第二百十四話 別にエルマーはドMではない
『違うし! 違うし!! 愛ゆえだし!!』とクレアに向かって吠え続けるユリア。そんなユリアに、ポツリと。
「……そうか。洗脳、か」
エルマーの、そう大きくない声が響く。その声を聞いて、ユリアの顔が『さぁー』と真っ青に染まる。同時、残された二人、エドガーもクレアも思う。『あ、これはまずい奴だ』と。
「ち、違う!! 本当にそれだけは違うから、エルマー様!! 信じて下さい!! 私は、そんなつもりは……」
ユリアにとっては溜まったものじゃない。大好きなエルマーに、『あ、俺、洗脳されてたんだ。なんて酷い女だ、ユリア嬢は』なんて思われた日には悲し死してしまう。そんな必死のユリアの叫びに、またもポツリと。
「…………でも、状況証拠だけ見たらそうですよね、ユリア姉さんのしている事って」
「え、エドガー君!! だ、ダメです!! そんな事言ったら!!」
「あ! ち、違う!! 違うんだ、エルマー!! つ、つい、本音が――じゃなくて!! う、うん!! 別にユリア姉さんが……まあ、していること自体は……ほ、ほめられた事じゃないかも知れないけど!! でも、ユリア姉さんはずっとエルマーの事が好きで、だから、情状酌量の余地は……あ、あんまり無いかも知れないけど……」
「フォローするならちゃんとしよう!? 何言ってんの、エドガー君!!」
「……何が言いたいんだろう、僕」
フォローしようとして、大失敗。まあ、エドガーも別にユリアを追いつめようとはしていないし、先程、散々ボロクソに言われた意趣返し、という訳でもない。ただ、純粋に心の奥から漏れた声で……まあ、だからこそタチが悪いとも言える。『こいつ、マジで使えねー』という視線を一度向けた後、クレアは殊更に笑顔を浮かべてユリアに話掛ける。軌道修正を図るのは自分しかいないんだ、という強い意思と共に。
「と、ともかく! ちがいますよ、エルマー先輩!! ねえ、ユリア先輩? 別に本当にエルマー先輩を洗脳しようと思った訳じゃないでしょ!!」
「あ、当たり前だし!! そんなの、私の望むところじゃないし!!」
ユリアは別にエルマーを洗脳しようとしている訳ではないのだ。ユリアは確実に、素敵に無敵な恋する乙女であり、恋する乙女である以上、部屋に閉じ込めて『ねえ、エルマー様? エルマー様はユリアの事が大好きだよね? 大好きだよね? 大好きだよね?』と一方的に刷り込むのは良しとしないのである。ああ、まあ? エルマーがユリアに視線を向ける為の初期教育としてアリ、という考えなんで、エルマーを数日間実家に軟禁したりはしたが。何処が違うのかだって? ユリアの気の持ちようが違う。ユリアはヤンデレだが、ニュータイプのヤンデレなのだ。そんなユリアの言葉に気をよくしたクレアは、今度は先ほどの発言の『捏造』に掛かる。
「別にエルマー先輩に女子と話す機会を与えなかった訳じゃないですよね!? たまたまですよね!! たまたま! さっきはバーデン家の力を使ったみたいな事言っちゃったけど、それ、ちょっとイキっただけですよね!? 実際はそんな事実、無かったんですよねぇ!」
「……」
「なんでそこで黙るかなぁーあああ! それ、認めているようなもんでしょうが!!」
ついっと視線を逸らすユリアに、クレアが叫ぶ。
「だ、だって! ううう……酷いよ、クレアっち!!」
「なにが!?」
「だ、だって!! 絶対にエルマー様、盗られたくなかったし!! だ、だから……た、確かに、エルマー様が他の女性としゃ、喋る機会を……う、奪ったのは事実だもん!!」
「白状した!? いや、まあ、最初から白状はしていた様な気もしますけど……で、でも!モノは言いよう、って言葉、知りませんかねぇ!? 此処で馬鹿正直に、『え? 話す機会、与えなかったですよ? 与えなかったけど、何か?』って言ったら泥沼でしょうが!?」
「ど、泥沼かもしれないけど……や、ヤだもん!!」
「私は今のこの瞬間が一番イヤですけどね!! なんで私、こんな泥沼の愛憎劇に巻き込まれているんでしょうか! 前世の私、どんな悪い事したんですかねぇ!?」
多分、人間関係で酷い事をしたんだと思います。なんかこう、人の陰口叩きまくったとか。
「だ、だって! そ、それはエルマー様に『嘘』を吐く事になるじゃん!!」
「そ、それはそうかも知れないですけど――」
「――エルマー様に、嘘、だけはつきたくないもん!!」
「――……」
「……バーデン家は確かに、謀略が多いよ? 嘘も、方便も、誤情報だって、必要なら使う。でも、だからこそ……本当に好きな、大好きなエルマー様には……」
『嘘』、吐きたくないもん、と。
それは、貴族社会の暗部を、ダーティーな部分を担当して来た一族であるバーデン家に生まれた彼女の心の底からの願い。自身の家業が悪い事とは思ってはいないし、一定の誇りは持ってはいるが、それでも大好きな人には『嘘』を吐きたくないという乙女心で、だからこそ。
「エルマー様に『嘘』吐いたら……この気持ちも、『嘘』と思われちゃうかもしれないのは……辛すぎるもん」
そんな、恋する乙女の悲痛な叫び。その叫びを聞き、エルマーは小さくため息を吐いた。
「……皆、色々気を回してくれているようだが……そこまで気遣わなくても良いぞ?」
「……エルマー様」
涙目でエルマーを見上げるユリアに、苦笑を浮かべてその頭にポンと手を置き。
「――そもそも俺は、別にユリアに洗脳されていたとしても……それはそれで嬉しいと思っているしな」
そんなエルマーに、びっくりした様な顔を浮かべてクレアは。
「え? ドMなんですか、エルマー先輩?」
「……女の子がドMとか言うな」




