る程度に炒めたらこちらもパンの上に乗せ、少量のチーズを乗せる。
以前、新キャベツをホットサンドにしたときに、アッシャーもテオもチーズには驚いた様子がなかった。そのことから、チーズも比較的入手しやすいと恵真は考えたのだ。
「オープンサンドにディップで食べる形に分けてみたの。オープンサンドは華やかになるし、ディップは大人向けでいいかなって思うんだけど……どうかな?」
オープンサンドは3種類、ミートソースに付ける食べ方とリリアの店のパンを使った、色鮮やかなアレンジがテーブルに並ぶ。
アッシャーとテオは目を輝かせ、リリアはパッと表情を明るくし、恵真に笑いかける。
「凄く綺麗ですね! 同じ父のパンを使ってこんなに違う見た目になるなんて」
「見た目だけじゃなく、味もそれぞれ違うの。さぁ、皆食べてみて」
アッシャーはじゃがいもとチーズのパンを、テオはミートソースを付けて食べる。リリアはトマトと新玉ねぎをサラダ風にしたものを食べる。
トマトの風味と新玉ねぎの食感、そこに柑橘類の爽やかな香りが広がる。水分が多い具材はリリアの家のパンに染みて、食べやすくなる。
「美味しいです! それにオシャレな感じで今、パンを卸している料理屋さんや宿屋さんで好まれそうです!」
「良かった。アッシャー君とテオ君はどうかな?」
もぐもぐと口を動かしていたテオはごくりとパンを飲み込むと、にこっと笑って恵真に感想を言う。
「美味しい! ミートソースを付けて食べると大人な感じになるねぇ」
「味が濃いからどんどんパンが進みそうだな。僕のは、じゃがいものシャキッとした感じとチーズのとろっとした感じ、その二つが組み合わさってて凄く美味しいです」
二人の言葉に恵真はもちろん、リリアも嬉しそうに微笑む。
恵真の料理によって、パンの良さが引き立ち、さらに調理法や食べ方が広がっていく。それを今、リリアは目の当たりにしたのだ。
だが、リリアには一つ不安な点がある。
今日考えたのは恵真であり、リリア自身がしたことはない。
それを店で誰かに教えるのはずるい、そんな気持ちになったのだ。
「どれも凄く美味しそうです……でも、これはエマさまの料理と知恵で、私の考えではありません。それをお客さんに教えるのは、なんというかずるいと言いますか、自分の力ではないですし……」
リリアの言葉で、和気あいあいとした雰囲気だった部屋が静まり返る。アッシャーとテオは心配したように、恵真とリリアを交互に見つめている。
恵真はリリアをじっと見て、何を言おうか迷っている様子だ。
口にしてしまったものの、せっかくの恵真の案を拒むように聞こえたかもしれない、それでも恵真の知識を利用しているようで心苦しい、そんな二つの思いでリリアは迷う。
そのとき、ポンとリリアの肩に手が置かれた。
恵真の手である。
何度も労わるようにトントンと恵真は手をリリアの肩に優しく乗せる。
下を向いていた顔を上げると恵真は微笑みながら、何度も頷く。
「私もね、皆に助けて貰ってるんだ」
「え、エマさまがですか?」
恵真の言葉にリリアは驚く。どちらかというと、恵真の料理への知識や発想、それらがマルティアの人々に広がり、皆が助けられている。
そんな印象をリリアは受けていた。
だが、恵真は自分自身も助けられていると語る。
「ここに来て何もわからないときには、アッシャー君とテオ君に。リアムさんとバートさんにも街のことを教わったし……ここだけの話じゃなくて、昔から家族にも気付かないうちに助けて貰ってたの」
「でも、私はクランペットサンドもそうですし、助けて貰いっぱなしです……」
自分自身で口にしながら、しょんぼりとした様子のリリアに恵真は再び笑う。恵真もまた、同じような思いを抱くことがあった。
誰かに助けられると迷惑をかけていると、心苦しさを感じたのだ。
その度に祖母や岩間さん、人生の先輩にその度に言われてきたことがある。
「じゃあ、リリアちゃんが大人になって困っている人がいたら、助けてあげてね」
「え、エマさまにじゃなくってですか?」
「そう。私もね、そう言われてきたの。だから、リリアちゃんもいつか誰かが困ってたらそうしてくれたらそれで十分」
「エマさま……」
「そもそも、これは皆に広めるための食事だから。リリアちゃんじゃなくって皆にとって良いことだからね」
恵真自身も同じように誰かに助けられ、まだ若くその恩を返せないことがあった。その度にこうして諭されたり、自分に言い聞かせた言葉をこうしてリリアに向けていることは感慨深く、同時に少し気恥ずかしい。
照れたように笑う恵真に、アッシャーとテオは安心したようにお互いに顔を向け合って笑う。
「……わかりました。では、いつか私はエマさまのようにしっかりと悩む者に手を差し伸べ、その人たちを助けますね!」
グッとこぶしを握り、宣言するリリアに恵真は照れて顔を押さえる。
「悩む者に手を差し伸べ、助ける」そんな大きなことをした覚えは恵真にはないのだ。
「いや、あのリリアちゃん……そこまでは、その」
「いえ! 私はエマさまのように人に優しく出来る大人になります!」
「あぁっ! その、困る!」
「なぜですか? 先程、エマさまがおっしゃったじゃないですか?」
困惑しつつ、わたわたと照れる恵真の様子にアッシャーとテオはきょとんとした表情である。リリアの言っていることは当然のことだと二人には思えたのだ。
まだまだ、自分を褒め続けるリリアに恵真の頬が赤くなっていったのは夕暮れの日差しのせいだけではないだろう。
リリアの称賛はしばらく続き、恵真は頬を押さえ続ける羽目になるのだった。
今、マルティアの街では、働く人々に慕われる女性が二人いる。
一人はホロッホ亭の女将、アメリアである。
冒険者から兵士、街の人々はこの頼りになる女将に話をしに店に来る。
もう一人はパン屋のリリアである。
彼女は多くの働く女性から頼られ、姉のように慕われている。
ある日、どうしてこんなに助けてくれるのかと尋ねた者がいた。
それに対してリリアは
「私も同じようにある女性に助けられて、そのときにこの恩を誰かに返す人になるように言われたのよ。だから、あなたもそうしてね」
そう言って少し寂しそうに笑ったと言う。
それが誰なのか、リリアにどんな影響を与えたのか知る者は少ない。
だが、彼女の優しさがリリアに伝わったように、リリアの優しさで誰かが救われ、その誰かがまた他の誰かを助ける日が来るだろう。
リリアはそう信じて、今日も店に立つ。
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