125話 新作、春のバゲットサンド 3
いつも読んでくださり、ありがとうございます。何気なく新作も書いてみました。
よろしくお願いします。
窓から見える空は穏やかだ。
身支度を整え、朝食も終えた恵真はバゲットサンドの準備をする。
まずは冒険者ギルドに卸す分のものを終えた。こちらは後ほど、ナタリアがギルドへと納入してくれる。
次は喫茶エニシの店頭で販売するバゲットサンドだ。
カリッと焼き上げた鶏もも肉とバジルのもの、こちらが一番人気である。そして、もう一品はハチミツバターとシナモンの甘いバゲットサンド。これは幅広い年代に人気だ。
今日は少しいつもより早く準備を始めた。
理由は新作のバゲットサンドを作ることにしたからだ。
冷蔵庫から取り出した食材は鮮やかなオレンジ色、そう恵真は人参を新たなバゲットサンドに使うことに決めたのだ。
「春は人参が美味しい季節なんだよ」
「みゃうみゃ」
「最近はキャロットラペとかも人気だし、いいかなーって」
薄く皮を剥いた人参を恵真は横半分に切り、今度は横に薄切りにしていく。スライサーを使えばさらに早く作れるのだが、この料理を街の人々が作った場合を想定して包丁のみで作業を進める。
薄切りにした人参は千切りにして、サッとゆでる。ポイントは長時間茹で過ぎないことだ。栄養も逃げる上、食感も悪くなってしまうのだ。
ざるにあげて、キッチンペーパーでしっかりと水分を切った人参をボウルへと移す。
「さてと、ここから味付けだね」
「みにゃう」
酢と塩コショウとレモン汁、シンプルな味付けで仕上げて出来上がったのは人参のサラダだ。今回、恵真はこれを新たなバゲットサンドの具材にするつもりなのだ。
恵真はフライパンを熱しサラダ油を引くと、味付けをして寝かせて置いた豚肉を冷蔵庫から取り出す。
醤油と砂糖、みりんで甘じょっぱく味付けした豚肉はフライパンの中で、ジュウジュウと音を立て、香ばしい匂いが辺りに漂う。火が通り、照りも出た豚肉をフライパンから出し、バットにあげる。
横半分に切ったバゲットにバターを塗り、人参のサラダを乗せ、そのうえに甘辛く味付けした豚肉、そしてバジルをちぎって散らす。
残り半分のバゲットで挟み、新製品の豚肉と人参のバゲットサンドの完成だ。
「彩りも綺麗だし、なかなかの出来栄えじゃない?」
「んみゃうみゃう」
「あら、今日は三種類もあるのね。これは新商品? 色合いが綺麗だわー」
これはベトナムのパン、バインミーから着想を得たバゲットサンドである。甘辛く濃い目の味付けの豚肉にシャキシャキとした人参の食感を合わせ、食べやすくしたのだ。
見た目にも味にも自信のある恵真だが、肝心なのはマルティアの人々に受け入れられるかだ。
アッシャーとテオの到着を待ちながら、彼らの反応も早く知りたいと恵真は思うのだった。
*****
「……人参がどん! ってたくさんだね」
「恵真さんが作ったバゲットサンドなんだ。きっと美味しいぞ」
「うん、すっごく美味しそうな匂いがする」
予想通りの反応に恵真はつい吹き出す。
確かに子どもの頃、恵真も山盛りの野菜を見て喜ぶ方ではなかった。程度の差はあるが、子どもはあまり野菜を好まないものだ。
これが大人になると自然と食べられる物も増えていくから不思議である。
「じゃあ、美味しいかどうか、試してみない?」
恵真はカットした新作のバゲットサンドをアッシャーとテオの前に差し出す。
皿に入ったバゲットサンドは豚肉も人参もたっぷり入っているのがわかる。
「どうぞ、そこに座って食べてみて」
ちょんと椅子に座ったアッシャーはぱくりと、テオはそーっとバゲットサンドを口に運ぶ。すると、テオの目がパッと大きく開かれた。
「美味しい! このパン、すっごく美味しいよ!」
「良かった。軽く茹でてるから人参のクセも気にならないでしょ?」
もぐもぐと口を動かしながらどんどん食べ進めるテオの様子に恵真は安堵する。
見てわかるくらいしっかりと人参の形を残したバゲットサンドを美味しいと思って貰えたのなら、他の人々にも受け入れられる可能性が増したからだ。
「しっかりと味が付いたお肉と人参のシャキッとした食感、甘辛いのに少し酸味があるのもクセになりますね!」
「今のパンはがっつりお肉のバゲットサンドと、甘いバゲットサンドでしょう? お肉と野菜、両方取れたらいいなって思ったの。それに人参は長い期間、摂れる野菜だからね」
「エマさんが作るごはんは全部美味しくなるんだねぇ」
食べ終わった二人はその味に満足したようで、再び手を洗い、バゲットサンドの販売の支度を始める。
そんな二人を見送りながら、恵真は新作バゲットサンドの反応をそわそわしながら待つのであった。
*****
カチャリとドアが開き、帰って来た二人の様子に恵真は悟る。
二人とも俯いていることから、おそらく新作のバゲットサンドは売れ残ったのだと。その証拠にアッシャーはカゴを隠すように持って来た。恵真に気を使ってのことだろう。
静かに入って来た二人を恵真は明るい声で迎え入れる。
「ありがとう! その、初めてだから皆、買いづらかったかもしれないね」
「……エマさん」
「ん? 大丈夫だよ、そういう可能性も……」
「見てください! 全部完売したんです! 今日初めて出した新作も全部!」
「え、本当だ。カゴの中身、何も入ってない!」
バゲットサンドを入れたカゴの中身は空で、アッシャーもテオも嬉しそうに笑う。
二人は恵真を驚かせ、喜ばせたいとわざとカゴを隠し、入って来たのだ。
恵真が驚きと安心から、二人の髪を撫でるとテオは笑いながらも新作バゲットサンドの客の反応を教える。
「でもね、始めは皆、いつものしか買ってくれなかったんだよ」
「そうよね、味がわかってる方が安心して買えるし、外れがないものね」
「ちゃんと美味しいのにねぇ」
納得出来ない様子でテオが頬を膨らます。
すっかり新作バゲットサンドの味方になったテオの言葉に、恵真もアッシャーもくすりと笑う。
「女性の方が買ってくださって、お子さんがその場で召し上がったんです。そうしたら、『お肉が入ってシャキシャキで美味しい』って。その言葉で他の人も買ってくれたんです」
「その子のお母さんがね『ウチの子、本当は野菜が苦手なのよー』だって。やっぱり、小さい子は苦手だもんね」
「…………ふふ、そうだね」
先程までたっぷりの人参に苦手意識を持っていたテオは、もうすっかり自分は大人側の気持ちでいるらしい。
そんなテオの様子にアッシャーが恵真に小声で尋ねる。
「エマさん、この人参のサラダって特別な調味料を使っていますか?」
「ううん。お肉には使ったけど、サラダはキャベツのときと同じ、塩とお酢、あとはレモン……この国だとトルートを使えばいいと思うよ。あとは薄く切ってサッとゆでるだけ。お家でも簡単に出来るから作ってみてね」
「ありがとうございます!」
カゴを片付けに行く二人はパタパタと嬉しそうに少し早歩きだ。
なかなか売れない新作バゲットサンドに不安もあったのだろう。
恵真もまた不安を抱きながら、二人が戻ってくるのを待っていた。
新作バゲットサンドの完売に、恵真はふぅと息を吐き、ソファーでまったりとするクロの頭を撫でる。
「クロみたいに大きな力はないけど、私にも出来ることはあるよね」
不安からの小さな成功、恵真はそれをほんの少しの自信に変える。
そんな恵真の言葉に深い緑色の瞳を持つ魔獣は一声、「んみゃ」と鳴く。
未だにクロの言葉はわからぬ恵真だが、今のは「当然だ」そう言ってくれたように聞こえ、口元を緩めるのだった。
*****
発売を開始して数日、新作バゲットサンドは好調である。
初めは人参が入ったバゲットサンドに難色を示す客もいたが、主に女性を中心に売れ始めた。
バジルチキンのものはボリュームがあり過ぎたらしく、野菜と肉、両方摂れるこちらのほうが買い求めやすかったようだ。
食べた者からは「人参が食べやすいのはどうしてだ?」そんな質問もあったが、そのたびに恵真はアッシャーに教えたように人参サラダの作り方を教えた。
そんな恵真に商売にならないのでは? と案じてくれる客もいたが、恵真としては人参の調理法が知られることはさほど大きな影響にはならないと考えている。
入手が難しいバジルが入っていること、また醤油と砂糖を使った甘じょっぱい風味は喫茶エニシならではのものだからだ。
「じゃあ、今度はあのおじいさんのお店を使うの?」
「うん、配達も行ってるみたいなの。アメリアさんが教えてくれた幾つかのお店の候補にそこもあるから大丈夫かなって。ジョージの店って言うみたいよ」
「そっかー。じゃあ、僕たちはもうおつかい行かないの?」
なぜか、がっかりしたようなテオに恵真は首を振る。
「メインは配達だけど、ちょこっと足りないときにはおつかいを頼むかもしれないなー。お願いしてもいい?」
恵真の言葉にパッと振り向いたテオは目を輝かせる。
どうやらはじめてのおつかいでテオは自信をつけたらしい。
「ねぇ、ボクのスープはどうなってるの?」
「あ! ごめんね。アッシャー君、こちらをオリヴィエ君のところへお願い」
カップに注いだスープをアッシャーがそっとオリヴィエの元へと運ぶ。いつもの定位置、ふっくらとしたソファー席に座るオリヴィエはことりと置かれたカップのスープを見る。
柔らかいミルクとオレンジの色合い、人参のポタージュスープである。
「人参のポタージュスープか」
口に出すことはないが、喫茶エニシのポタージュスープはオリヴィエの口に合う。
ぽつりと呟いたオリヴィエの言葉にテオがうんうんと頷く。
優しい眼差しをオリヴィエに注ぎながら、近くに来たテオが声をかける。
「癖があるし、苦手な子も多いよね。スープだと食べやすいし、大丈夫だよ!」
「…………ねぇ、ボク今、この子に気を遣われてない?」
「……ふふっ」
「……テオっ!」
「ん? どうしたの?」
人参を多く食べられるようになった先輩として、テオはオリヴィエを労ったつもりだったのだろう。
そんなテオの優しさは156歳のオリヴィエのプライドを大いに傷付けた。
「ボクはね、無駄が嫌いだから携帯食を食べるだけで人参が食べられないわけじゃないんだよ? それにね――」
「あ、お客様だ。いらっしゃいませ!」
「ちょ、ちょっと! ボクはねぇ!」
春が来て、穏やかな天候が続く。
喫茶エニシもまたいつも通り、穏やかな空気が流れる。
変わらない日常の光景に、頬を緩ませるのだった。
SSを数話挟みまして、再び本編へと戻っていきます。次回のSSは恵真の誕生日です。




