第四十六話 平凡王子の正体
ルディ――ルドルフ・ラージナルというキャラクターは、『わく王』というゲームの中で存在しない。これは別にキャラ絵が無いとか、セリフが無いとか、そういう『登場』しないという意味ではない。クレアの両親だってゲーム本編には登場しないが、それでもクレアのテキストで『お父様とお母様は~』みたいに、存在を示唆する描写はある。が、ルディにはそれもなく、完全に存在しないのである。エディのシナリオだってエディの表記は『王子』であり、『第二王子』なんて言葉は出てこないのだ。
つまり、『ルディ』という存在は完全にイレギュラーなのである。
この影響はルディが七歳を迎えたくらいから顕著に表れ始めた。なんせ、クソゲーとは云え乙女ゲームの攻略対象たちだ。基本スペックは驚くほど高く――そして、彼らのその才能は七歳から一気に開花したからだ。考えても見て欲しい。国防の要たる近衛騎士団長が、高々十歳の子供から一本取られるなんて、あり得る訳が無いのである。どれだけ努力してもエディやクラウス、アインツには勝てないのだ。それでもルディは腐らず努力を続け。
――そして、諦めた。
そもそもゲームの世界のハイスペックなキャラに勝てるわけなんてない。自分は平凡な人間だ、と。最初は殴る蹴るが主体のバトル漫画で、手からビームを放ち、空中を飛び、瞬間移動までする様なインフレした敵味方キャラの中で、一般人でいる読者が勝てるわけが無いのと同義だ。幸いにして、ルディは諦めたが、『腐る』事はしなかった。どうせ自分には出来ないと拗ねてしまう事はせず、それでも自身にとって『最善』の環境を整えようとしたのだ。その姿を指して、ルディの父である国王アベルは『逃げる』と言ったが、正確には逃げた訳ではない。そもそも、『存在』しない人間なのだ。逃げるもへったくれもない。王位は元々エディのものだし、クラウスとアインツの幼馴染はエディだけなのである。
「……と、思っているんだけどね~」
自室で深く椅子に体を預けてルディはそう、小さく呟く。そんなルディを見て、ルディ付き侍女のメアリが眉を少し動かした。
「……どうされましたか、ルディ様?」
「……いや、どうってことは無いんだけど……ほら、さっきクリスにさ?」
「……ああ。だいぶ泣きそうな顔をされていましたね」
メアリの言葉に、ルディは苦笑を浮かべて見せる。
「……ああも懐かれると、嬉しいやら苦しいやら、だね~」
『なんでいつもルディはそうなんですか! 自身の事を平凡などと言わないでください!!』と泣きそうな顔でルディの袖を引っ張ったクリスティーナの顔が浮かぶ。自分は平凡なのに、と、そう思ってしまう。
「……ルディ様はなぜ、その様に自己評価が低いのでしょうか?」
「メアリ?」
「クリスティーナ殿下ではありませんが……ルディ様は平凡と程遠いと愚考します。下々の者にも優しく、公明正大。ルディ様に王の器は充分に御座います。なのに……なぜ、ルディ様はエディ様に王位を譲ろうとするのですか?」
『それは元々、エディのモノだから。僕のモノじゃないから』
「……エディの方が優秀だからだよ」
喉元まで出かけた言葉を飲み込み、ルディは本音とは別の事を口にする。否、エディの方が優秀なのも間違いではないが。
「……ルディ様を拝見していると、何かに恐れているように見えます。まるで、自分が何かを手にしてはいけないと、そう思っているのではないかとすら思えます」
「……メアリ」
「幼いころからルディ様と一緒に過ごして来た私は、一体ルディ様がなぜそう思っているのか分かりません。貴方は……もっと、『欲しがって』も良い」
『不敬を失礼します』と言って、メアリはルディの頬に手を置く。
「……もっと、欲しがっても良いのです」
「……メアリ」
メアリの瞳に堪る涙。その涙が、そっと頬を伝い、それをルディが人差し指の腹でそっと拭き取る。
「……ありがとう、メアリ」
「いえ……失礼しました。ですが、ルディ様? これはメアリの本心に御座います」
メアリは悔しかったのだ。この、幼少期から聡い子供が、願えばなんでも手に入る筈の幼子が、ある時期から何もかも諦めた様な、手を伸ばすことをしない事が。
「……分かった。ありがとう、メアリ。そうだね。僕も何かを欲しがって見ても良いかもね」
そう口にしながら、メアリの気持ちを有難く思いながら、それでもルディは自身の生き方を変えようとは思わない。
「ああ、でも……そうだね?」
そう言いながらルディはメアリの全身をまじまじと見つめる。ルドルフ・ラージナルというキャラクターが『わく王』に存在しない以上、この目の前のメアリ・スワロフという女性もまた、『わく王』には存在しない。
「……メアリなら、良いかもね」
「……何が、に御座いましょう?」
「僕の結婚相手」
メアリは『わく王』に登場しない。ならば、誰かから『盗る』事にはならない。そう思い、そしてそんな事を思う自分に若干の嫌気がさして。
「――なんてね。ごめんね、メアリ。変な事言って――ど、どうしたの、メアリ!? 鼻血!! 鼻血が凄い事になっているよ!?」
まるでギャグ漫画の様に、両の鼻から血を噴出したメアリがそっと目を瞑り、片腕を上げて。
「――私の人生に、一片の悔いなし……!!」
「ちょ、何言ってるの、メアリ!? だ、誰か!! 誰か来てーーー!!」
とりあえず、シリアスは裸足で逃げて行った。




