第二十七話 悪魔にだって、魂を
「はぁ……堪能させて頂きました」
『お願いしますメアリさん、お願いしますメアリさん!』と涙ながらに懇願するディアに根負け――まあ、ルディの口元を拭ったハンカチも貰ったし、ちょっとくらい良いか、とディアにルディジャケットを貸したメアリは、手元に戻って来たジャケットを悲しそうに見つめながら、ポツリ。
「…………もう、クラウディア様の匂いしかしません」
ルディのジャケットを借りたディアは凄かった。もう、もんの凄く凄かったのだ。頬擦りし、ぎゅっと自身の体を抱きしめ、くんかくんかと匂いを堪能した。父親が見たら卒倒するようなそんなドン引きする地獄の光景が、メアリの部屋で繰り広げられていたのだ。まあ、メアリ自身も大して人の事は言えないから、ドン引きはしなかったが。誰だってそうする、私だってそうするの精神である。
「そ、その……メアリさん? す、少しばかりはしゃいでしまいまして……そ、その、申し訳ありません」
一方、心持しゅんとした表情を見せるメアリに、罪悪感を覚えたか、ディアが慌ててメアリに声を掛ける。
「……お気になさらず」
「いえ、貴方そんな泣きそうな顔をして……そ、その、何か代わりのモノで良ければ……」
「いえ、本当に大丈夫です。クラウディア様に堪能していただいて、このジャケットも本望でしょう」
「で、ですが――」
「それにまあ、またルディ様の香りをお付け頂けば良い話ですし」
「――はい? ルディの香りを?」
「はい」
「……どうやって?」
「私はルディ様付の侍女ですので。ルディ様の今着ているジャケットをクリーニングに出すタイミングで、このジャケットをルディ様に着て頂くのです。そうすれば、いつでも新鮮なルディ様の香りを摂取出来るというものです」
少しだけ胸を張って偉業を話す様に話すメアリ。そんなメアリに、プルプルと震える人差し指でディアはメアリを指さし。
「……天才ですか、メアリさん」
「これが私の発明した、『ルディ様永久機関』です」
「過去の偉人たちが挑み、破り続けて来た永久機関を……は! ま、まさかメアリさん、二着作っていたのも……?」
「勿論、このために御座います。仮縫いでついた香り? はっ! そんなもの、一晩使用すれば消えてしまうに決まっていますでしょう?」
『使用』ってなんだよ、と突っ込む人はこの部屋にはいない。ボケが大渋滞なのである。
「……素晴らしい才能です、メアリさん。やはり、貴方を味方に引き込んだのは正解ですね」
「勿体ないお言葉です、クラウディア様。ですが……」
ルディのジャケットを丁寧にブラッシングし、大事そうにクローゼットに掛けると、メアリは真剣な目をディアに向ける。
「その為には、ルディ様に『国王陛下』になって貰わないといけませんね?」
「ええ。それが最低条件ですので」
メアリの視線に、ディアも背筋を伸ばしてそう返答する。
「なにか、策はございますか?」
「……エドワード殿下の評価は高いです。王城内での彼の評価はルディの上を行くでしょう」
「……そうですね。エディ様が駄目、という訳ではないです」
「ええ、忌々しい事に」
心底難そうにそういうディアに、メアリは何とも言えない表情で曖昧に苦笑を浮かべて見せる。ルディの事は大好きなご主人様ではあるが、かといって幼少時より知っているエディの事だって嫌いな訳では無いのだ。
「……その様にエディ様に邪険にされるのは……」
「ああ、すみません、メアリさん。それに私は別にエドワード殿下が嫌いな訳ではないです。文武両道、眉目秀麗、身分の上下に関係なく、下のモノには優しい。理想の君主だと、掛け値なしにそう思いますよ?」
「……ええ。その通りです」
「はい、それは認めます。彼が気に喰わない理由は、だから、ただ一点」
――彼は、ルディではないから。
「彼が、ルディなら私も彼を愛し、彼の王位のその側で、支える事もしましょう。でも、彼はルディじゃないから。ルディじゃない王様なんて」
いらないわ、と。
まるで、おもちゃに飽きた子供の様に、むしろにっこりと微笑んでまでそう言って見せるディアに、メアリの背筋に冷たいものが走る。
「……まあ、かといって別に国を二分した戦争をしたいという訳ではありませんので。平和なら平和の方が良いですし……彼は、エドワード殿下はルディの弟ですからね。彼を害すとなると、ルディが悲しんでしまいますので」
「本当に、お願いします。私もこの国は好きですので」
「私もですよ、メアリさん。私が我慢できる範囲内であるのならば、我慢もします。だから、エドワード殿下との婚約も泣く泣く『我慢』してましたので」
でも、それも先日まで、と。
「知っていましたか、メアリさん? 人って手に入らないものは我慢出来るのに、『手に入るかもしれない』って思ったら、もう我慢出来ないんですね? 私、こんな感情初めてです」
名門貴族として生まれたディアに、およそ『我慢』しなくてはいけないものは殆どない。どれだけ望んでも、どれだけ願っても、手に入らないものはルディだけ。だから、彼女は『我慢』出来たのだ。翼の羽のない人間が、自身の力だけで空を飛べない様に、肺で呼吸する人間が、海の中を自由自在に泳ぐ事が出来ない様に、クラウディア・メルウェーズという少女には『ルドルフ・ラージナル』という大好きな少年のお嫁さんになる『資格』が無いのである。
――いいや、資格が無いと、『思っていた』
「今の私には、その『資格』がある。ルディの、幼いころから愛した男の子の『特別』になれるかもしれない。折角めぐって来たチャンスを逃す程、私は甘い女ではありませんので。それを手に入れる為には、悪魔にだって魂を売りますよ?」
そう言って紅茶を一口飲み、ディアは立ち上がる。
「お邪魔しました、メアリさん。今日はとても良いお茶会になりました」
「なんのお構いも出来ませんで。もう、ご帰宅――今日は王城にお泊りですか?」
「ええ、王城に泊まります。ですが、自室には帰りません」
「では、何処へ?」
「決まっているじゃないですか」
にっこりと微笑み。
「悪魔に魂を売って仕舞わない様に、エドワード殿下の所にですよ? きわめて平和的にルディの『お嫁さん』になれるように……話し合いを、ね?」




