第八十五話 ユリア先輩
「ゆ、ユリア嬢!?」
突然のユリアの登場に、エルマーは驚いた様な――まあ、実際物凄く驚いたのであるが、そんな表情を浮かべて見せる。そんなエルマーに『きっ』と視線を向けた後、ユリアの視線はエルマーと、その手を握っているクレアに向けられる。
「何時まで握ってるし! エルマー様、不潔!!」
その言葉のままぐんぐんと二人に近づくと、『ぺい!』とばかりにエルマーとクレアの手を引き離し、ユリアは『ふー、ふー』と荒い息を吐いてエルマーを見やる。
「何やってたし、エルマー様!! なんで新入生の女の子と手なんか繋いでるの! そんなの、エルマー様じゃないし!!」
じゃあ、どんなのがエルマー様なのか、という話であるが、ユリアの中のエルマー像は『天才的な発明家で、イケメンで、物静かだけど、人との会話は苦手で、女性になんか積極的に行ける訳がないタイプ』という印象である。典型的な陰キャです、どうも有り難うございました。
「ゆ、ユリア嬢? お、落ち着いてくれ」
「私は落ち着いてるし! エルマー様のほうじゃん! 落ち着いてないの!! なにさ、さっきからあの子にあつーい視線なんか送って!! 私には近付かれただけできょどってくせに! どうせエルマー様も若い子が好きなんでしょ!!」
「い、いや、クレア嬢は一個下だぞ!? わ、若いのは若いかも知れんが、そこまで変わりはないというか……」
「0歳と一歳じゃ随分違うもん!!」
「いや、そりゃそうかも知れないが!!」
一頻り『ひどい、ひどい!』とエルマーをなじるユリア。そんな姿をみるとは無しに見ていたルディの袖がちょんちょんと引っ張られる。クレアだ。
「あの~ルディ様? その……正直、私もだいぶ状況に置いて行かれてるんですけど……これ、どういう状況です?」
「見たまんまの状況だよ」
「……見たまんまの状況が分からないから聞いているんですが?」
じとーっとした目を向けるクレアに、ルディが小さくため息を吐く。
「……ユリア先輩とエルマー先輩、幼馴染なんだよね。だからまあ、エルマー先輩に対してこう……お姉ちゃんぶってるというか……今日だってわざわざ僕のところまできて『でんかぁー! エルマー様、なんか部室に女の子連れ込んでる!! ヤバいかも!!』とか言って僕の腕を掴んでぐいぐい引っ張ってくるし……」
強い力で握っていたのだろう、ルディの腕にはユリアの指の痕が残っている。立派に不敬罪が適用されてもおかしくない。
「……あれ? それって……もしかして、そういう感じのやつ、ですか?」
「ご名答。まあ、見ればわかると思うけどね」
……まあ、本来なら王族の腕に痕が付く程の力で握ってお咎めなしはあまりあり得ない。あまりあり得ないがしかし、小さいころから『えるまーさま、えるまーさま!』とエルマーの後ろをトコトコついて回っていたユリアの事を、ルディは知っているのだ。そこに、幾ばくか以上の好意があることも当然に知っている。『あまり』あり得ないの、『あまり』があるのだ。人、それを情状酌量の余地という。
「……そ、そしたら私、とんでもない事を仕出かした感じです? もしかして一年生だけじゃなく……先輩方の間でも噂になっちゃいますかぁ!?」
某有名画家の叫びみたいなポーズを決めるクレア。コミカルな仕草にも関わらず、それでも根っこが美少女の彼女がすると、それはそれで絵になるのがズルい。
「うーん……そんな心配はいらないかな?」
「な、何でですか!? だって私、今思いっきり恋敵みたいな立ち位置じゃないです!? これ、絶対裏で『あばずれ』とか『たらし』とか言われる展開のやつじゃないですか!?」
そんなクレアの言葉に、ルディは疲れた様にため息を一つ。
「……じゃあ、男と二人で密室とか勘弁してよ。あのね、クレア? 別に今までの君の行動が悪いってワケじゃないけど……流石にちょっと、脇が甘すぎない? なんでこうも問題を引っ張ってくるのか……なに? 本当に何かに憑りつかれてるの?」
エディやエドガーに対する態度に対して、クレアには何にも非がない。それはルディも分かってるし、精々『ついてない女の子だな』くらいの感覚だ。だが、エルマーに関しては違う。
「……ユリア先輩、怒るだろうな~」
「ひぃ!? お、怒られます!? それじゃやっぱり、私は悪い噂を――」
「ああ、それはない」
「――なが……え? な、ない?」
「ユリア先輩、『ああ』だしね。自分も悪評があるの分かってるタイプだし、そんな事で人を貶める人じゃないよ」
貴族の――それもそこそこ高位である伯爵令嬢なのだ、ユリアは。そんなユリアがテニサーに入って、およそ婦女子に相応しくない格好でテニスに勤しんでいる姿は、あまり良い評価を与えるものではない。倫理観が現代とは違うラージナル王国なのだ。貴族令嬢が足首見せるのもはしたない世界なのである。当然、ユリアの振舞いは眉根を寄せる振舞いであり、そんな彼女が自身の恋敵とは言え、悪評を流すなんて短絡的な事をするハズがない事に、ルディは全幅の信頼を置いていたりする。
「そ、そうなんですか?」
「話し方みても分かるでしょ? ユリア先輩、普段はドレスも言葉遣いもちゃんと出来るのに……学園に居る時は『ああ』なんだよね」
「……ええっと……言動に問題があると思っていない訳では……」
「ない。自分の言動があんまり褒められた事じゃないのは分かってるよ」
「……じゃあ、何でですか? なんでそんな恰好や言動をしているんですか?」
クレアのその言葉に、ルディは物凄く悲しそうな顔を浮かべて。
「『殿下。私がどれほどアプローチしても、エルマー様は靡いてくださいません。そもそも、口下手なエルマー様には、物静かな貴族令嬢は向いていないのかも知れませんね。もう……こうなったら、キャラ変しかなくなーい? うぇーい、でんかぁ~。エルマー様落とすの、ちょっち協力してくんなーい?』って……三年ぐらい前に言われたんだ。あの、眉根を寄せる格好も……エルマー先輩にドキッとして貰いたいからなんだって……」
ユリア、乙女なのである。乙女が暴走をしているが。




