第三十二話 テンバーン神の御加護
結局、昨晩も寮内の誰からも話しかけられない――どころか、登校初日のあの『姫ムーブ』が確実に悪い方向に作用し、クレアは昨晩もぼっちだった。『なんで私、この学園に入ったんだろう?』とお腹が痛くなりながらも、無情にも朝はやってくる。重い足取りと、それ以上の重い足取りで登校、教室に入った所でクレアは信じられない光景を目にする。
「……おはようござ――――おうふ」
机の天板に突っ伏し、両腕は『だらん』と垂らしたディアの姿だ。国内きっての名門貴族のご令嬢、誰しもが奇異の目を向けるも話しかけられるが躊躇われるその光景に、教室の中もざわざわしている。と、そんな皆の視線が教室に入って来たクレアに集まり――そして、始まる同調圧力。
――お前、行け、と。
「…………おうふ」
昨日の食堂の一幕はクラス内でも知れ渡っている。だって歩くニュースメイカー(本意ではない)であるクレアだ。今、一番ホットな話題であるディアの婚約破棄の、もう一人の当事者であるにも関わらず、仲良く昼食を食べていた仲なのである。
――ねえ、君? クラウディア様のオトモダチだよね? オトモダチなら、様子のおかしいオトモダチに声掛けるのも、オトモダチの仕事だよね?
そんな、皆の心の中の声が聞こえてくる様な幻想に捕らわれ、思わずクレアは立ち眩みを覚える。だが、そんなクレアの立ち眩みを心配してくれる様な『オトモダチ』はこのクラスにいないのだ。
「……なんで私ばっかりこんな目にあわなくちゃいけないのよ」
やさぐれた様な声がクレアの口から洩れる。教室であんな目立つ格好しているディアにも、心配しているのか興味本位か知らないが声も掛けないクラスメイトにも……そして、自分自身にも。
「――おはようございます、クラウディアさん!! どうしたんですか? それは何か新しい宗教か何かですか? デスク教のテンバーン神に祈りを捧げるポーズですかね? 机におでこをつけるとご利益ある的な!」
教室内が、『キン』と音を立てて固まった。先程とは別の意味で居心地の悪くなったクレア。だって、しょうがないじゃないか。五体投地の椅子に座ったバージョンみたいだったんだもん、とクレアが心の中で言い訳をしていると、ディアが緩慢な動作で頭を上げる。
「あ……クレアさん。おはようございます」
「お、おはようございます。ど、どうしたんですか、そんな恰好で! ほら、今日も一日頑張りましょー! 元気出してください!」
「……ええ、頑張りましょう。がんばり……がんば……がんばれません……」
最初こそ、『頑張る』と口に出していたディアだが、その声には元々生気がなく、それどころか徐々に小さくなり、最後は『がんばれません』だ。段々涙目になっていくディアに、クレアは慌てて両手をわちゃわちゃと振って見せる。
「ど、どうしたんですか、クラウディアさん!? が、頑張れませんって!! ちょ、な、泣かないでください!!」
「……クレアさん」
「え、えっと、ハンカチは――え? は、はい? なんですか?」
「最後に、お願いがあります」
「最後とか言うのやめましょうよ!? お願いくらいは聞きますから! ど、どうされたんですか!? ほら、言ってください! 私に叶えられることなら――」
「――お父様にお伝えください。クラウディアはもう、ダメだと。華々しく散ったと、そうお伝えください。愛していました、お父様、と。」
「――叶えられるわけがない!? 何言ってるんですか、クラウディアさん!?」
全然、華々しく散った感じがなく、どっちかと言えばゾンビ化に近かったんですけどーとは流石にクレアは言わない。空気が読める子なのだ、クレア。
「そうですか……この願いは聞き入れられませんか」
「そ、そうですよ!! そもそも、それは自分で伝えて下さい。っていうか、なに戦場で散っていった人みたいな事言ってるんですか!! 此処、学校で、教室ですよ?」
「戦場……そうですね。此処は私にとって戦場になるはずでした。ですが、別の戦場で痛恨の一撃を喰らってしまったのです。私のヒットポイントは、もう、限界なんです……」
本気で何言ってるか分からない。そう思い、白い眼を向けるクレアに、クラウディアは涙を湛えた瞳のまま、クレアに声を掛ける。
「それでは……最後にこれだけ、お聞かせ願いますか?」
「……なんか段々その『最後、最後』詐欺が面倒くさくなってきましたが……なんですか? 私に何か聞きたい事があるんですか?」
「ええ。これはクレアさんにしかお答え出来ません」
「はいはい。それで、聞きたいことってなんです――」
「――――デスク教のテンバーン神様とはなんですか?」
「――人の心とか無いんか」
「私、ある程度地理や歴史に詳しいつもりなのですが……その様なご利益をもたらしてくれる神様がおられるのですか? レークス男爵領独自の宗教なので?」
「クラウディアさん、私の事やっぱり嫌いだったりします!?」
完全に滑ったギャグの解説を求められる公開凌辱に、クレアの顔が羞恥に染まる。やっぱり、まだ仲良くなりきって無い仲での野球、政治、そして宗教の話はしてはいけないのだ。
「滑ったんですよ! ちょっとくらいはポップな空気になるかな? と思って、ギャグを言ってみたんですよ!! ええ、ええ、悪かったですね、センス無くて! ギャグセンス、お母様のお腹の中に忘れて来たんですよ!!」
「あら……そんな忘れ物、出来るのですね?」
「出来るかぁ!」
「……ああ、それもギャグ、と?」
「そうじゃないんだけど……!」
もう、本当に勘弁して欲しい。見ろ、教室の空気。さっきよりも悪いじゃねーか、とクレアの中のリトルクレアがペッと唾を地面に吐き出す。と、同時に教室のドアがガラガラと引かれる。
「お、おはようございまーす。え、ええっと、早く皆さんと仲良くなりたいな~と思って、先生、張り切って早く来ちゃいました! 皆さん、今日も一日、勉学にはげみぃいいいいいーーーー!? く、クラウディアさん!? どうしたんですか!?」
このクラスの担任、ジョディ・ローレル女史の絶叫が室内に響き渡る。先程のクレアと同様に、緩慢な動作でジョディを見つめるディア。そんなディアに、ジョディの喉奥で『ひぅ』という小さな悲鳴が上がった。
「ど、どうしたんですかクラウディアさん! 泣いていますし……そ、それにおでこ! 赤くなっちゃっていますよ! ど、どこかにぶつけたんですか!?」
ただでさえ、『いいかい、ジョディ先生? 君のクラスにいるのは高位貴族の方が多い。少しでも粗相する様だったら……こう、だぞ?』と首の横で親指を引く動作を学年主任にされたばかりだし、『ジョディ先生? 学園が貴女を守るのではありません。貴女が学園を守るんですよ? その為に学園は貴女にお給金を払っているのですから。全ての責任は貴女が取るんです』とブラック企業も真っ青のきょうは――じゃなかった、指導を学園長から受けたばかりなのだ。ジョディも無茶苦茶慌てるというものである。
「……どこにもぶつけていません」
「そ、そうなんですか? よ、よかっ――」
「これは、デスク教のテンバーン神様に祈りを捧げていたのです。なんでも、机におでこを付けるとご利益があるらしいです」
「――良くなかった!? クラウディアさんの頭がおかしくなっちゃった……クビ……給料遅延……未払い……連帯保証人……お家取り潰し!? が、学園長!! これは私のせいじゃないです!! 私の責任じゃないですから!!」
完全にパニックになり、教室を飛び出すジョディ。その姿を見るとはなしに見つめていた視線をディアはクレアに戻し。
「……あまり面白くない様ですよ、このギャグ」
「知っとるわ!! マジで人の心とか無いんか!?」




