98話 滋味滋養のすり流し
困難に遭われている方
心を痛めている方もいらっしゃると思います。
いち早い復興を願っております。
窓の外はうっすらと雪が積もり、日の光を受けて明るい。
長期の休み明けというものはどうにもしっくりこないものである。
だが、数日振りに会ったアッシャーとテオは表情はいきいきとして見える。アッシャーはきりりと引き締まった表情を、テオは嬉しそうに恵真に近付く。
恵真もまたそんな2人に会える今日の開店を待ち遠しく思っていた。以前までは休み明けが憂鬱で億劫に感じていたことが遠い昔に感じられる。
「元気そうでよかった。ゆっくり休めた?」
「はい! 母と色々話したり、家で勉強したり遊んだり出来ました」
「ふふ、よかった。今日からまた頑張ろうね」
「うん! でもエマさん、皆は大丈夫かな」
喫茶エニシに訪れた大人たちの様子を見てテオが言う。
ぐったりとカウンターにもたれかかったバートとナタリアの様子に、恵真も大丈夫だとは言いにくい。そんな2人の近くで呆れているのがリリアだ。
リリアは年末の仕事は売れ行きも好調だったようで、久しぶりに会えた恵真に嬉しそうに伝えてくれた。
だが、一方のバートとナタリアは悪い大人の見本のような過ごし方をしたらしい。
「頭が、頭が割れるように痛いっす」
「バート、奇遇だな。私も同じだ」
「当たり前でしょ! 2人ともネンマツネンシをだらだらとお酒ばっかり飲んで過ごしてたんでしょ?」
「いやそれは誤解だ、リリア。それ以外にもよく食べよく寝て過ごしたぞ」
「それじゃ、より悪いじゃないの!」
年末年始に自由な時間があった2人は散々飲み食いして過ごしたようだ。その結果が今、体に響いているようで2人ともぐったりとしている。
それでもナタリアは冒険者ギルドにバゲットサンドを届けてきてくれたのだ。その後、力尽きてここで休んでいる。
一方のバートは明日から職務があるらしく、それを嘆きつつ体力回復を兼ねてここに足を運んだらしい。
そんな2人の姿を見た恵真がぽつりと呟く。
「でも、心配ですね」
「あぁ、疲れた体にトーノ様の優しいお言葉が心に沁みるっすねぇ」
「エマ様。心配などしなくってもいいんですよ? あ。わ、私もネンマツは仕事を頑張ってほんの少し疲れてるかもしれません!」
バートはしみじみと感じ入るように恵真の言葉を聞き、リリアはほんの少し拗ねた様子だ。だが、恵真は即座に2人の言葉に首を振る。
ここ喫茶エニシの当主である恵真が心配しているのは別のことだ。
「いえ、お客様にお出しする食事のことなの。きっと来る方も胃が疲れていたりするんじゃないかしら。うーん、今日の食事は見直した方がいいかも」
そんな過ごし方をする者ばかりではないが、確かにこの時期は連日の食事や予定で胃も疲れやすいのは事実である。それならば今日、提供する食事もそのことを配慮したものに見直した方が良いと恵真は考えたのだ。
「それは良いお考えですね!」
「エマさんはお客さんに優しいね。バートも明日、お仕事頑張ってね」
「うっ。オレもお客さんなのに」
大げさに拗ねて見せるバートにアッシャーが首を傾げる。バートのことを客として見ているかというと何かしっくりこないのだ。
「うーん。俺たちからするとバートは仲間みたいな感じだけどね」
「うん。俺もそう思う。なんか親戚のお兄ちゃんみたいだよな」
そんなアッシャーとテオの言葉はバートにとって予想外だったらしい。
赤茶の髪をわしゃわしゃと掻き、バートは照れくさそうに目を逸らす。用事を思い出したとそそくさとドアを出ていくその背中を、きょとんとしながらアッシャーとテオは見つめている。
そんなバートと見送る兄弟、その微笑ましさに恵真は日常がまた始まったことを感じるのだった。
*****
その日の定食のプレートのメイン料理を恵真は野菜入りのリゾットにした。
米料理を普及させるために案を出した礼に、アルロから貰った米で作ったものだ。煮込んだ米ならば消化にも良く、食欲を落とした者にも食べやすい。
そんな話を興味深げに聞くのは冒険者のリアムである。
「以前も料理と健康のお話を聞いたのですが、やはり興味深い内容ですね。栄養の高さとはまた別に、食事をする本人の状態によって負担になる。体力が落ちたものであれば食事をすることもまた困難になります。―これは改めて考える必要があるな」
キャベツが胃に良いという話や逆に酸味のあるものや肉類が負担がかかる話は以前、恵真から聞いた。豆類が肉の代わりにもなるなど、恵真の知識は興味深い。
その多くを恵真はこちらに教え、広めてもかまわないと言ってくれたのだ。薬草は大きな結果だが、じゃがいも料理への意識、米の普及などその知識は食生活の改善に広がっている。
「考える必要がある、とは何か問題でも?」
「収穫祭のときに恩師に会ったのですが、現在は信仰会にて勤めを行っています。先日、そこに伺った際に気になることがありまして」
収穫祭以降もリアムはディグル地域に近い信仰会の集会所に顔を出している。エヴァンス家としての教会との兼ね合いもあり頻繁には訪れないが、恩師であるクラークや集会所の人々のことで気がかりなことがあったのだ。
「彼らが配給し、集まった人々が麦をミルクで煮たものを食していたのですが、トーノ様のお考えではこちらはいかがでしょうか」
「麦をミルクで煮た料理は私も知ってます。ポリッジと呼ばれていました。繊維質は豊富で健康にも良いんですが、消化にはあまり良くないんじゃないかな」
恵真の返事を聞いたリアムの表情は冴えない。
今、マルティアで食べられているパンから推測する麦はライ麦に近い品種の物で消化にはあまり良くないはずだ。その分食物繊維やビタミンやミネラルが多く含まれ、栄養価は高い。ミルクで煮込まれているなら、さらに健康的でもある。
信仰会の配給でそれらを皆が食べていても特に問題はないと恵真は伝える。
だがリアムはめずらしく眉間に皺を寄せ、何かを考えているようだ。
「実は信仰会には別棟があるのですが、そこには病に臥せっている方たちがいらっしゃるのです。その食事に彼らは苦心しているようでして、トーノ様にお聞きしたリゾットがその代わりにならないかと考えておりました」
病に臥せる人々の食事と聞いて、恵真もまた眉を寄せる。
消化に良いだけではなく最低限の栄養素も含んでおらなければ、回復にも影響があるだろう。医療的な知識は持たない恵真としては、その責任の重さを考えると口を出すのに躊躇してしまうのだ。
恵真の表情を見たリアムは柔らかい微笑みを浮かべる。
「リゾットは以前、米の普及のために調理法を広げても構わないとのお話でしたね。クラーク氏に調理法をお教えしても構いませんか?」
「え、えぇ、もちろんです! ぜひお伝えください」
「ありがとうございます。今の段階ではまだ、米の方が価格も抑えられますし、消化にも良いならば回復の手助けになるでしょう」
いつもと変わらぬリアムの穏やかな笑みと言葉。
それに曖昧な笑顔を返すしか出来ない自分を、どこか心もとない存在に感じる恵真であった。
*****
「それで今日はそんな感じなのね」
帰宅した祖母の瑠璃子は、しょげながらクロを抱きしめる恵真の姿を見て苦笑いする。ソファーの上でクロを抱きしめ、座る恵真はすっかり落ち込んでいた。
クロはというと居心地良さそうに喉を鳴らしてご機嫌だ。
「うーん。自分の力のなさを実感したというか、やるせない気持ちになっちゃって」
そう言う恵真だが、夕食はしっかり用意してくれたようでキッチンからは良い香りが漂ってくる。鍋には半端な野菜を使った具沢山の味噌汁、皿には白菜と豚肉の炒め物と紅白かまぼこを使った和え物が見える。旬の白菜とお正月の余った食材を使った健康的な食事だ。
自身が落ち込んでいるにもかかわらず、料理はきちんと工夫しているのは恵真らしく瑠璃子は微笑む。
冷蔵庫に買ってきたものを入れながら、瑠璃子は恵真に尋ねる。
「今までみたいに香草や香辛料を使うのじゃだめなの?」
「それも考えたの。でも今、集会所にいる人にしか効果がないでしょう。もちろん、それは凄く意義のあることだけど今後には繋がらなくて。なんだか、自分の力のなさを実感しちゃった」
祖母の言う通り、香草が薬草として効果を発揮するのであれば今現在、病に苦しむ人には一定の効果があるだろう。だがそれは香辛料や香草を使えた場合のみである。彼らにとって継続した薬草の入手は困難だ。それでは今後、病にかかった人々を助ける食事にはならないだろう。
彼ら自身が作れ、今後も根付き、広がっていく料理でなければ今後が困るのだ。
無論、恵真とて助けられる人を放っておくのは心苦しい。
だが、医療の知識がない恵真にとって香草や香辛料を使わず、病気の人々に良い料理を考えるのもまた難しいのだ。
「そうね。今、困っている人を救えるのは価値のあることだわ。でも恵真ちゃんの悩む理由もわからなくないわね。でも料理を作る理由ってそれだけかしら」
「え?」
久しぶりに落ち込む孫娘の姿を見つめつつ、祖母の瑠璃子は自分の考えを伝える。今の恵真には香草などを使った料理を作るか、あるいは確実な知識の元に調理する考えしか浮かばずにいるようだ。
だが、もっと本質的な部分が大事なように瑠璃子には思えるのだ。
「何のために食事を作るのか、それをもう一度考えてみて。そうしたら、きっと違う考えも見えてくるはずよ」
「何のために……」
困惑した表情の恵真だが、祖母はそれ以上は何も言わない。
瑠璃子が旅行から戻ってくる前から、恵真は自分の力と周りの人々の支えを持って問題を解決してきたのだ。
そんな恵真であれば、きっとこの問題も己の力で解決へと向かっていける。
祖母である瑠璃子は恵真を信じているのだ。
「じゃあ、ご飯にしましょうか。今、お味噌汁温めるわね」
その言葉にもぼんやりとしたまま、恵真は先程の祖母の言葉の意味考えあぐねるのだった。
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