第百七十話 浸透していた『働き方改革』
パクパクと、まるで金魚の様に口を開閉するエドガー。そんなエドガーに、突き上げた
拳を降ろしてクリスティーナはにっこりと笑い。
「――ありがとう、お兄様。結婚式では最前席で祝福のライスシャワーをお願いします!」
「ちょ、ちょっと!! ちょっと待って、クリス!? え? ええ? な、何かの間違いじゃないの、これ!?」
自身の手元の番号札――『5』と書かれたそれと、クリスティーナの手元の『3』に視線をあっちこっち。そんな焦ったエドガーの手元を覗き込む影があった。
「……ふーん。『5』番は……エドガー様、なんだ~」
まるで地の底から響くようなその声に、思わずエドガーが身震いする。そのまま視線をそちらに向けて。
「――ふーーーーーーーーーん! 5番はエドガー様なんだぁーーーー!!」
「ひぃ!! お、落ち着いて! ユリア嬢、落ち着いて!!」
「うん? 私は落ち着いているよ、エドガー様」
そう言ってにっこりと――ハイライトの消えた目でにっこりと笑い。
「知ってる、エドガー様? 人を滅す時って、意外に冷静になるんだって?」
「滅すってなに!? それ、冷静じゃないやつ!? 落ち着いて!! 本当に落ち着いて、ユリア嬢!?」
「ふふふ~。落ち着いてるよ~、私は。それよりエドガー様、おひさ~。昔みたいに『ユリアお姉ちゃん』でも良いんだよ?」
「ぶふ! いくつの時の話ですか、それ!」
ちなみにこの二人も幼馴染です。
「……ともかく……こんな組み分け、認められない。エルマー様……エルマー様は、何処に――」
「な、なんで!! なんでですか! なんで私のペアがアインツなのですか!! チェンジ!! チェンジを要求します!!」
ユリアの声を遮る様な金切声が聞こえてくる。慌ててその方向に視線を向けると、天を仰ぐディアと――何故か、お腹を押さえて蹲るアインツの姿があった。
「……お前。流石に最近、遠慮が無さすぎだろう? というか、何処で鍛えてきたんだ、お前は!! 拳が見えなかったんだが!?」
「そんな事はどうでも良いです!! と、ともかく、こんなの認められません!! 直ぐに先生に言わないと!!」
血走った目で視線を左右に向けるディア。と、その視線が独りの男性を捉えた。学年主任のチャップリンだ。
「チャップリン先生!!」
「ひぃ!? な、なんですか、クラウディア嬢!?」
「なんですかはこっちのセリフです!! なんですか、このペア分けは!! どういう意図でこんな組み分けになっているのですか!! 説明を!! 説明を求めます!!」
「せ、説明と言われても……わ、私はこの件に関しては関与していませんので、詳細は分かりかねると言いますか……」
「では組み分けを行った先生はどなたですか!! 『じっくり』お話をする必要があります!! さあ、誰がこの組み分け行ったのですか!!」
「そ、それは……じょ、ジョディ先生です!! 貴方達の担任のジョディ先生が行ったんです!!」
「それではジョディ先生をこちらにお連れ願えますか! 理由について説明頂かないと、私も納得できません!!」
鬼気迫るディアの迫力に、チャップリンも震えが止まらない。可能であればチャップリンも今すぐジョディを連れて来たい。連れて来たいのだが。
「そ、その……ジョディ先生、先程から姿が見えなくて……ローランド先生もなのですが、どうやら二人で街まで飲みに行っているというか……」
「はぁ!? まだ学校行事、終わっていないんですよ!? それを、飲みに行った!? 何考えているんですか、ジョディ先生!! 不誠実です!! この件はお父様を通じて学園にきっちりしっかり、抗議させて貰いますからね!!」
怒り心頭のディアに、これは不味いとチャップリンがフォローに入る。
「ち、違うんです、クラウディア嬢! この『肝試し』……というより、林間学校は二交代制と言いますか……担任だからといってずっと生徒を見ておくのは少し……勤務時間の関係もありますし」
申し訳無さそうにそういうチャップリン。そんなチャップリンに、ディアは口を噤んで悔しそうに声を漏らす。
「う、うぐぅ! そ、それは……ま、まあ……で、でも!! 普通は不測の事態に備えて担任は宿舎に残るものではないですか!! それを飲みに行くなんて……あ、遊びに来ているんですか!!」
「……普通はそうなんですが……こう、最近、ジョディ先生は少し『お疲れ』でしたし……本来はダメでしょうが、ジョディ先生、学園の教師を始めてから初めて、キラキラした表情を浮かべておりましたし……特例で許可した次第で……ああ、そちらに関しては私の責任です。大変、申し訳ありません。ジュディ先生とローランド先生は悪くありませんので」
言外に『お前らのせいで苦しんでるだよ!』という言葉を乗せながら、二人の後輩教師を庇うチャップリン。無茶振りもするし、丸投げもする教師ではあるが、別に後輩教師であるジュディの事が憎い訳ではない。若い内の苦労は買ってでもしろ、というし……という感覚でジョディに任せたに過ぎないのだ。ペア決めくらいでこんな大惨事になると思っていなかったのもある。っていうか、思っていたらチャップリンはエスパーだろう。
「う、ううう……! で、でも……というか、そもそも何ですか、勤務時間って!! お父様に聞きましたが、この学園の勤務形態は無茶苦茶大変だって――」
そこまで喋り、ディアは口を噤んで視線を左右に揺らす。やがて、目当ての人物をその視線の先に納め――そして、その視線を追っていたチャップリンも頷いて見せて。
「そうです。私が若いころの学園は確かに、真っ暗で真っ黒な勤務形態の職場でしたが……最近、導入したんですよ」
一息。
「――ルドルフ殿下の『働き方改革』を!!」
「ルディぃ!! 貴方がラスボスですか!? まさか、愛し合う二人は戦う宿命にあるとでもいうのですかぁーーーーー!!」
酷い冤罪である。ちなみにこのセリフ、疲れ切ったエルマーを必死に慰めていたルディの耳に届かなかったのは、幸運な事か、不幸な事か。




