第四十四話 原作の修正力
「……まあ、そんなに落ち込むなよクレア嬢」
床に手をついて慟哭するクレアに、なんとも言えない顔を浮かべながらクラウスがポンっと肩を叩く。そんなクラウスの仕草に、クレアは緩慢な動作で顔を上げる。
「……私、どんな悪い事したんでしょうか……」
「……クレア嬢は何にも悪くない。強いて言うなら運が悪いというか……」
「……運が悪いって」
酷すぎる。顔に絶望を色濃くするクレアに『うっ』と息を詰まらせながら、それでもクラウスは笑って見せる。完全に、愛想笑いだ。
「ほ、ほら! でもよく考えて見ろよ!! クラウディアだってそりゃ美人だけどさ? クレア嬢はそんなクラウディアを押しのけてエディから愛されている訳だし!! あ、あれだ! ほれ、傾国の美女! よ、ラージナル王国一の美少女!!」
「……」
「……すまん」
「……世界で一番嬉しくない賛辞です」
ずーんっと肩を落とすクレアに、クラウスも何も言えない。そんなクラウスに、クレアはもう一度顔を上げて問いかける。
「というか……エドワード殿下、本当に私の事好きなんですか?」
「あー……それはそうなんじゃねーかな? エディ、そんな冗談は言わない奴だし。まあ、入学式でのアレは勢いだろうけど、好意を抱いていない相手にはしねーと思うぞ?」
な、アインツ? と問いかけるクラウスに、アインツも頷いて見せる。
「ああ。立場上もあるが、あいつは好き嫌いをはっきり出す事をしないからな。そんなあいつが、わざわざ公衆の面前であんな行動をとるんだ。そりゃ、好きだろうと思うぞ?」
そんなアインツの言葉に、クレアが小さく首を傾げて。
「でも……私、別に何にもしていないんですけど? エドワード殿下に好かれる様な事、してないですよ?」
「クッキーを渡したと聞いたが?」
「いや、そりゃクッキー渡しましたし……なんだか疲れ切った顔をしていたから、声くらいは掛けましたよ? 掛けましたけど……そんな事で好意を抱かれるんですか?」
一息。
「――エドワード殿下ってもしかして……チョロいんです?」
「……仮にも一国の王子をチョロいとか言うな。まあ、それに関しては諸説はあるが……」
ちらっとディアに視線を向けるアインツは、そのまま小さくため息を吐く。
「……さっきのを見たら分かるだろうが……クラウディアの態度はあんな感じだしな? ただの幼馴染である私達にあんな態度と行動だぞ? 婚約者たるエディには……まあ、なんだ? もうちょっとこう……苛烈だ」
「……あれ以上と申すか」
畏怖すら籠った目でディアを見やるクレア。そんな視線を受け、ディアはにこやかに笑んでみせる。
「先ほど、クレアさんには言いましたが……エドワード殿下が王位を継ぐのは既定路線でしたし、立派な王になって貰わないと行けないと思いまして、厳しくご指摘はさせて頂きました」
「……あれ、厳しいなんてもんじゃねーだろうが。虐待かなんかかと思ってたんだけど」
ぶるりと体を震わせてそういうクラウス。そんなクラウスに、ディアは何でもない風に口を開く。
「あなた方もそうですし、ルディもそうですが……エドワード殿下が王位に就けば、エドワード殿下は皆さんの『主君』です。上に立つものが誰もいない、一国のトップです。そんな中、エドワード殿下に正々堂々と『口』を出せるのは王妃たる私だけでしょう?」
「……極論だが、まあそういう見方もあるかも知れないな」
「だからこそ、私は人より厳しくエドワード殿下に接していました。早いうちから、どっちが『上』か分からせるために」
「……なんか犬の躾けみたいな話が出てるんですけど……ええっと、クラウディアさん? それって単純にエドワード殿下が嫌いだからとかじゃないんですか?」
「これも先ほど言いましたね。人間的には尊敬していますよ、エドワード殿下の事」
「……少しくらい、その優しさをエディに見せてやれよ? アイツ、たまに俺らの所に来て愚痴ってたぞ? 嫌いなのは構わないが、厳しすぎるって」
クラウスの言葉に、ディアはにっこりと笑って。
「無理です。男としては本当に、生理的に無理なので」
「……まあ、こういう感じでクラウディアはエディに厳しいんだ。だからこそ、少し優しくされたらコロッといった、という事だろうとあたりは付けている。勿論、クレア嬢の見目が麗しかったのも一因ではあるがな?」
肩を竦めてそう言って見せるアインツ。そんなアインツに、クレアは尚も首を傾げて見せる。
「うーん……そんなものなのですかね?」
「なんだ? クレア嬢は不満なのか?」
難しい顔をするクレアに、クラウスがそう問いかける。そんなクラウスに、クレアは首を捻ったまま口を開く。
「不満って言うか、なんていうか……あんまりにこう、簡単過ぎるっていうか……チョロすぎるっていうか……」
「……流石にエディが可哀想だろう。ま、それはいいじゃねーか。今、そんな事を考えても仕方ないしな? ともかく、クレア嬢も俺らの仲間になれよ? ルディを王位に押し上げてさ?」
「うーん……」
「……よし、分かった。クレア嬢」
そんなクレアに、アインツが声を掛ける。
「――私たちの仲間になってくれれば……身元のしっかりした、婚約者候補を紹介しよう」
「――その話、詳しく!」
アインツの言葉にクレアはにこやかに笑んで喰い付いた。
そう。
喰い付いて、しまったのだ。考える事を拒否し、目の前の餌に、簡単に喰い付いて、しまったのだ。
もし、この時、もうちょっとこの考えを突き詰めて――ああ、でも、やはり変わらなかったかもしれない。
――『完璧王子』と呼ばれた、エディがなぜ入学式であんなことをしたか。
――クレアが少し優しくしただけで、なぜエディがクレアに惚れたのか。
――クラウスとアインツは、なぜこんなにもクレアに同情的なのか。
転生者ではないクレアには気付かなかったかも知れないが――あるのだ。
『原作の修正力』という、確かなチカラが。




