第二百八十七話 常に、掛け算の右側
「や、ヤバいじゃん、エルマー先輩!」
エルマーの言葉に慌てた様に――というか、事実慌てて言葉を継ぐルディ。
「近衛の存続の危機だよ、それ!」
ルディの頭の中で、『そんなの認めないし!!』と大暴れするユリアの姿が。進撃のユリア並みに、第二近衛騎士団を蹂躙する姿が浮かんで消える。そんなルディに、エルマーは『ないない』とばかりに苦笑を浮かべて手を振る。
「……流石に大げさだ。大げさだが……まあ、バーデン家だしな。少なくとも俺の雑魚寝辺りは抗議の声を上げる可能性は高いだろう」
主に、ユリアが。そんな明るくない未来予想図にエルマーはため息を吐く。
「……正直、技術院の生活も似た様なものだ。なんだかんだ言っても研究者だからな。研究に没頭すれば寝食を忘れる事はまあ、ままある。そのまま気絶宜しくバタンキューで研究室の床で寝る事も少なくはない。技術院の研究室を見て見ろ。そこかしらで死屍累々の姿が散見されるぞ」
「たまにゾンビみたいにウロウロしている人もいるよね、技術院」
「しかも目玉だけはいつもギラギラしているし……なんなら薄ら笑いを浮かべているモノもいるしな」
「お化け屋敷なの、技術院?」
「当たらずとも遠からずだな。化け物みたいなやつらの巣窟だ」
頭も、そして生活態度もである。貴族令嬢不人気部署ナンバーワンは間違いなく技術院なのだ、この国では。そのくせ、給金は良いし、そもそもが開発できれば幸せみたいな人間ばかりなので浪費癖はない。コミュニケーション能力が壊滅的で、服飾センスは皆無、基本的に根暗で何言っているか分からない以外は意外に結婚相手としては優良物件だったりするのだ。まあ、結婚まで行きつくのにかなりのハードルがあるが。
「……逆に今までユリア先輩、よく我慢出来てたね? 今の話じゃエルマー先輩だって技術院で雑魚寝してたんでしょ?」
「まあそうだが……その時はユリア嬢との関係性もそこまで深くは無かったしな」
「ああ、まあ……納得か」
少しばかり嫉妬はするが、それを口に出す権利はない。なんせ、婚約者でも、彼女ですらないのである。その辺の良識はあるのだ、ユリアは。
「……だから、此処に来て文句を言うと」
「文句というのはまた別だが……まあ、そうだ」
ユリア的には既にエルマーに思いを伝えているし、エルマーからも好意的な返答を貰っているのだ。正に大手を振って文句――まあ、意見を言っても罰は当たらないだろう、という判断もあるし……なにより、今なら多少『拗ねて』も、エルマーに許して貰えるくらいの信頼関係は築いているという自負もある。
「……後は……まあ、アレだな。技術院ならともかく、近衛騎士団となると俺の貞操が心配らしい」
「……まあ、青びょうたん揃いの技術院ならともかく、屈強な近衛騎士団ともなるとユリア先輩も心配なのか」
青びょうたん同士ならばともかく、心身ともに強大な近衛騎士ともなれば……というやつである。ユリアの中ではエルマーの立ち位置は掛け算の右側なのだ、常に。ただの近衛騎士団ですらそうなのに、第二近衛騎士団はジムが入団出来た事でも分かるよう、貴族階級だけでは無いのである。街の荒くれもの、とまでは言わないまでも、貴族的な『素養』がある人間ばかりではないのだ。そんな中でオタク気質のエルマーが紛れ込んだらどうなるか。
「……貞操云々はともかく……エルマー先輩、第二近衛騎士団に馴染めるの?」
ヤンキー高校に真面目君が独り、みたいな状況である。そんなルディの心配に、エルマーは少しだけ笑顔を見せる。
「まあ、問題ないだろう」
「そうなの? 仲の良い人とか出来る? なんかそんな気が全くしないんだけど? 大丈夫なの、エルマー先輩? いじめられたりしない? 『オタク君、うぇーい』とか肩パンされたら直ぐに言ってよ? 僕でもユリア先輩でも良いけど」
「お前は俺の保護者か。まあ、有難いが……そんなに心配するな、ルディ。後、ユリア嬢には死んでも言わん」
「格好悪いから?」
「ふざけた人間が死ぬほどつらい目にあうだろう? 流石にそれは忍びないし……そもそもだな?」
そう言ってエルマーは心持、胸を張って。
「そもそも俺は、学園でもお前以外の友人はいないからな。一人ぼっちでもなんの問題もない」
「メンタルが強い」
そして、理由が悲しい。自信満々にそういうエルマーに、ルディは心の中で涙した。




