番外編 葵の栞
葵未来は上に兄がいた。
兄の名前は葵渚。
優しく包容力があり、冷静で落ち着きがある男性だった。
歳が離れた兄妹ではあったが、そんな兄のことを誇りに思っていたし頼りにしていたこともある。
だが、未来が中学に入学し半年が経過した頃、事件は起こった。
高校で教師をしていた渚が行方不明になったのだ。
消えたのは渚だけではなく、学校に残っていた生徒、教師含め行方が分からなくなっていた。当時は大きな事件として取り上げられていたが、今は人々の記憶から忘れられている。行方不明となった人たちは兄含めまだ見つかっていない。
未来は自分の兄が消えたことに悲しみとともに衝撃を受けていた。
なぜ兄が消えなくてはいけなかったのか、そこに理由はあるのかを考えていた。一人の人間ならまだしも、大勢の人間が消えるなんてありえるのだろうか。色々な疑問が頭に駆け巡る。
兄が勤めていた高校にも足を運び、手がかりになる情報を探し一枚の掲載記事を見つけた。
異世界の案内人現る!!
ふざけた内容の記事だったが藁にも縋る思いで読み込んだ。
異世界の案内人。
今回学校で起きた事件は案内人が異世界に連れ込んだせいだと書かれていた。
オカルトじみた話に信憑性がなかったが記事の最後にこんなことが記載されている。
以前にも似た事件が何件かあり、行方が分からなかった人間が何人か帰って来ていたのだと。
未来はこの情報を頼りに古い情報を集め始めた。
ネット、新聞、図書館。ノートとスクラップブックを片手に走り回る。調べれば調べるほど、異世界の案内人の事件は謎に満ち溢れていた。
消えた人間が多かったり少なかったりと雑、かと思えば行動範囲は一定に定められており徹底している。事件が起きた場所に点をつけてコンパスで円を描くと以外にも未来が住んでいる近辺にも昔事件が起きていた。
この事件は小学六年生の少女が消え、神隠しと呼ばれていた事件。数ヵ月後に少女は帰ってきたが、いなくなっていた頃の記憶はなくなっていたそうだ。
未来は小学生の頃の記憶を手繰り寄せた。
当時、同学年だった幼馴染の冬華が学校に登校していなかったことを思い出す。心配で何度も彼女の家に行ったが入れてはもらえなかった。今では普通に学校に行っているし問題はないと思っていたが色々抱えているのだろうかと未来は考えてしまう。
本人に確認したくてもできない。相手のトラウマかもしれない内容を聞こうとは思わない。
彼女が神隠しにあったのなら、出来るだけ幼馴染の力になろうと未来は心に誓った。
◆◆◆◆◆
そして現在。高校三年生。
未来は無事、兄が勤めていた高校に受かりそれから三年間、学校で起きた事件を求めて新聞部に入部。部長の月宮要にこき使われながら情報を集めていた。新聞部には代々部長が古い記事を年代ごとにまとめて保管していたようでファイルがずらりと並んでいる。
とてもありがたいことだが、膨大にある記事を特定して探すのは骨が折れる。そんな時、月宮が的確に記事を見つけて教えてくれていた。彼は他人と干渉しないタイプで、誰かと話をしている姿はあまり見かけない。不思議な雰囲気と違って、口を開けば毒を吐くいけ好かない奴だが悪い奴ではなかった。
何年かけて調べても、有力な情報は見つからない。
半ば諦めかけたある日のこと、月宮が放課後教室に残るようにと念を押してくる。
不審者事件で大変な時に何事かと月宮を問い詰めて彼はこう言ってきた。
「今日、君のお兄さんの情報を持っている奴がここに来る」
「な、それ本当なの!」
未来が声を荒げて叫ぶと月宮は氷のように冷たく睨みつけている。
「お兄さんに会いたいんだろ? 夕方遅くまで学校に残ってそいつが来るまで待つんだ」
「待つって、如月の話聞いてなかったの? 不審者がいるかもしれないんだよ。正気なの?」
「だから、待つんだよ。その不審者に会うんだ」
有無を言わせない迫力に未来はたじろいだ。
月宮が言いたいことを理解したくないと思う反面、兄の情報が分かるかも知れないという希望とで心は二の足を踏んでいた。
「迷うのは好きにすればいいけど、決めるのは君だよ。これもいちよう情報の内に入るか分からないけどね」
そう言って月宮は教室から出て行く。
未来は彼の後姿を眺めて眉をつり上げる。もし、不審者に会えたとしても兄を探し出す手がかりが見つかるのかと思い悩んだ後、小さく口角を上げて笑う。
「今まで、何のために情報を集めていたの? 今更しり込みなんて笑える」
兄を探し出す。
それが未来を動かす原動力。
「私はブラコンなのよ! 不審者が何ぼのもんじゃ!」
静かな教室で大声が響き渡ると、廊下の方からぶふぉと吹きだす音が聞こえた。
未来はすかさず廊下を確認したが誰もいない。頭に疑問符を残しながらその場を後にし下駄箱まで歩いていった。
◆◆◆◆◆
下駄箱で待ち合わせをしていないのに幼馴染が息を切らして走ってきた。
本人に何事かと問えば、月宮が変なことを吹き込んだとか何とか。詳しい事情を聞いて未来は月宮について深く考える。
彼は知りすぎている。
何かを見透かす様な振る舞いに大抵の相手は居心地の悪い思いをするだろう。月宮はわざとそれをしている節がある。
帰り道、幼馴染の前ではエスパーと答えたが、もしかしたら本当にエスパーなのかもしれないと未来は苦笑いする。
未来は苦笑いついでにどう学校に戻ろうか考えていた。
目の前の幼馴染をどう言いくるめて抜け出そうかと悩めば転機はすぐやって来る。
彼女は宿題を学校に忘れたと言い残し走り去ってしまったのだ。
おっちょこちょいな幼馴染のおかげで一人になれたのはいいが、不審者がいる近辺で今一人になるのは危険だ。
未来はすかさず走って幼馴染を追いかけた。
森林公園は通らず、公道を抜けて学校に戻る。大回りになるが人通りが多い方が危険は少ないだろう。時間をかけて辿りつくと校門の前に怪しい男が立っていた。
長身で眼鏡、色白の肌に銀髪といかにも目を引く人間。土まみれのトレンチコートが怪しさを引き立たせていた。もう暗くなりかけの学校に何の用だろうかと未来が睨んでいると、男は足早に学校に入っていく。
土足で廊下を走ろうとしていたので未来は急いで銀髪の男に向かって走りながら呼び止める。
「ちょ、ちょっとそこのお兄さん。関係者以外立ち入り禁止ですよ!」
息を乱しながら未来が校内に入ると、男は後ろを振り向いて驚いた顔でこちらを見つめていた。
未来はその様子に目を細める。
「私の顔に何かついてます?」
「ああ、すみません。知り合いに似ていたものですからつい」
「はぁ、そうですか」
「私、今とても急いでいまして。三年の教室が何処にあるかご存知ですか?」
「土足で廊下に立ってるような人に教えると思います?」
「いやはやごもっとも」
男は眼鏡を光らせながら軽快に笑うと、コートのポケットから本を取り出して勢いよく走り出していた。
脱兎の如く走る姿を未来は目でとらえることができない。
「な、何あの人? もしかして本当にマジモンの不審者?」
呆然となりらながらも、未来は慌てて男を追いかける。
男は三年生の教室に用があると言っていた。
(え、それだと冬華と鉢合わせしちゃうんじゃないの? それって危ないじゃん!)
もしあの男が不審者であれば幼馴染に危害を加える可能性が高い。それだけは阻止しなくてはと未来は急いで教室を目指した。
◆◆◆◆◆
息も絶え絶えに階段を上り三階に辿りついた未来だったが、そこには誰もいなかった。
静まり返った廊下を眺めて大きな声で幼馴染の名前を叫ぶ。
「冬華、いるんなら返事して。私、未来だよ。何処にいるの?」
返事はない。
未来の心は不安で一杯になる。
「なんで返事しないの? 先に帰ってるならいいんだけど」
未来は鞄からスマートフォンを取り出し画面をスライドした。待ち受け画面ではなく、ノイズまみれの画面が写された瞬間、驚いて手から離れてしまう。
「わ、何これ! うーん、故障でもしたかな?」
屈んで拾うとしたが、手元に何か光る物が掠って通り過ぎた。
未来は自分の右手をまじまじと眺める。温かい、赤い液体が流れるように滴り落ちていた。傷があることを認識した瞬間、痛みがやってくる。
「いった、嘘、怪我してる。一体何が起きたの?」
傷は浅いがまたいつ怪我をするか分からない。
危険物がないか確かめようと体勢を立て直して、未来が後ろを振り返る。すると、そこに鋭い針が目の前に突きつけられていた。
針から目線を外し、それを突き立てている人物を凝視する。
黒い、大きなフードとマントを着用した人物。その死神とも取れる禍々しい姿に、未来は息を呑んだ。
未来は直感で感じ取った、この人物こそが本物の不審者であると。
声を上げてとっさに逃げようとしたが、相手の動きが早かった。
黒マントの人物は素早く足払いをして未来を転倒させたのだ。横に崩れ落ち、その拍子に背中を打ったため体を動かすことが出来ない。
黒マントの人物は未来の上に覆いかぶさりのしかかっていた。手に持っていた細くて長い針を構えて、動きを固定させている。
「あんたが、不審者なの?」
未来は絞るような声で黒マントの人物に声をかけた。
相手は無言のままだったが、少しだけ体の力を弱めている。
「私ね、実はあんたに会いに来たんだよ。馬鹿な奴だって、思いたければ思えばいい。ちょっとだけ、話しを聞いてくれないかな?」
未来の声は震えながらも、目の前にいる不審者に話し続ける。
「私には一番上に兄がいたんだけどね、異世界の案内人って奴に連れて行かれちゃったんだ。もしあんたが案内人なら知ってる? 葵渚って名前」
渚の名前を口にした瞬間、黒マントの人物は完全に動きを止めていた。低い声を漏らしながら、構えていた針を腕に戻し一言だけ言葉を発っする。
「葵渚は、もうこの世にいない」
黒マントの人物の非情な言葉に、未来は押し黙った。
目に涙を溜め込ませて、相手の太ももを拳で殴りつける。
「嘘、嘘言わないで! 兄さんが死ぬはずない! 人殺し、兄さんを帰してよ!!」
支離滅裂な言葉をぶつけながら殴り続けていると、黒マントの人物は懐から小さな布を取り出していた。
微かに漂う薬品のような香りに、未来は額に汗を流す。
「私は絶対、兄さんに会うんだ!!」
未来は勢いよく黒マントを掴んで、相手の体がぐらついたその時だった。
黒マントの人物から青白い光が放出する。眩い光は未来も巻き込み、何もかも見えなくなっていく。
「兄さん……」
一言、未来の呟きも光に溶け込み沈んでいった。




