第九十二話 世界で一番、君が好き
一頻り、『え、えへへ、えへへへへへへ~』とダラシナイ顔をしていたユリア。『そろそろ正気に戻ってくれないかな~』とルディが思っていると、不意にユリアがきりっとした顔をして見せる。どうやらようやく正気に戻った様だ。
「大丈夫ですか、ユリア先輩?」
「ん、もう大丈夫。なんというか……人間って想定外の幸せが訪れるともう、笑うしかなくなるね?」
「……涎も垂らせるって追加しといてくれません? その情報に」
百年の恋も覚める顔だった、とも。そんなルディのジト目に少しだけ染めた頬を掻きながら、ユリアは『たはは』と笑って見せる。
「ん……それはまあ、ともかく……エルマー様? 心配してくれてどうもありがとう。でもね? 別にそこまで心配して貰う必要はないっていうかぁ~。そもそも私、昔から技術開発部に興味あったんだ~」
「ユリア嬢が? それは初耳だが……研究とか開発、興味があったのか?」
少しだけショックを受けた顔でユリアを見やるエルマー。幼馴染の意外な一面にエルマーも衝撃の大きさが半端ない。そんなエルマーに、苦笑を浮かべてユリアは首を左右に振った。
「ううん。研究とか開発はさっぱり。楽しそう――かどうかも分かんないし? そもそも私、文系だしぃ? そっち方面には全然、興味無いカモ」
「……意味が分からんのだが?」
「だから! 技術とか開発とか研究とか……そういうのは興味もなかったけど……でもね?」
『技術開発部』には興味があった、と。
「……エルマー様、昔から機械いじり大好きっ子だったっしょ? ほら、ウチのパパがエルマー様に上げた時計!」
「……あの件に関しては申し訳ないと思っている」
「あ、別に謝って貰おうと思っている訳じゃないし!」
頭を下げるエルマーに、わちゃわちゃと手を振って見せるユリア。そんな二人に、クレアは首を捻ってルディに向けて言葉を掛ける。
「……なんですか、エルマー様に上げた時計って」
「……さぁ? 僕もずっとエルマー先輩と一緒に居た訳じゃないし……」
二人して思案顔。そんな二人の顔に気付いて、ユリアは苦笑を浮かべて口を開いた。
「エルマー様の誕生日にね? ウチのパパ、エルマー様に懐中時計を上げたんだ。エルマー様、物凄く喜んでくれたんだけど……ホラ、エルマー様じゃん? その時計の『中身』が気になりだしてさぁ~」
そう言って苦笑を綺麗な笑みに変えて。
「『見ろ、ユリア!! この時計の機構! なんと美しい……ほぉ! このゼンマイがこういう動きをして、長針と短針を……うむ!! なんと興味深い!!』って、キラキラした目で時計を分解してさぁ~」
「……若気の至りだ。結局、組みなおす事も叶わなかったし……穴があったら入りたい。ユリア嬢のお父上にも……本当に申し訳ない事をした」
「いいって! パパ、怒って無かったし!」
折角誕生日に送った時計をばらばらに分解し、しかも再組立不能。既にガラクタとなった『それ』を持って半泣きで謝った事は、エルマーにとっては苦い思い出の一つであり――それから、しっかり図面を引いたり、手順を確認したりする癖が付いたのである。失敗は成功の母、だ。
「……あの時のエルマー様、本当に純粋無垢な目で時計と私を交互に見て……『ああ、エルマー様、本当に楽しいんだな』って。この技術開発部に入ったら、そんなエルマー様の姿、ずっと見ていられるのかなって……凄く、『良いな~』って思ってたんだ」
少しだけ照れくさそうにそういうユリア。そんな姿に、こちらも照れた様にエルマーがぽそっと口を開く。
「そ、そうか。それは……あ、ありがとうと言えば良いのか……だ、だが! それならそう言ってくれれば……他ならぬユリア嬢だ。席を一つ用意するくらいは造作もないのに!」
いや、席を用意しなくちゃいけないほど埋まっちゃないでしょうとかルディは思う。不人気大爆発、一年一人でやって来た部活の癖に何偉そうな事を言ってるんだ、とも。だが、何度も言うがルディは『人の心がある』のだ。どっかの悪魔令嬢とは訳が違う。加えて、ちゃんと空気も読める子なのだ、ルディは。
「ううん。エルマー様、そっけないけど優しいから。きっと私が入ったら、私の事を気にかけてくれて、自分の研究に集中できなくなると思うし」
「そ、そんな事は!」
「そうだし。だってエルマー様、あの時計の時も私にきちんと話を振ってくれたし。『その、面白いか? 詰まらなかったら別の事にしようか? そ、そうだ! 美味しいお菓子があるんだ!』とか言ってくれてたじゃん?」
「……そうだったかな?」
「照れてるし。そうだよ。エルマー様、人付き合いが苦手だけど、決して出来ない訳じゃないんだ。気も使える人なんだ。だから」
――エルマー様の『邪魔』はしたくなかった、と。
「――でーも! クレアっち入るなら、もう良いかな~って! だってクレアっちだってそんなに技術とか開発に興味あるわけじゃないっしょ?」
「……まあ、図画工作レベルでは嫌いじゃないですけど……専門的な事は無理です」
「でしょ? じゃあ、もう我慢しなくても良いかな~って。そ、れ、に! エルマー様とクレアっちみたいな美少女、二人っきりなんか出来ないし~? 私、不安でどうにかなっちゃうし!!」
にっこにっこでそういうユリア。そんなユリアを呆然とした顔で見つめた後、エルマーがポツリと。
「そ、その……こう、幼馴染の誼で、『何言ってるんだ』とか、『勘違い、きも』とか、そういうことを思わないで貰えると嬉しいのだが……」
「ん? どったの、エルマー様?」
「あー……その、今の話を聞いているとこう……クレア嬢と私を二人っきりにすると、こう、ユリア嬢は不安になるとか言っていたな? わ、私は人の機微に明るくないし、人付き合いも苦手だ。つまり、経験値が圧倒的に足りないし、見当はずれの事を言うと思うのだが……その、なんだ? ユリア嬢」
私の事、好きなのか? と。
「「――え? いまさら!?」」
クレアとルディの声がハモる。いや、エルマーの鈍さはルディも――そして付き合いの短いクレアも分かっている。分かっているが、流石に、である。そんなエルマーに、面白そうな笑顔を浮かべてユリアは一歩詰め寄り、下からエルマーをのぞき込んで。
「勘違いしないで~、エルマー様?」
笑顔で、そういう。
「は、ははは。そ、そうだよな。す、すまない。ユリア嬢、気持ちの悪い事を――」
言い掛けたエルマーを遮る様、ユリアはもう一歩エルマーに詰め寄り。
「――好きなんて、軽い感情じゃない」
その頬に、自らの唇を押し当てる。頬に手を置き、ずさーっと後ずさるエルマーに『にひひ』と悪戯っ子の様な笑顔を浮かべて。
「――ちっちゃいころから、だーい好きだし!! 私、エルマー様にずっと夢中だし!! 世界で一番、エルマー様が大好き!!」
頬を真っ赤に染めて――それでも、とんでもなく幸せそうな顔で、ユリアはそう言った。




