第五十四話 クレア、逃げてー!!
『わくわく! 恋の王宮大闘争!』、通称『わく王』は乙女ゲームである。まあ、令和最大のクソゲーとか特級呪物とかいろいろ言われてはいるが、一応乙女ゲームであり、乙女ゲームである以上は攻略対象キャラクターがいる、という事だ。当たり前と言えば当たり前、幾らわく王がクソゲーだとはいえ、流石にこの括りを破る事はない。
王子様。
宰相の長男。
近衛騎士団長の次男。
影のある天才。
ショタっ子。
メインの攻略対象キャラクターであり、全てのパロメーターが高いエディ、頭脳派のアインツ、肉体言語が全てのクラウス、不遇の天才であるキャラと、明るく皆から愛される弟キャラと、一応、わく王がお乙女ゲームとしてギリギリ成立するキャラクターは取り揃えていたのだ。
そんな中、ネットで『じゃない方の王子』と呼ばれていたのが、スモロア王国の王太子にして留学に来ることになるエドガーだ。彼に与えられた個性は『普通』。およそ、王子様役に与えられる個性ではない。
だが、意外や意外、この『エドガールート』、わく王で屈指の人気ルートなのである。なんせわく王と言えば『超親切設計』を謳い、オープニングにメイン攻略対象が婚約破棄からの婚約申し込みという、もうどういう考えでこんなストーリーにしたのか理解できないシナリオである。エドガールートも、どうせそんなもんだろうと皆思っていた。思っていたのだが。
【朗報】エドガールートはもしかしたらマシかもしれない【ストーリーがちゃんとある!】
みたいなスレがネットで立ったくらいには驚かれた。なんせこのエドガールート、わく王にしては珍しく、ちゃんとしたストーリーがあるのだ。
エドガールートのストーリーはスモロア王国の王太子であるエドガーと双子の妹であるクリスティーナが学園に留学してくるところから始まる。エドガーの双子の妹であるクリスティーナは優秀な姫であり、学業成績も優秀。対して兄であるエドガーは個性が『普通』、いつも双子の妹であるクリスティーナと比べられ、なのに兄であるだけ、男であるだけの自分が後継者として、王太子としてスモロア王国を継いでいく事に悩んでいたところを、クレアと出逢って……みたいな、王道と言えば王道のシナリオではあるが、確かにストーリーがちゃんと有ったのだ。まあ、一目惚れは一目惚れではあるが、少なくとも入学式のド頭で婚約破棄したサイコパス王子よりはだいぶマシである。最初こそ、『影が薄い』とか、『なんかモブっぽい。いや、顔じゃなくてオーラが』とか言われていたエドガーだが、発売から数日すると『いや、エドガールートちゃんとエドガールートしている』とか『うん、あのサイコパスじゃない方の王子だね』とか言われていた。『じゃない方』というのは蔑称ではなく、尊称である。
「……はぁ」
そんな『普通』な王子であるエドガーは、入学後の準備の為に学園の教員室を訪れていた。此処である程度の説明を受けた後、エドガーは一人で学園の廊下を歩いていた。本当はクリスティーナと来る予定だったが、何故か――エディをツめていたから、であるが――部屋にいないクリスティーナを置いて、一人で学園に来たのである。勿論、王城から誂えた馬車で、であるが。
「あれ? おーい、そこの男子ー! ハンカチ! ハンカチ、落としましたよ!!」
掛けられた声に後ろを振り返る。と、地面に落ちているハンカチと、ぶんぶんと手を振る女の子の姿が視界に入った。
「はぁ、はぁ……はい、落としましたよ!!」
途中でハンカチを拾って、そのまま自分の方に小走りで向かってくるとそのままそのハンカチを渡してニパっと微笑む少女。ピンクの髪色のボブカットに、つやつやな唇に、大きな瞳。一目で目を引く美少女だ。
「ああ、ありがとう」
「いえいえ、大丈夫ですよ~。と、もしかして先輩でしたか!? はわわ! だとしたら申し訳ないです!! 『そこの男子』とか言っちゃって!!」
「あはは。大丈夫……です、の方が良いのでしょうか? 僕は一年なんですけど……」
「ああ、じゃあ同級生ですね! 私も一年生です!! クラスは違うかも知れませんが、これからよろしくお願いしますね!!」
そう言ってもう一度、ニパっと笑う少女。そんな少女の笑顔に、つられる様にエドガーの方にも笑顔が浮かぶ。
「……それにしても同じ一年生……私の事見て、何か思ったりしません?」
「可愛い子だな、って思うよ?」
「はう! な、ナチュラルに口説くとはやりますね……! で、でも、私の事知らないならそれでいいです! それで! どうかしたんですか?」
「どうかしたって……」
少女の言葉に困惑の表情を浮かべるエドガー。そんなエドガーに『ああ』とポンっと手を打って少女は言葉を継ぐ。
「いえ、先ほど振り返った時、なんだか辛そうな顔をしてた様に見えまして。もしかしたら何か悩み事かな~って」
「……あんな遠くから見えたの?」
「田舎育ちなんで、私。目は良いんですよ~」
そういう問題じゃない距離だと思うが、と思いながらも苦笑を浮かべるエドガー。
「……まあ、大した理由じゃないよ。さっき職員室に行ってたんだけどね? そこでちょっと」
「怒られたんですか?」
「ああ、怒られたって程じゃないよ。ただ――」
「大丈夫ですよ!! 私だって入学式の日に、校長先生に死んじゃうんじゃないかってくらいに怒られましたけど、全然平気でしたし!!」
「――逆になにしたら入学初日にそんなに怒られるの?」
「その後、王城で宰相と近衛騎士団長に激ヅメされました!」
「……謀反の意思がある人とかじゃないよね?」
違いますよ~と笑って見せる少女に訝し気な表情を浮かべるも、流石に学園にそんな変な人はいないか、と思い直しエドガーは口を開く。
「僕には妹が居るんだけどね? その……優秀な妹でさ? だから、もう少し勉強を頑張らないと、妹に置いて行かれるよって……まあ、そんな感じの事を」
流石に学園の教師も此処まで直接的には言っていない。他国とはいえ、王太子なのだ。だが、『姫殿下は優秀なのに』とか『双子でこうも違うとは……』なんて、陰口で言われ慣れているエドガーはその言葉の端々にある小さな侮蔑を確かに感じる。『無礼な!』と言って叱り飛ばさない辺り、エドガーもちゃんとルディ・チルドレンの一人であり、そんな恥知らずでも無いのだ。
「……それは」
「……まあ、言われ慣れているけどね。ウチの妹、本当に優秀だからさ? だから……まあ、仕方ないよね」
自虐的に笑うエドガーに、少女は絶句する。上を見て、下を見て、何かを言おうかと思いながら、口をあうあうさせて。
「…………そうだ! クッキー、食べます!?」
「……なんで?」
エドガーの返事も聞かずにごそごそと鞄の中を漁っていた彼女は、小さな紙袋に入れられたクッキーを取り出すと、エドガーに手渡す。
「その……私、一人っ子です」
「……はい?」
「加えて、実家の領地には年の近い子はいなかったので、その……正直、その妹と貴方みたいに、誰かに比べられて……その、悪口言われるとか……なかった、です」
「……」
「……初対面である私が、『そんな事ない! 貴方にもいい所、一杯あるよ!』と言っても……多分、信じられないと思うんです」
「……だね」
「でも!!」
でも、と。
「私とお友達になりませんか!! 他の人が貴方と妹さんを比べて悪く言うなら……私が、貴方のいい所、いっぱい見つけて、いっぱい褒めてあげます!! だから」
私と、友達になりませんか、と。
「……クッキーは?」
「疲れている時は甘いもの、ですよ?」
「まだ朝だから、結構元気だけど……」
「体は元気でも、心は元気じゃないじゃありませんか。心の健康にも、甘いもの、ですよ?」
にっこり笑ってそういう少女に、毒気が抜かれた様な表情を浮かべて見せるエドガー。
「……なんで?」
「はい?」
「なんで……そんなこと、言ってくれるの? 友達にって……」
「……私自身、辛い事は沢山あります。その沢山の辛い事、一人で乗り切るのはやっぱり難しいです。だから……やっぱり、一緒にそれを乗り越えてくれる友達がいたら、嬉しいからって理由と」
茶目っ気たっぷりな、悪戯っ子の笑みを見せ。
「――私の事、『可愛い子』って言ってくれたじゃないですか? そんな人は貴重ですので……サービス、です!」
これは、絶対に嘘だとエドガーは思う。こんなに明るく、優しく、そして愛らしい少女だ。
「可愛い、なんて言われ慣れているでしょ?」
「いえいえ~。学園に入ってから初めて言われましたよ」
「そう? それじゃ学園の皆は見る目が無いのかな?」
「ははは! だと良いんですけど……ああ、よくないのか!? もうちょっと皆、見る目あって! 私はイイ子ですよ!! 悪い子じゃないですから!!」
なんだか一人であたふたし出す彼女の姿に、クスリと笑いを零すエドガー。そんな笑い声が聞こえたのか、少女が少しだけ照れた様に舌を出して。
「そう言えば……自己紹介がまだでしたね」
そう言って手を差し出して。
「私、クレア・レークスって言います! よろしくお願いします!!」
自ら地雷原にダンスしながら突っ込んでいく女、クレアは人好きのする笑みを浮かべてそう言って手を差し出した。




