第九十八話 ポンコツ策士、見誤る。
「ディア?」
王城で一頻り大噴火して来たその日の夜。入学式の『あの』事件以来、王城で寝泊まりすることが殆どなくなったディアが――彼女的には『此処でルディに押せ押せ!』と思ってたりするので、本当はお泊りもしたいし、なんなら彼の部屋に遊びに行ったりもしたいのだが――まあ、流石にちょっとはしたないと思ったのか、おとなしく家でディナーを食べている時に掛かる声があった。彼女の父、アルベルトだ。
「……今日、王城に行って来た」
「あら? お父様、王城に行かれたのですか?」
メインの魚料理をフォークとナイフで切り分けながら、ディアは首を捻る。
「えっと……何をなさりに? お父様が王城に行くなんて珍しいですわね?」
何でもない様にそういうディアに、アルベルトが一瞬息を呑み、そしてため息を吐く。
「……そうか。思い出したくもないだろうな。だが、大事な事だからしっかり聞きなさい、ディア。辛いと思うが……」
「……はぁ」
アルベルトの真摯な表情に、ディアも表情に少しだけの神妙さを混ぜて、フォークとナイフをテーブルに置く。ディアのその姿を視界に納め、アルベルトは重々しく口を開く。
「――ディア。お前とエドワード殿下の婚約に関してだ」
「…………ああ。ありましたね、そんな事も」
そんな真剣な表情をしてどうしたのか、と息を呑んでいたディアはアルベルトの言葉に『なんだ、そんな事か』と言わんばかりにフォークとナイフを手に取って魚料理を切り分ける。そんなディアの姿に、アルベルトが動揺する番だ。
「そ、そんな事? ディア、君の婚約だぞ!? 君の婚約が破棄された事に関する苦情を王城に申し上げて来たんだぞ!」
「……ああ、それはどうも。ありがとうございます」
この問題が国家として大問題の一つであることはディアも理解はしている。理解はしているが……まあ、正直どっちでも良いのは良いのだ。
「お父様の事ですし、『巧く』処理して下さったのでしょう?」
ディアは父アルベルトに全幅の信頼を置いている。たまに過保護で過干渉であることはあるが、領地経営にも優れているし、為政者としては尊敬しているのだ。
「巧くとは言うが……お前自身の事だぞ?」
「まあ、そうでしょうが……『婚約者』ですよ? 家と家の事でしょう? それならば、所詮公爵『令嬢』である私に決定権などありませんし……」
ディアはメルウェーズ家の令嬢であり、高位貴族の娘であるが、それでも家の決定権を持つ人間ではない。これは単純な男尊女卑という問題ではなく、『家』を代表するのは当主、その当主に瑕疵ある場合は、代行するのは当主夫人というのがラージナル貴族の不文律である。要は世代の上下を大事にする風潮であり、『令嬢の婚約』に関しては当主であるアルベルトの専管事項だ。
「……実際、エドワード殿下の婚約に関しても、私に許可など取らなかったではないですか、お父様」
別に責めている訳ではなく、ただの確認事項。そんな確認事項に、アルベルトが胸を抑えて『うぐぅ』と呻いた。
「す、すまん、ディア。その……まさかエドワード殿下があのような男とは思わなかったのでな。君にとっても幸せな結婚になると……そう、思っていたんだ」
「……まあ、それに関しては否定はしませんが」
これはディアがエディの事を評価している、という訳ではない。
「国家にとっても慶事でしょう? 我が家と王家の『結びつき』は。私にとっても、『王位継承者』との、『王太子』との婚約は……嬉しい出来事ですしね」
出逢った当時から、ルディに夢中だったディアだ。当時のルディはエディよりも優秀であり、『私は、この人のお嫁さんになるんだ! 世界で一番、幸せな花嫁だ!!』とガチで思っていたのである。蓋を開けてみれば、エディが王位継承権一位である。ディア的には『やってらんねー』なのである。
「……そうだ。王太子と諸侯最大貴族のメルウェーズ家の婚姻は、きっと国家の平穏につながると思っていたのに……あの青びょうたんめ……我が家だけではなく、ディアにも恥を掻かせおって……!」
ぎりっと奥歯を噛みしめるアルベルト。まるで悪鬼羅刹の様なその表情に、思わずぶるっと背筋を震わせて、それでもディアはにこやかに笑顔を浮かべて見せる。
「まあまあ、お父様。私はそこまで気にしていませんので。エドワード殿下にもなにかしら、ご事情があったのでしょう? なので私は婚約破棄に関しては気にしておりま――」
一息。
「……あの、本当に婚約は破棄になるのでしょうか? まさか、エドワード殿下との婚約も継続、とか……」
「そんな訳あるかっ!! これ以上、ディアを傷つける訳にはいかん!! 当然、エドワード殿下との婚約など破棄だ、破棄!!」
鼻息荒くそういうアルベルト。そんなアルベルトに、ディアは優しい笑顔を見せて、思う。
――よし、勝った!! 風呂入ってくる!! と。
「……そうですか。それはまあ、仕方ありませんですわね? ですが、お父様? それでは私の婚約者はどうなるでしょうか? エドワード殿下が王位継承権一位のままでは困りますよね? そうなれば……し、仕方ないですね? 此処はルディに王位を継いで頂き、私はそのまま、る、ルディのお嫁さんになる、という方向でよろしいのでしょうか?」
ディア、一気に畳みかける。だって、さっきアルベルトの言った通り、ディアは王妃になるべく教育を受けて来たのだ。でも、エディが王位継承権一位のまま、このまま国王になったらディアの取り扱いに困るからだ。そう思い、ディアはこっそりほくそ笑む。これは、自分の都合の良い展開になった、と。
「優秀なお父様の事です。る、ルディを王位に付ける手管の一つや二つと言わず、いくつも思いついているのでしょう? ですから、此処は……そうですね? ルディが王位につき、私がルディのお嫁さんになれば、丸く収まるでしょう? それでしたら、その様に――」
「――止めた」
「――ぜひ……え?」
「だから、止めた。別に我が家じゃなくても良いだろうしな、諸侯からの嫁取りなど。だから、ディア? 私の可愛いディア?」
そう言ってにっこり笑って。
「――もう、お前に悲しい思いをさせる事はない!! 私が責任を持って、お前にとって最高の嫁ぎ先を見つけてやる!!」
ディアは見誤ったっていたのだ。アルベルトは確かに優秀な領主ではあるが……それ以上に、バカ親なのである。




