第二百七十三話 それにしても金がない
ラージナル王都の現実的な一番の問題である『物価高』は一切、好転していなかった。本人同士の間では局地的な解決を見ていた婚約破棄問題であるが、メルウェーズ公爵家の態度は軟化はしていない以上、当然と言えば当然ではあるが。買占めにより、王都全体に流通する量のパンはなく、暖を取るための薪はなく、来年の収穫の為に必要な種苗も無かった。
さて、物価高によって一体、何が起こるか?
正解は消費の低迷、いわば『買い控え』である。勿論、これだけが問題では無いが、現在、『物価高が問題になっている』どこかの島国を見ればわかる通り、何処の家でも節約志向が叫ばれれば畢竟、消費は低迷する。
消費が低迷するとどうなるか。これも簡単だ。単純に、経済が停滞するのだ。買い控えは要は、作り控えを誘発し、それにより雇用をする側は、雇用される側に十分な給料を払う事は出来なくなる。自身の財布の平和を守れないものが、他人の財布を守れる道理はなく、当然に買い控えは進行し、そうなれば作り控えが進行し、さらなる買い控えが……という、悪循環に走るのである。
それでもまだ、ラージナル王都が幸せなのは『一割程度』の値上げに過ぎなかったことと、全ての人が『この物価高は何時か終焉する』と楽観視していた事だ。
――なるほど、メルウェーズ公爵家のお怒りはご尤も。なれど、流石に戦になることはあるまい。
この様な楽観論が、王都中に溢れており、そしてその考えは決して間違えでは無い。幾ら娘が可愛いメルウェーズ公爵だって、流石に王都全土を火の海にする、けたたましい戦争を望んでいる訳では無いのだ。それを知っている雇用者は、自身の店の従業員に少しだけ申し訳無さそうな顔を浮かべながら、そして従業員の側も、少しだけ不満そうな、それでいて諦観を込めた笑顔で給料を受け取っていたのだ。
そう。
「…………仕事が、ねぇな~」
『既に仕事を得ていた者』は、だが。活気に溢れているとは言えない、何処かうすら寒い気配すら感じる王都を、一人歩いていたのは、レークス領から一旗揚げたる! と意気揚々と出て来た大工、ジムである。年はまだ若いも、技術レベルは一端の大工の――まあ、入口程度に立っていると考えていたジムの冒険は、王都に来て三日目にして既に終わろうとしていた。仕事が無いのである。
「……まさか、こんな事になっているとは」
ジムには自信があったのだ。どっかの大工の親方の所で暫く働けば、自分の力量を認めて貰えると。それから二年ほど親方の下で修業をして独立、レークス領からリーナを呼び寄せて幸せな家庭を築くという……まあ、それくらいの自信は。
若い内の特権、多少の自惚れはあれどジムのこの考えは基本的に間違えてはいない。ジムは優秀な大工の卵であり、仮に王都が好景気とまでも行かなくとも、せめて今の様な物価高の不景気状態では無かったのであれば、ジムはきっとどこかの大工に雇って貰えていただろう。その可能性は間違いなく高かかったが、残念ながら今の景気状態では、『既に仕事を得ていた者』のその席を奪う程の力量は、今のジムには無いのだ。
「……」
懐から取り出した財布を開いて、中を覗き見る。既に何度見たか、財布の中の路銀の数は減ることはあっても増える事は無いのだ。ポケットに入れて叩けば増える、魔法のビスケットではないのだ。
「……ぎりぎり、だな」
今ならまだ、引き返せるのだ。レークス領で溜めた路銀は、ぎりぎり、レークス領へ帰る程度は残っている。残っているが。
「……んな格好悪い事、出来ねーよな……」
ジムは、だって、男の子なのだ。『絶対、王都一の大工になってやる!』とホレた女の子に宣言し、必ず呼び寄せると誓ったその舌の根も乾かない内に『王都行ったけど、仕事が無かったので帰ってきました、てへぺろ』なんて、そんな格好悪い事は出来ないのだ。勿論、ジムとて分かっている。自分のホレた女の子であるリーナが『はぁ? ジム、すっごいダサい』なんてことは言わず、それどころか『そっか。でも、ジムと一緒に居れるから、嬉しいよ?』と言ってくれる優しい子だという事は。だが逆に、そんな女の子だからこそ、格好つけたいのが男心というものでもある。
「……でも、マジでなんとかしないとな。どっかに仕事は――うん?」
そんな時、たまたま大通りで目にした辻札があった。既に結構古いのか、誰もそこには群がってはいない、そんな辻札の内容を目にして。
「……これしか、なくね?」
そこに書かれていたのは『急募! 第二近衛騎士団団員! 貴族、平民の別なし! 経験者優遇!』と、ポップな文体で書かれた頭のおかしいポスターに、藁にもすがる思いを抱いた。




