第二十四話 やってらんねぇ
ディアのにこやかな笑みに恐怖を覚えながら、クレアは目の前のステーキに視線を向ける。触れたら危険、というワードが頭の中に浮かんだからだ。まあ、そうは言っても流石に貴族の最上位と王族の前、ずっと視線を下に落とすのも失礼かと思いその視線を上げて。
「……もう、ルディ? ほっぺにお米が付いてますわよ?」
「へ? どこ?」
「ほら、ほっぺの此処に」
「えっと……え? ついて無くない?」
「逆です。ほら、じっとして」
そう言って『しょうがないな~』と言わんばかりの苦笑を浮かべて、手元のナプキンでルディのほっぺたのご飯粒を取るディア。
「はい、とれましたよ」
「ありがと、ディア」
「ふふふ。折角の男前が台無しですからね」
「いや~ディアだけだよ。僕の事を男前なんて言ってくれるの。それはエディに向けられる言葉だからね~」
「それは皆さんの目が節穴なだけです。ルディは男前で、優しくて――」
――素敵な男性ですよ? と。
微笑むディアに、クレアは思う。
あれ? と。 なんかこの二人、距離感バグってね? と。頭上に『はてな』を浮かべながら二人の行動を見ていると、ディアが更にルディに体を寄せる。
「……ですが、ルディ? 身だしなみはしっかりしないと……ほら、ネクタイが曲がっています。こっちを向いて……はい、これで良いですね。うん、男っぷりが上がりましたよ。ふふふ、やっぱり殿方は何時でもしゃんとしていないと」
ルディの襟元に手を伸ばし、ネクタイの結び目を両手で包み込むように直して、にっこり。ディアが向ける瞳の色を視界に納めたクレアの脳裏に、一つの想い出がよみがえった。
――あれはそう、クレアが三歳の頃。
男爵とは言え所詮は片田舎の男爵家だ。王都にタウンハウスがある様な立派な貴族ではないクレアは、辛うじてお嬢様と呼ばれてこそ居たものの、基本は田舎の町の子供と一緒に真っ暗になるまで遊ぶような生活だったのだ。
そんなお転婆だったクレアが、その日も真っ暗になるまで遊んで『ただいま~』とリビングのドアを開けた時に見た、父と母の姿。
少しだけ乱れた服を直し、『あら、お帰りなさいクレア。さ、ご飯にしましょう』と言いながら……それでも名残惜しそうに、愛おしそうに自身の父を見つめていた母の様な、一種の情念が籠った様な、『女』の目。
「……あの時のお母さんの目だ……え? で、でも……あ、あれ?」
クレア、パニック。クラウディア・メルウェーズという女性は、エドワード・ラージナルの婚約者であったはずである。だからこそ、入学式でのあの一件でクレアは悪目立ちし、今、この苦境に陥っているハズなのである。それもこれも、ディアとエディの二人が仲睦まじい許嫁であったからこそ、なのだ。なのだが……
「……」
クレアの中での前提条件がガラガラと崩れ落ち、黙ってディアを凝視する。もしかしたら、ひょっとしたら、自分が知らないだけで上位貴族の中では、こういう態度は珍しくないかも知れない。これが普通なのかも――
「……もう、ルディ! 今度は口元にソースが付いていますよ。ほら、じっとして……はい、とれました」
「自分でとれ――むぐぅ……自分で取れるのに……でもまあ、ありがとう、ディア」
「全く……ルディは手が掛かりますね」
「……」
……上位貴族でもおかしいだろう、絶対。クレアの、『心の内なるクレア』がそう叫ぶ。どんなカップルだよ、と。むしろどんなバカップルだよ、と。
……だが、まだ分からない。まだ分からないのだ。もしかしたら、万に一つの可能性で、いずれ義兄弟になる二人の間の空気はこういうものかも――
「ほら、ディア? ハンカチ貸して。洗って返すから」
「これくらい問題ありません。そもそもこれを洗うなどもった――コホン。そんな事、王子であるルディにはさせられません」
洗うなど勿体ないとか言い出したぁ! と、クレアは心の中だけで叫ぶ。で、でもまだ分からない。もしかしたら、ひょっとしたら、天地がひっくり返ったら、こういう事もあるかも知れないのだ。
……いや、なんでクレアはこんなに必死になっているんだ、と思う人もいるかも知れない。だが、考えてみて欲しい。クレアがこんな状況になったのはエディの婚約破棄アンドクレアを婚約者にする! 発言のせいだ。そして、此処までクレアに『悪評』がつくのも『エドワード殿下とクラウディアはお似合いのカップル』と言われていたからなのだ。
――それがもし、ビジネスカップルだとしたら、どうだ。
それなら『恋多き王子の火遊び』程度で収まり、クレアには同情だって集まったかも知れないのである。名誉は傷付くが。
「……」
だからこそ、クレア的にはディアとエディ、二人に愛し合って欲しかったのだ。ディアに申し訳ないと思っていたのも、ディアがエディの事を深く愛していると思っていたからだ。なのに、ディア、目の前で婚約者の兄にメス顔向けているのである。
「……やってらんねぇ……」
これでは明後日の勘違いで悪評たてられたクレア的には、たまったもんじゃねー、である。だからこそ、絶対にそうであって欲しくないと思ったクレアの目の前で。
「……ふへ」
ルディから顔を背け、ダラシナイ顔でルディの口元を拭ったハンカチを見つめるディアに、クレアは『やってらんねーぞ、マジで! 返せよ! 私の罪悪感と平和な生活!!』と見えざる神に心の中で中指をおっ立てた。
ちなみに、もしこの一幕が学園の食堂ではなくディアの自室であれば、躊躇いなく匂いを嗅いでいただろうことだけ、特記しておく。流石に口に含んだりするほど、はしたなくはないのだ、ディアは。




