第三十五話 古の書物によると
「……なんて、ちょっと恥ずかしいですね」
少しだけ照れた様にそう言って、ペロッと舌を出して微笑んでみせるクラウディア。元々見目麗しいクラウディアのそんな茶目っ気のある態度に、何処かにあるクレアの開いちゃいけない扉が開きそうになる。流石、大天使だ。
「……鼻血出るかと思った」
「はい? 鼻血?」
「……何でもないです! ともかく! クラウディアさんがルディさんを『落とす』作戦を考えましょう! 私はきっとお茶会だ社交界だではクラウディアさんと一緒になることは難しいでしょうから、学校オンリーの援護射撃になりますが……」
少しだけ申し訳無さそうなクレアの言葉に、クラウディアは微笑を深くする。
「充分です。そもそもルディと居る時間の多くは学校になりますし」
「……そう言われればそうですね。毎晩毎晩、パーティーなんてある訳じゃ無いでしょうし……」
「学生の本分は勉強ですしね」
「そですね~。それで、具体的に――」
そこまで喋り、クレアは難しい顔で中空を睨む。それも数秒、『どうしました?』と言わんばかりの顔を浮かべるクラウディアにその視線を向けて。
「そもそもなんですけど……ルディ様のクラウディアさんに対する認識ってどんなもんなんですか? 女性として意識されている……とはちょっと思えないですし……お姉ちゃん的ポジションの人、とかですかね?」
クレアの頭に、昨日の食堂で甲斐甲斐しくクラウディアに世話されていたルディの姿が浮かぶ。あれは完全に、手の掛かる弟にする仕草だ。まあ……その後の行動にはドン引きしたのだが。そんなクレアの言葉に、クラウディアは首を横に振る。
「いいえ。ルディの私に対する認識は……一生懸命好意的に見て、『可愛い妹』くらいですかね?」
「ええっと……それは、エドワード殿下とクラウディアさんが結婚して義妹になるとか、そんな感じの意味です?」
「こちらも『いいえ』です。ルディは完全に私の事、妹としか見てませんもん」
私、不満です! と言わんばかりに頬をぷくっと膨らませて見せるディア。そんなディアをポカンとした顔で見つめるクレアに、ディアは『ああ』と一つ頷いて言葉を継いだ。
「……平凡王子だなんだと言われていますが……幼少時のルディは本当に凄かったんですよ? 私もエドワード殿下も、ルディに褒めて貰おうと一生懸命努力したんです」
「……マジっすか」
「マジです。ルディと初めて会った時は五歳の時ですが、ルディは勉強も運動も誰よりも出来て……大人との会話にも普通に混じっていましたから。五歳児が、です」
「……早熟の天才だったんですね、ルディ様って」
「早熟、と言ってしまうとそれはそれでなんだかルディを馬鹿にされている気がするので望ましくないのですが……どちらかと言えば、ルディは『あえて』手を抜いているのではないかと思っています」
「……なんでです?」
「腹立たしい事にエドワード殿下もそこそこ優秀なんですよ」
「腹立たしいって……」
「優秀なルディと、そこそこ優秀なエドワード殿下。そこに派閥が出来ればきっと、国を二分する争いになります。事実、七歳くらいになってエドワード殿下が優秀さを出し始めた頃にはそういう話もありました。ルディは聡い子でしたので……きっと、エドワード殿下に王位を譲る為に、わざと『平凡』なフリをしているのでしょう」
「……王城、こえぇ~」
まさに伏魔殿である。入学式の後、鬼詰めされた宰相閣下と近衛騎士団長閣下もそういう世界で生きて来たから、あんな怖い目出来たのか~と一人納得するクレア。
「……少し話が逸れましたね。そういう訳で五歳からこっち、私はずっとルディの後ろを着いていくだけの子でした。ルディは優しいから……私が置いて行かれそうになると黙って止まって、笑顔で待ちながら手を差し出してくれるんです。その姿が、もう、本当に格好良くて! 私もずっとルディに甘えてました」
なので、妹と思われるのは仕方ないんですよと苦笑を浮かべるディア。
「あー、なるほど。幼馴染の妹分、みたいな感じなんですね?」
「そういう関係です。なので、どうにかしてルディに『妹』から『女の子』に格上げして欲しい所ではあるのですが……」
困ったように頬に手を当ててこくん、と首を傾げるディア。
「あー……なるほど、なるほど。そういう関係性ですか……これは中々、覆すのが難しそうですね」
腕を組んで『むーん』と唸るクレア。そんなクレアに、ディアがしょんぼりとした顔を向ける。
「……やはり無理でしょうか?」
声音まで落ち込んだディアの言葉に、クレアが『へ?』と声を上げながら顔を上げる。
「いえいえ。難しいとは言いましたが、無理とは言ってませんよ?」
「そ、そうなんですか?」
期待に籠った瞳をクレアに向けるディア。そんなディアに、クレアはにんまりと笑う。クレア、自分自身でも驚くほどこの状況を楽しんでたりする。やっぱ、人のコイバナおもしれー! と。
「……古の書物に、こういう言葉があるのです。曰く、『人が好むものはギャップ』である、と」
「……古の書物……」
「まあ、お母様が学園時代に愛読していた恋愛小説ですが。年季入ってますが、我が家にとっては家宝に等しいです」
嘘である。ただ、母、クレアと二代続けて愛読しているので、まあまあ大事にはされている。本自体が高価な事もあるし、田舎男爵家には本屋もないし、その恋愛小説――『わくわく! 恋の学園大戦争!』はラージナル王国ではあまりの不人気で絶版になっているからだ。なんで不人気かは推して知るべしであり、そんな本から知識を得ているクレアの知識と言えば。
「――いいですか? 例えば弟の様に見ていた幼馴染の男の子がいたとします」
「はい」
「いつも手の掛かる弟。何にも一人ではできず、『もう! しょうがないな~』とお姉さんぶってた女の子。そんな二人も成長し、男の子は女の子の身長を追い抜き、徐々に男らしくなっていきます」
「まあ、そうでしょうね」
「ある日――町の悪漢に襲われる女の子。そんな超ピンチの場面で、突如助けてくれる幼馴染。あっけに取られる女の子に、男の子は笑顔を浮かべて言うんです。『危なっかしいな、お前は。俺がずっと守ってやる』と」
「……おお!」
「今まで弟の様に思っていた男の子の、不意に見せる格好いい姿。この女の子、どうなると思います?」
「……どうなるのでしょう?」
首を傾げるクラウディアに、クレアは親指をぐっと立てて。
「――『とぅんく』です」
「『とぅんく』……」
「彼女の胸の高鳴りは止まりません。ノンストップです。そう! いつの間にか格好良くなっていた男の子にドキドキがやめられない、とまらない状態なんですよ!! これが、これこそが……」
ギャップ萌え、です、と。
もう、なんというか、ほんとに酷い。何が酷いって、浅すぎるのが酷い。だが、現実は残酷である。
「な、なるほど……ギャップ萌え……」
「そうです! ルディ様にクラウディアさんが妹の様に見られているとするのならば! 『女の子』として意識さして上げれば良いのです!!」
「さ、参考になります! そ、そうですね!! 『妹』ではなく、私を『女の子』として見せる……つまり、大人っぽい様に見せれば……淑女になれば!」
「……幾らルディ様が朴念仁でも気付くでしょう。『あれ? ディア、可愛い……好き! 付き合って!』と!」
キラキラした目を見せるディアに、うんうんと頷くクレア。ディアも、こう、なんというか、残念なのである。
「分かりました! それでは……は、恥ずかしいですが、『大人な女性』として――ルディをベッドに押し倒します! 私の育った胸部でルディをメロメロにして見せます!!」
「それは淑女じゃなくて、痴女です!! 却下! きゃーっか!!」
まあ、想定以上に残念なのであるが。




