135話 リリアのパンとその未来
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GWも過ぎ、初夏の日差しで緑は良く茂るようになった。
恵真は裏庭の鉢や小さな畑の手入れに精を出している。先日はトマトやきゅうりの苗を植えた。毎日、その苗にも鉢植えのハーブにも水をあげている。
春の初めに植えた苺は既に小さな実をつけていた。少しだけ赤くなった苺はあと数日で食べ頃になるだろう。
これから夏の間はハーブや野菜の実りが楽しめる。そんな期待に恵真は一人、口元を緩めながら作業を進める。
「恵真ちゃん、アイスティー飲まない?」
「あ、ありがとう、おばあちゃん。ちょっと休憩しようかな」
裏庭のドアに続く階段に腰掛け、祖母からアイスティーを受け取った恵真はグラスに口をつけながら、見上げた太陽の眩しさに目を細める。
この時期は意外にも暑く、紫外線も強いのだ。
ほんの少し前まで穏やかな春を感じていたのに、今はもうすっかり初夏の暑さである。季節の移り変わりに目が行くのも、恵真がこの生活を始めたからであろう。
カラカラと涼し気な音を立てるアイスティーのグラスにはもう水滴がついている。
ごくりと飲み干した恵真は祖母に礼を言い、再び庭の作業へと戻るのであった。
*****
久しぶりに喫茶エニシに訪れたリリアはなぜかとても緊張した面持ちである。
日差しが強くなった屋外とは違い、喫茶エニシの店内はひんやりと心地よい。
レースのカーテンが日差しを遮る効果もあるためでもあるし、もう少し暑くなってから故障中では困ると、恵真がエアコンのスイッチを入れて、様子を見ていたせいもある。
「あ、肌寒かったりする? 何か、ひざにかける? 紅茶はねぇ、温かいのも冷たいのもあるよ。どっちがいいかな?」
「寒くはないです! お茶は温かい紅茶をお願いします」
「はい、じゃあ少し待っててね」
アッシャーとテオはそよそよと吹いてくるエアコンの風をじっと眺める。
久しぶりに恵真が魔道具エアコンを稼働させたが、山にいるかのようなひんやりとした涼しさは二人にとって何度味わっても不思議なものなのだ。
恵真も何の疑問も持たずに普段使ってはいるが、エアコンに冷蔵庫、湯を今沸かしているコンロにしても、その理屈を理解して使用してはいない。
不思議で便利な道具は、恵真が科学を知らなければ魔法だと感じるはずだ。
二人の様子に口元を緩めながら、茶葉にお湯を注いでいく。
そんな恵真をじっと見つめたリリアが思い切ったように口を開いた。
「あ、あの! 今日は私の家のパンを持って来たんです!」
「わぁ! 美味しそうなパンだね。リリアちゃんのお父さんが作ってるんだよね」
「はい! 私も一緒に手伝っています。あ、クランペットサンドももちろん人気なんですよ! えっと、あの、召し上がってみて頂けますか?」
「え、いいの? じゃあ、お言葉に甘えて食べてみようかな」
手渡されたパンは見た目よりも重さがある。固めのライ麦パンといった雰囲気だ。真剣な雰囲気のリリアに言われ、パン切りナイフで薄く切り、ちぎった欠片を口にする。少しパサつきと硬さがあるが、酸味があり味わい深い。
恵真は素朴な旨味に頷きながら、リリアに笑顔を見せる。
「うん、美味しい! 程よい酸味があって、お酒にも合うんじゃないかな」
じっと恵真の様子を不安げに見ていたリリアもまた、安堵したように笑顔を見せた。普段、白いパンやバゲットサンドを食べているだろう恵真がどんな反応を示すか不安だったのだ。
「そ、そうなんです! 実はうちのパンは宿屋や料理店でも使ってたりするんです。でも、ちょっと気になっていることがあって、それでエマさまにご相談したいんです」
「ご相談、えっとなんでしょう……」
改まった様子のリリアになぜか恵真も改まって答える。
キッと顔を上げたリリアはまっすぐに恵真の瞳を見つめる。その表情は真剣そのものだ。そんなリリアに恵真もまた真面目な面持ちで話に耳を傾ける。
「もっと、父のパンの良さを広げるにはどうしたらいいでしょうか?」
目を瞬かせて恵真はリリアを見つめる。
リリアがこのパンを大事に思い、店のことを懸命に考えていることを恵真は知っているのだ。リリアの瞳からはそんな真摯な思いが伝わってくる。
そんなリリアの期待に応えられるのだろうかと、見た目よりずしりと重い受け取ったパンが、なぜかさらに重く感じられる恵真であった。
*****
「父や祖父が作り上げたパンの味に、自信はあるんです。でも、白いパンに対する皆の憧れは強いですし、これからマルティアの人たちの食事の好みも変わっていくと思うんです」
温かな紅茶に口を付けたリリアが話す言葉に恵真は耳を傾ける。
確かに食の好みや調理も、それぞれの文化もあり、時代と共に変化するものだ。
恵真がマルティアの人々のじゃがいもや野菜のイメージで、どう料理するか悩んだのもそういったところにある。
「じゃがいもと同じように印象の変化があったらいいのかなって、そう考えたんです。エマさまはどうお考えになりますか?」
「うーん、まずリリアちゃんのお父さんはどう考えているか聞いてみた?」
大事なのは作っているリリアの父ポールの考えである。
リリアと父のポールで経営しているパン屋なのだから、そこでの意見のすり合わせは必須だろう。
恵真の言葉にリリアは少し拗ねたような表情を見せる。
「父は考え過ぎだって言うんです。きっとお客さんにはわかって貰えてるって……ただ、そのうえで私が気になることは考えてみろって」
「じゃあ、お父さんと相談はしてるんだね」
自分の方針は変えず、リリアの考えも尊重する父ポールの娘への優しさに恵真は微笑む。リリアもまた店や自分たちのパンを大事に思うからこそ、何か行動を起こそうとしている。クランペットサンドもそうだが、リリアの意欲はポールの店に良い影響も与えているのだ。
アッシャーとテオには温かい緑茶を出したため、まだリリア以外に客のいない店で二人も静かにお茶を飲んでいる。お茶菓子は薄切りにしたリリアのパンにバターとジャムを塗ったものだ。
リリアの前にも同じものが置かれているが、なぜかそれを興味深そうに彼女は見つめている。
「パンってこんな薄く切ってもいいんですね。スープやミルクに浸して食べたりするので、ここまで薄く切ったりはしないんです」
「あぁ、確かにその食べ方だと、あまり薄いと食べにくいものね。そっか、そういう何気ない違いがあるなら、今のパンを変えずに新しい食べ方の提案とかも出来るんじゃないかな」
「私が気付いていないだけで、父のパンをさらに美味しく食べる方法もきっとあるはずですよね! そっか……そういう変化も考えられますよね」
恵真の言葉にリリアは表情をぱっと明るくする。
リリアとて、今のパンに大きな不満はないのだ。むしろ、良さを知っているからこそ、現状に歯がゆい思いがある。
白いパンが高級とされ、黒いパンがあまり好まれない。
それは時代や人々の感覚によるもので、善し悪しも食べる人による。
だがリリアは父のパンの良さを伝え、より多くの人に知ってほしい。そんなきっかけを求めて悩み、恵真を頼ったのだ。
「うん、リリアさんのお店のパン美味しいもんねぇ」
「ほら、テオ。パンがこぼれてるぞ」
どうやら、普段からマルティアのパンを食べるアッシャーとテオにもリリアの店のパンの味は好評のようだ。
アッシャーとテオの言葉と様子にリリアも嬉しそうに笑う。
「ね、パンを変える必要はないと思うよ。でも、味を良く知るリリアちゃんだからこそ、お客さんに良い提案が出来るかもしれないね」
今のパンを変える必要はない。それはリリアの漠然とした不安を吹き飛ばす言葉である。新たな食べ方を提案することで、違う印象や一面を作り出すことが出来るのだ。リリアは恵真の言葉に安堵する。
父が作るパンの良さはリリアも十分に知っている。
だからこそ、それを今以上に多くの人に知ってほしい。
その思いから喫茶エニシへと訪れたのだ。
「じゃあ、私と一緒に考えてみよっか」
「ありがとうございます! 心強いです!」
緊張や不安がほぐれたのだろう。ここに来た時よりだいぶリリアの表情は明るく柔らかい。
父の店のために何かをしたい、そんなリリアの考えはまっすぐで懸命だ。
こうして、恵真はマルティアの人々が日々食べるパンのアレンジを、リリアと共に考えることになったのだった。
この時期は紫外線も強いそうです。
気付かないうちに疲れがたまったり
水分が不足するのかもしれませんね。
体調にお気を付けください。




