第百六十九話 無欲の勝利
合宿所――というより殆どホテルであるが、ホテルで荷解きを行っていたクリスティーナは、一段落ついた所でホッと一つ息を吐く。ルディに逢って以来、『自分で出来る事は可能な限り自分でする』をモットーにしているクリスティーナ的には、アメニティからなにから揃っている合宿所において、これくらいの荷解きは大した量ではなく、まあ何が言いたいかというと。
「……暇、ですね」
早々にお片付けが終わっちゃったのである。此処が自室なら、専属侍女であるアンナとお茶とお喋りと洒落こむところではあるが、今日は一人だ。一人分のお茶を淹れるのもなんだかな~と思っていたクリスティーナの耳に、コンコンコンと三度のノック音が響く。
「クリス? 今、ちょっと良いかな?」
「お兄様?」
ドアの向こうから聞こえて来た声に、クリスティーナはトテトテとドアまで小走りに走ってドアを開ける。そこには見慣れた柔和な笑顔を浮かべるエドガーの姿があった。
「どうしました、お兄様?」
「いや、荷解きも終わってちょっと暇だったからさ? 迷惑?」
「そうですね……何をしようか、手持無沙汰でしたので。端的に言って丁度良いですわ。どうぞ、お茶でも淹れますね?」
エドガーに笑顔を返し、クリスティーナはドアを引いてエドガーを室内に招き入れる。『失礼します』と小さく言って室内に入ったエドガーは、少しだけ物珍し気にきょろきょろと室内を見回す。
「お兄様。幾ら兄妹と云えど、淑女の部屋をその様に見回すのは如何なものかと思いますよ?」
備え付けのポット――熱々ではないも、ある程度は温度のあるソレからお湯を注いで茶葉を蒸らしながら、悪戯っ子の様にそう言って見せるクリスティーナに、エドガーは肩を竦めて見せる。
「それは失礼。ただ一個訂正ね? 僕も流石にクリスティーナの自室なら、兄妹と云えど遠慮もするけどさ? 此処、ホテルの部屋みたいなものでしょ?」
「ええ、分かりますわ。気になったのでしょう? 自室との違いが。どうです? 男子部屋と違いますか?」
「一緒だね。細かい差異はあるかも知れないけど……まあ、あんまり見て無いからわかんないさ」
そんなエドガーにクスクスと笑ってクリスティーナはエドガーの前に『どうぞ』とお茶を出す。『ありがとう』と頭を下げ、エドガーは紅茶に口を付けた。
「……うん、美味しい」
「お世辞は結構です。こういう、『お茶』系の飲み物は温度が全てですが……中々、難しいですね、こういう所だと」
ぷくっと頬を膨らますクリスティーナに、エドガーは苦笑を浮かべて見せる。こう見えて――というか、みたまんまだが、クリスティーナは結構凝り性で完璧主義なのだ。こんな中途半端なお茶を出すのは、本来ならば我慢ならないし、小さいころなら『熱いお湯を持ってきて!!』と癇癪を起したであろう。最も、小さいころのクリスティーナは自分でお茶なんぞ淹れて無いが。
「私、ルディを妬ましいと思ったことなど殆ど無いですが……エルマー様の発明品のあの……『コンロ』ですか? あれに関しては羨ましいと思いました。いつでも美味しい紅茶が飲めますもの」
「ルディを妬ましいと思う所、そこだけなの?」
「当たり前です。だって私、ルディの事を愛していますもの」
そう言って胸を張るクリスティーナにエドガーも苦笑の色を強くする。そして、その苦笑の色を強くしたまま、エドガーは口を開いた。
「それで?」
「それで、とは?」
分かっている癖にと肩を竦めて。
「クリスは動いたの? 今日の夜の『肝試し』。『ルディとペアにして』ってお願いしてきたの?」
そんなエドガーに、同様に肩を竦めて。
「――言う訳ありませんわ。私、無駄な事をするの、嫌いなんです」
「……へぇ。無駄、と来たか」
「ええ。無駄です。クララから聞きましたが……どうせ、私のペアはお兄様でしょう?」
「ま、色々考えたらそうかな~。でも、チャンスはあるかもよ?」
「ないです」
そう言って紅茶に口を付けかけ、ふと思いついた様にクリスティーナはエドガーの顔を見つめる。
「……もしかしてお兄様? クレアちゃんと同じペアにして下さいと先生に仰ったので?」
「勿論、言って来たよ? クレアとペアにして下さいって」
「……それ、無駄ですよ?」
じとーっとした目を向けるクリスティーナに、エドガーは大きく首を振る。
「ま、無駄だろうね~」
縦に。そんなエドガーに、呆れた様にクリスティーナはため息を吐いた。
「分かっているでしょうに。お兄様は王族、たいしてクレアちゃんは男爵位です。流石にペアにさせる訳には行かないでしょう?」
「まあ、確かにそうだね。でもね、クリス? 僕も目先の利益だけを考えて動いている訳じゃないよ? 僕の場合は三年計画だから」
「三年計画?」
「うん。今の内に『僕はクレアの事が好きですよ』ってアピールしておかないと。そうすれば、次の次の……その次くらいにはチャンスが訪れるかもしれないじゃん?」
ね? とウインクをして見せるエドガーにクリスティーナはもう一度、ため息。
「そのお手伝いをして欲しい、という話ですか?」
「ま、そういう事。折角の林間学校だし……クレアともうちょっと、親しくなれないかな~ってね? 最愛の妹は、お兄ちゃんの幸せを願ってくれるかな~って?」
悪戯っ子の様な笑顔を浮かべるエドガーに、クリスティーナは呆れ顔を苦笑に変えて小さく頷く。
「まあ、クレアちゃんがお義姉様とか、控えめに言って最高なので協力はさせていただきますが……本当に変わりましたね、お兄様。恋は人を変えるというやつでしょうか?」
「経験あるでしょ、クリスにも」
「……まあ」
「ともかく、どうせ肝試しのペアは僕とクリスだろうし、その際にじっくり計画練らして貰おうかな? って」
「人を利用することも覚えましたか」
「軽蔑する?」
「まさか。尊敬します」
そう言ってクリスティーナは立ち上がる。そのクリスティーナの行動に倣う様、エドガーも席を立つ。
「それじゃ行きましょうか、お兄様? 抽選会場に」
「そうだね。出来レースの抽選会場だけど……」
苦笑を浮かべるエドガーに、クリスティーナも同様に苦笑を返して。
「――――――へ?」
「あ、クリス? 僕とペアみたいだね~。よろしくね!!」
自身の握った『3』と書かれた紙と、嬉しそうなルディ、唖然とするエドガーをクリスティーナは順番に見回して。
「――――無欲の勝利!!」
握りつぶさない様、そっと抽選の紙を優しく握って拳を天に突き上げてクリスティーナが吠えた。うん、その通りです。そして、見事に策を弄した策士たちが敗れたのである。




