第九十四話 怖いって、バーデン家
ルディの言葉に、エルマーの顔がさーっと青くなる――というより、さっきまで真っ青だった顔が最早土気色だ。そんなエルマーの表情の変化に、ユリアが不満そうに頬を膨らませる。
「もー! ルディ様、何言ってるし! ウチの家の事、なんだと思ってるの?」
むぅ、と言わんばかりのユリアの表情に、『え? ヤの付く自由業?』と言い掛けてルディは意思の力でその言葉を飲み込む。言っちゃダメなやつだ、それは。
「い、いや……ほら、ユリア先輩のお家は……なんていうか、ユリア先輩の事皆、大好きじゃないですか~? だから、ね?」
曖昧な言葉で濁す。そんなルディに、『はぁ』とユリアはため息を吐いて見せた。
「まあ、確かに? ウチはちょーち過保護な所はあるケド……でも! 別に男子とお付き合いとかしたからって文句言われたりはしないよ? パパも良く言ってたし。『ユリア、もしお付き合いする男性が出来たら、直ぐに紹介しなさい。なに、私も『可愛がって』あげないとな』って!」
「……」
ルディ、言葉もない。それはアレだ。相撲部屋とかの『可愛がり』と同種なやつだ。
「……大丈夫なの、エルマー先輩?」
「……も、問題ない。バーデン子爵とは幼少時からの知己だからな。バーデン家の皆とも……そう言えば最近、バーデン家のパーティに行く度に『っち』と舌打ちをされていた様な……」
バーデン家の皆々様からしてみればエルマーは、『ウチの可愛いお嬢に気に入られてるくせに、全く靡かねー不届きもの』なのである。そら、舌打ちの一つや二つや百や二百は出てくるというものだ。まあ、他人に対して全くと言っていいほど関心のないエルマーにとっては、ノーダメなのだが。否、だったのだが。
「……どうしよう、ルディ? エディにアドバイスを貰った方が良いか?」
「なんでエディ?」
「だってエディ、クラウディアをこっ酷く振ったのだろう? なら、そういう事に詳しいかと思ったのだが……」
「……鬼か、アンタは。止めて差し上げて」
本当に。そもそもクレアが居るところでそんな事を聞く神経も神経だし、何より。
「……え? え、えるまーさま……私、ふ、フラれちゃうの……?」
こうだ。見て見ろ、ユリアの表情を。絶望に染まり切った表情を浮かべているじゃないか。
「いぃ!? ち、ちがう! そ、そういう意味では無くてだな!?」
そんなユリアの表情の変化――先ほどまで『にっこにこにー』と言わんばかりにニコニコ笑顔だったユリアの瞳には涙が溜まっている。
「……ああ、エルマー先輩。月の無い夜道まで待つ必要なさそうだね……?」
段々と溜まるユリアの涙に、ルディは小さくため息を吐く。そら、あんな事言ったらこうなるに決まってる。
「……私、頑張るよ? エルマー様に捨てられない様に、いっぱい、いっぱい尽くすよ……?」
「す、捨てるとか捨てないではなくてだな!? そ、そもそも……そ、その、な、なんだ? 私たちがこう……そ、そういう関係……と、ともかく! 学園生の身分で、そういう関係はまだ早いと思うんだ!?」
エルマー、日和る。別にユリアの事は嫌いではないし、お互い幼馴染で気心の知れた仲、という事もある。伯爵家と子爵家だし、『そういう』お付き合いをしても然程違和感のある家格の違いではない。違いでは無いが。
「ゆ、ユリア嬢の事が嫌いとかではないんだ。ないんだが……こう、い、いきなりの事だったので……理解が追いついていないというか……その、本当にユリア嬢の事が嫌いとかではないんだ……」
なんせ研究一筋できたのだ、エルマーは。男女の機微どころか、人間関係の塩梅ですら覚束ないひよっこが、いきなり『ちっちゃなころから大好き! ちゅ!』である。そら、こんな反応にもなる。
「……だから、少しだけ待って貰えないか? その……ユリア嬢の事は真剣に考える。考えるから……申し訳ない、少しだけ時間を貰えないだろうか……?」
まるで懇願するように――
「……うわぁ……ダサい。ダサいですよ、ルディ様」
……まるで懇願する――
「あそこまではっきり好意向けられたら、もうちょっと格好良く対処できないんですかね? それか、思い切ってフッてしまうかのどっちかでしょ?」
…………まるで懇願――
「だってあれ、良い風に言ってますけどユリア先輩を『キープ』にするって意味でしょ? ないわー。エルマー先輩、ないわー」
「……なんかエルマー先輩への『あたり』が強くない、クレア?」
「別にそんなつもりはないですけど……なんか面白くはありません」
……まあ、アレだけ情熱的――情熱的? ともかく、あんな公衆の面前であれほどの告白まがいの事をされて勧誘されたのに、今見せられているのが他人のいちゃこらである。ただでさえ、ささくれ立ったクレアの心に止めを刺すには十分だった。
「……まあ、そんなに機嫌悪くしなくても良いよ」
「はい? 別に機嫌を悪くなんてして――」
「――イヤだし」
「――……あれ? 今の低い声って――ひぅ!?」
聞こえて来た声に視線を向けて、思わずクレアが小さな悲鳴を上げる。何にって?
「――イヤだし。もう十分待ったし? エルマー様、そんな事言ってどっかに逃げちゃうつもりでしょ? 逃がさないし? エルマー様は……もう、ユリアのモノだし。ほっぺにちゅーまでしたんだし……責任、とれし」
完全に目のハイライトを消して、微笑む――端的に言って無茶苦茶怖い、ユリアの表情に。




