SS 恵真の誕生日
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「裏庭のドア」も4月中は週2更新です。
久しぶりに訪れた実家は昨年と何も変わらない。
昨年末にテレビ電話で会話し、普段もよく連絡を取っている母も変わらず元気そうで恵真はホッとする。
母の佐知子とキッチンに立って料理をする夕方のこの時間も、一緒に暮らしていた昨年を思い出す。「家にいるため、家族の役に立たねばならない」そんな気負いを抱いていた自分は、むしろ家族に気を遣わせていたのだろうと今の恵真は気付く。
「おばあちゃんは元気にしてる?」
「元気も元気、朝からごはんおかわりしてるし、最近は駅前に習い事に行ってるよ」
「ふふ、活動的でお母さんらしいわ」
習い事を始めた祖母は家でクロと留守番をしていた。
祖母は正月にこちらへと来ていたため、今回は恵真が顔を出した。
だが今日、恵真が実家へと戻っているのは正月に来れなかったこと以外にも理由がある。
今日、恵真は30歳になったのだ。
「あら、恵真。そのネックレス素敵ね、買ったの?」
恵真の首元には琥珀に似た色合いのネックレスが光る。こっくりとした色合いは落ち着いた輝きで恵真に良く似合っていた。
トントンと長ネギを切りながら、恵真がちらりとネックレスを見て笑う。
「うん、綺麗でしょう? 貰ったんだ」
「……そ、そう。良かったわねぇ」
誰に貰ったのか、そう聞きたかった佐知子だが、そこはグッと堪える。
娘とはいえ、恵真はもう30歳になる一人の女性だ。踏み込むべきではないだろうと思いつつ、みそ汁の味を確かめる。
だが、そんな心を察したのか、恵真自らその相手について語り出した。
「んー、友達っていうのは違うかな」
「…………そう」
「お世話になってる人って言う方がしっくり来るかも」
「あぁなんだ、そういう感じね。うんうん」
「? うん、そんな感じだよ」
恵真は男性とも女性とも言わず、「お世話になっている人」そう言ったのだ。
色々詮索して、せっかく笑顔が戻った恵真に変な気を遣わせるところだったと母の佐知子は安堵する。
一方の恵真としてもリアムとの関係をどう説明したものか悩んだのだ。
「あ、それハチミツ入れてたの?」
「そうよ。照りが出るし、コクも出るの」
「今度真似しよっと」
そんな会話の中、玄関のチャイムが鳴る。デイサービスへと行っていた祖母が帰って来たのだ。パタパタと玄関へと急ぐ恵真の後姿を見送って、佐知子は再び料理へと取り掛かる。
クツクツと音を立てる煮物は恵真が好きな炒り鶏だ。義母の瑠璃子も作るだろうとは思ったのだが、やはり久しぶりに帰って来た娘に作ってあげたかったのだ。
誕生日に炒り鶏は地味過ぎるのではないか、そもそも偶然誕生日に帰ってくることになっただけで祝われるのは気恥ずかしいのでは、様々な思いがあった。
だが、恵真の表情を見て、やはり祝うことにして良かったと佐知子は感じた。
この一年の変化を、恵真の努力を祝いたいと思ったのだ。
「おばあちゃん、おかえりなさい」
「まぁー、恵真ちゃん! この子ねぇ、私の孫なのよぉ」
「送迎ありがとうございます。祖母がいつもお世話になっています」
かすかに聞こえるそんな会話に佐知子は口元が緩むのだった。
*****
祖母は早めに就寝したため、父と母、兄の圭太と恵真の4人での夕食である。
食卓に並ぶのは恵真と母で作った料理の数々、炊き込みご飯に茹でたアスパラガス、こんにゃくのきんぴら、あおさの味噌汁、豚の生姜焼き、そして恵真の好きな炒り鶏だ。
誕生日らしい華やかさはないが、今まで家で食べていたこの料理は恵真にとって久しぶりの実家の味だ。
元気そうな恵真の姿に、口には出さないが兄の圭太も父も安堵する。
「で、恵真はなんか欲しい物とかあるのかい?」
「何? 急に。んー、特にないかなぁ。お兄ちゃんのセンスに任せるよ」
「あらやだ、本当に圭太のセンスで選んでいいの?」
「…………やめたほうがいいんじゃないか」
「ひどいなぁ、二人とも!」
恵真はくすくすと笑いながら、何がいいかを考える。恵真の今の生活に役立ち、尚且つ兄の圭太のセンスに問わないものがいい。
「あ、キッチン道具がいいな。ほら、ハンドブレンダーってあるでしょう? あれがいいなぁ。ミキサー使ってるんだけど、ちょっとの量のときはそっちのほうが便利だから」
「あぁ、ハンドブレンダー。調べとくよ」
「よかったわねぇ。いいわねぇ、お母さんもそういうの欲しいわー」
「ついでに強請らないでよ、母さん」
そんな中、無言を通す父がどこかそわそわしているように見えて恵真は不思議に思う。いつも寡黙な父だが、穏やかで落ち着いているのだ。
「どうしたの? お父さん」
「いや、なんでもないよ」
そんな父の隣で母の佐知子はくすくすと笑う。様子がおかしいその理由を知っているのだ。
「ほら、ケーキ。恵真のパウンドケーキを楽しみにしてるみたいよ、お父さん」
「ふっ、そっか。父さん、甘いもの好きだしなぁ」
「恵真のケーキ、久しぶりだものねぇ。あたしも楽しみ」
学生時代から恵真がよく作っていた菓子は遠野家の団らんの思い出でもある。
一年前は料理から遠ざかっていた恵真のケーキが久しぶりに食べられることを、父は楽しみにしていたらしい。
そこまで、喜んでもらえるとは思っていなかった恵真はキッチンへと向かい、パウンドケーキを切り分ける。漬け込んだドライフルーツがたっぷり入ったパウンドケーキは味も良く染み込んでいるはずだ。
「俺も持っていくよ。一人じゃ持てないだろ?」
「ん、ありがと。じゃあ、これお願い」
兄と共にケーキを持っていくと少し父の表情が変わる。
なんとなくだが、嬉しそうに恵真の目にも映ったのだ。
「あら、フルーツケーキね。あたしもこれ好きだわー」
「でも、バナナとかチョコも旨いよね。生地に混ぜ込んでるやつ」
「お前は味覚が子どもだな。うん、旨い。これが一番だよ」
そう言って父が嬉しそうに口に運ぶ姿に恵真の口元は緩む。穏やかで寡黙な父だが、誠実で嘘は言わないのだ。
そんな家族の姿に安心し、気が緩んだ恵真はつい口を滑らす。
「お菓子はアッシャー君とテオ君も美味しいって言って……」
「どこの子?」
「えっと―、近所の子なの。近くに住んでいてよく来てくれるんだ」
事実であり、嘘は言っていない。だが、これ以上この話を続けると恵真は余計なことまで口にしそうだと自分のそそっかしさを反省する。
「あら、賑やかで楽しそうね」
「うん、楽しい。私、今楽しいよ」
その言葉に皆、黙り込む。
「楽しい」そう言った恵真の表情は柔らかで本当に嬉しそうに見えたのだ。
恵真に気付かれないように目を合わせ、兄も母も微笑む。
「まぁ、30歳になるし、大人としてもっと成長していかなきゃね!」
自分に言い聞かせるように恵真が発したその言葉に、父が顔を上げ、じっと娘の恵真の顔を見る。
その様子に恵真は少し驚き、父の言葉を待つ。
「数字じゃ図れないことも世の中にはたくさんあるんだよ。今年も笑って過ごせるなら、それで十分だと父さんは思うがな」
「…………お父さん」
年齢を考え、ふさわしい在り方をどこかで気にしていた恵真だが、家族の思いはまた違う。
この一年で恵真は変わった。その変化は家族にとって何よりも価値がある。
恵真が笑い、自分らしく生き、今の生活を「楽しい」と言えるまでになったのだ。
「…………ちょっと、トイレ行ってくるよ」
そう言って立ち上がった父はドアをバタリと閉める。
「……ふふふ。恥ずかしくなったのね」
「……まぁ、でも父さんの言う通りだよ」
母も兄もくすくす笑う。父があんなに長く話すのは珍しい。
どうやら話した結果、気恥ずかしくなって席を外したらしい。
恵真もまた笑いながら、滲む涙を隠すのだった。
*****
「いつもと違う天井だ……」
ふと、夜中に目を覚ました恵真はぽつりと呟く。
幼い頃から見慣れていた天井だが、今はなぜかしっくりこない。
みゃうみゃう鳴くクロもその温かな重さもないのだ。
胸元のネックレスに触れた恵真は持ち上げて、カーテンの隙間からこぼれた灯りでハチミツ色に輝く欠片を見つめる。
この一年の日々と出会い、今日の家族との会話を恵真は思い起こす。
ネックレスが守ってくれるとリアムは言った。
だが、アッシャーにテオ、リアムにバート、祖母の瑠璃子にクロと恵真はたくさんの人に助けられているのだと実感する。
そして、実家を離れても家族は恵真を案じてくれる。
恵真の目からはぽろぽろと大粒の涙が零れた。
明日からまた頑張っていこう。
30歳を迎えた夜、恵真は1人静かにそう決意するのだった。
恵真、誕生日を迎えました。
大人になっても恵真は悩みつつ、成長していきます。




