一章 青き剣の花嫁10話
ホープの後を追い、冬華は医務室へと向かっていた。
石膏で出来た男女の像が立ち並ぶ廊下を歩いていると、通りがかった管理局員に「ホープさんこんばんは」と挨拶される。ホープは短い返事をし、会釈をしながら通り過ぎて行く。
冬華も小さく頭をさげてからふと気がついた。もうこんばんはと言われてもおかしくない時間帯なのかと。
大きな窓硝子の前に立ち止まり覗き込む。
外で降り続けていた雨は止み、厚い雲が所々流れるように引くと灰紫色の空が一面に広がっていた。
千切れ雲を背景に点々と散らばれた菫色の粒子が煌く。風に吹かれた紋章樹の葉に露が付着し、より輝きを放っていた。
(露がついてるから光にあたって虹色にも見えるんだね。あと、雨が止んだから人も外に出てる)
二階からではよく見えないが、行き来する人々は傘を手に持ちながらそれぞれの道を進んでいる。仕事帰りで家に帰る者もいれば、そのまま酒場に向かう者もいそうだ。
薄暗くなる空と同時に、設置された街灯はつきはじめ都市全体の家々にもポツポツと灯されていく。遠近的に見える光りは点滅し、大小揺らめいていた。
冬華は窓から離れ再び歩きはじめる。
ただし、覚束ない足取りでだ。段々と頭がぼんやりし視界が歪んでいる。
「どうした? 具合が悪いのか冬華」
前を歩いていたホープが冬華の方を向き視線を合わせて屈んでいた。
「……もうすぐ医務室だ。そこまで歩けるか?」
ホープが指をさし、医務室の場所を示していた。
壁際に薄緑色の木造両手扉が目と鼻の先にある。距離的に数歩進めば何とかなるだろうと冬華は頷く。
「大丈夫。歩くことはできます」
「よし、なら行くぞ」
少しの間を置いてから二人は前に進む。
ホープは歩くたびに後ろを見ては心配そうな顔をしていた。
(あはは、これってやっぱ迷惑かけてるよね。つらいなー)
肩にかけてあったタオルケットだけでは寒さを軽減出来ない。
冬華は肌寒さから身震いをし体を擦る。
「着いたぞ。今扉を開ける」
ホープが鉄製のドアノブに手をかけて扉を開く。すると、青臭さと甘ったるさが混ざった臭いが医務室から流れてきた。
部屋の中を確認すると広いスペースには大きく二つに分けられている。出口から左手にはカーテンつきのべッドスペース。五台ぐらいベッドが配置されている。右手には診断所と薬を煎じる道具と材料を収納する棚が置いてあった。
換気していなかったのか部屋は篭っておりとても息苦しい。中央の作業台にはハロウィンなどで使う大きいカボチャ一個分くらいある内鍋がある。そこから毒々しい紫色をした煙が立ち込めていた。
(う、何この匂い。我慢は出来ると思うけど)
冬華は思わず鼻をつまんで息を止める。
ホープの方はというと平然な顔をし、何事もないように医務室に入っていく。
「シュインはいるか?」
「……はーい、今そちらに向かいます」
ホープの呼び声に涼やかな声が返ってきた。
少しの間を置いて、内鍋の陰から白いマスクを着用した人物が現れる。
さらさらした長い揉み上げが滑らかに動き、その人物はマスクを外して顔を晒していく。
「こんにちはホープさん。おや? そちらにいるのは新しい教え子さんですか?」
温和そうな声と柔らかみがある笑みに冬華は一瞬戸惑う。
待合室で口論していたカインと瓜二つなのだ。
違いと言えば、色素の薄い空色髪と軍服の上に羽織っている白衣。カインはつり目だが彼の目は大きくぱっちりしている。
彼の手には茶色く乾燥した茎の束を両腕に抱え込んでいた。それを近くにあった作業台に束を置き、服についた汚れを払いながら冬華たちの前にやって来る。背筋を伸ばし、歩く姿は無駄がない。
冬華は目を瞬かせながら空髪の彼、シュインをまじまじと見る。
「あ、貴方さっきのつり目男? でも、雰囲気が違うような」
「……つり目男?」
空色髪の彼は人の良さそうな顔ではあったが、不思議そうに冬華を見つめていた。
側にいたホープは軽く咳き込むとシュインに耳打ちをしている。
「すまないシュイン、彼女はカインと人悶着あってな。あと彼女は私の教え子ではない」
ホープの声は全然囁いておらず、冬華にばっちり聞こえている。
彼なりに配慮しているのだろうが少しばかり抜けているようだ。シュインはそれに合わせてうんうんと頷いていた。
「ああ、そうだったんですか。僕の名前はシュイン。医療班班長を務めています。君が言っていた釣り目男は僕の弟、双子なんです」
「双子。あ、私は冬華です。いきなり変なこと言ってごめんなさい」
「いえ、大丈夫ですよ。なんだか顔色が悪いようですが、顔も赤いですね。今、温かい飲み物を淹れますのでそこに座って待ってて下さい」
シュインはパタパタと急ぎ足で準備をしはじめる。
背の高い薬棚の前に立ち、指で何かを確認していた。
指が止まると、手際よく小さな引き出しから乾燥した葉を取り出していく。それを作業台に置いてあった小さい内鍋に投入している。
冬華はそれを見てギョッとした。
そして無意識に目の前にある禍々しさを放つ大きな内鍋に視線を移してしまう。
(温かい物ってあれじゃないよね?)
腐臭とまでいかないが、一歩間違えば吐き出してしまいそうな臭いだ。
冬華はおもわず苦い顔をして生唾を飲み込む。
「座らないのか?」
「う、うん」
ホープにうながされ黒い革張りの長椅子に座る。
眼前でグツグツと煮えたぎる内鍋を眺めながら冬華は目を回していた。
「冬華、私はそろそろ失礼するが一人で大丈夫か?」
ホープの声に冬華は我に返る。
椅子に座らず立っていたホープを見上げ慌てて返事をした。
「はい、大丈夫です。ここまでついて来てくれてありがとうございます。何だか私、ホープさんに感謝しっぱなしですね」
冬華は小さく笑顔を作る。うまく笑えたが分からないが精一杯に顔の筋肉を使った。
「……やっと笑顔になったな」
ホープは少し寂しそうに呟いていた。どこか心ここにあらずな表情に冬華は困惑する。
「あの、どうかしましたか?」
「いや、何でもない気にするな」
ホープは後ろを振り向き顔を隠していた。
彼らしくない行動に冬華は眉を寄せる。
(どうしたんだろ。私変なこと言っちゃったかな)
不安げにホープの背中を見ていると、準備を終えたのか長方形のトレイを持ったシュインがこちらにやって来る。
「ホープさん帰るんですか?」
「ああ、世話になった。彼女のこと、よろしく頼む」
「はい、分かりました。お気をつけて」
彼らの会話が終わるとホープは冬華の方に視線を移していた。
先程見せた表情は消え、何時もの彼に戻っている。
「また会おう冬華」
「……はい」
ホープは優しく微笑みながら、背を向けて医務室から退出していった。




