第二百十話 あばたもえくぼ
「……ユリア嬢」
ふんっとそっぽを向いているユリア。そんなユリアに、困った様な顔を浮かべてエルマーは一歩、また一歩とユリアに歩みを進める。そんなエルマーの姿をみて、エドガーが慌てて声を掛ける。
「エルマー!? 不味い!! 今の姉さんは冷静さを欠こうとしている状態だ!! 近づかない方が無難だ!! ハウス!!」
「……冷静さは既に欠いているだろう、今のユリア嬢。後、ハウスって。犬かなにかか、俺は」
「ま、待ってください、エドガー君!! ユリア先輩はエルマー先輩大好きっ子ですよ!! むしろ今のユリア先輩に近づけるのはエルマー先輩だけです!! エルマー先輩にご機嫌を取って貰いましょう!!」
「……酷くないか、クレア嬢? それじゃ俺、生贄じゃないか」
「ご、誤解です!! そう言う意味じゃなくて!!」
そんな漫才をする二人に律儀に突っ込みを入れながら、エルマーはため息を吐いて歩みを再び進める。
「……なに? 生贄に来たし?」
「生贄のつもりは無いが。まあ、誤解があるのならさっさと解いておうこうかな、と」
まあ、生贄には違いないが。アレだ。暴れる大蛇に酒を飲ませるのとかと同じシステムである。
「誤解? 何が誤解だし? だってエルマー様、クレアっちを口説いたんでしょ? クレアっちが言ってたし?」
じとーっとした目をクレアに向けるユリア。そんなユリアの視線に、クレアは慌てて両手をわちゃわちゃ振って見せる。
「ち、違います!! じょ、冗談です!! ただ、ちょっと、その……わ、私の領地の話で!」
「……領地の話?」
「そ、そうです! 私の領地の御先祖様のお話をエルマー先輩にしたら、エルマー先輩が感銘を受けて下さったというか……ね、ねえ、エルマー先輩!!」
クレアの言葉にエルマーも頷いて視線をユリアに向ける。
「肯定だ。クレア嬢に領地の話と……ご先祖様の話を伺ってな。その生き方が貴いと思ったので、心に刻むと、そういう話をしただけだ」
「……口説く云々は?」
「あれはクレア嬢の冗談だ」
「クレアっち?」
「そ、そうです! ただの冗談です!! 別に、エルマー先輩の事なんか、なんとも――」
「怒らないから本音。エルマー様、格好良くなかったの?」
「――ちょっと、『きゅん』と――あ、ああ!? ち、違います!! っていうか、ずるいですよ、ユリア先輩!! 誘導尋問は!!」
慌てて口を押えてモゴモゴと喋るクレア。そんなクレアに、『誘導尋問か、今の?』と突っ込む人間は残念ながら此処にはいない。ルディが居ればまた別なのだが……生憎、エドガーはクレアにベタ惚れなのだ。『素直だな、クレアは』と、『ちょっときゅんとしたのか……エルマーに嫉妬するな』くらいの感想しか抱いていないのだ。珍しく、クレアに優しい世界なのだ、此処。エルマー? 彼はそれどころじゃないでしょ、今? なんせ命の危機なんだから。
「……クレアっち、『きゅん』って来たって言った」
「……それは……」
「……まさか、『俺のせいじゃない。クレアが勝手にきゅんとしただけだ』とか言うつもり?」
じとーっとした目を向けてくるユリアにエルマーは苦笑を浮かべて見せる。
「正直、その『きゅん』みたいな事を言ったつもりは無いんだ。俺は俺の思った事を思った通りに伝えただけで――ユリア嬢? どうした、そんなに不貞腐れた――顔はさっきからしていたが、不満そうと言うか……なんだ、この手は?」
不満そうな、不機嫌そうな顔をしてユリアはエルマーの袖をぎゅっと握る。すわ、今度は腕か、と一瞬顔を恐怖の色に染めそうになりながら、流石に今その顔をしたらユリアが再びキレるだろうという判断と、『まあ、首じゃないしな。最悪、腕の一本くらいで済むなら』という、なんだか明後日の解釈を持って意思の力で表情を封じ込めるエルマー。まあ、利き手である右手ならもうちょっと焦ったが、利き手じゃない左手だからというのもあるが。
「……それだし」
「……どれだ?」
「だから! エルマー様は別に『きゅん』とさせようと思っていなかったんでしょ! なのに、クレアっちはきゅんってしてるんだよ? これってどういう意味か、分かってるの!!」
「……すまん。どういう意味と言われても……」
エルマー、困惑。そんなエルマーに、ユリアは目にいっぱいの涙を湛えて。
「――だから! エルマー様、格好いいんだし!! 何にも思っていなくても、ただ行動するだけで女の子が、『きゅん!』ってしちゃうんだし!! もっとエルマー様、自重して!! 私、いっつも不安なんだからね!!」
ユリアの言葉に、エルマーの頭に浮かんだ言葉は『あばたもえくぼ』だった。




