第百三十五話 アンタ、誰?
「さて」
クリスティーナに向けた笑顔のまま、今度は寮生にその視線を向けるディア。確かにその笑顔は見惚れる程のものではあるが――向けられた寮生は溜まったものではない。空気が、ただただ重い。笑っているのに、にこやかに笑っているのに、まるで押しつぶされそうなプレッシャー。
「――っ!! そ、その! く、クラウディア様!!」
そんな重たい、誰もが逃げたしくなる空気にさらされる寮生の中から一人、声を上げる。寮生のその声に、クリスティーナが少しだけ驚いた顔をして見せた。その寮生の勇気に、ではない。
「……へぇ。おバカな人はどこにでもいるのですね」
その、無謀さに。誰がどう見ても怒っているだろうディアに、よくもまあ声を掛けた、という表情でクリスティーナは笑う。さあ、どうなるか。高みの見物だ。
「……なにかしら?」
「そ、その……な、なぜ! 何故ですか!! 何故、その子を庇うのです!? クラウディア様は……そ、その……」
ビシっとクレアを指差すそのご令嬢に、ディアの額に青筋が浮かぶ。私の大事な友人を指差すな、と言わんばかりの心情を笑顔で隠し、ディアはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「『その』? 『その』なんでしょうか?」
「そ、それは……クラウディア様と、その子は……」
「その子? クレアちゃんの事を『その子』?」
「ひぅ!? く、クレア様!! く、クレア様は……その……え、エドワード殿下を……」
言い淀む令嬢に、少しだけのため息をディアはしてみせる。このままでは話が進まないという呆れと……それに、少しだけイライラして来たのだ。
「……何かしら? それではクレアちゃんを……そうですね、『イジメ』ているのは私の為にして下さっていると、そう言いたいのかしら?」
だから、水を向ける。さっさと話せと言わんばかりの心情を『優しそうな』声音でコーティングした言葉に、令嬢の顔が綻ぶ。
「そ、そうです!! クラウディア様は我がラージナル王国の最大貴族、メルウェーズ公爵家のご令嬢です! エドワード殿下とも本当に素晴らしい関係性を築かれていました!! 私達、皆お二人の関係性に憧れていて! ね、ねえ!!」
尚も喋り続ける令嬢に、皆もこぞって頷く。そんな皆の態度に、ディアは笑みを増す。
「まあ! それでは皆様、私の為にして下さったのですか? 私がエドワード殿下に婚約破棄されたのが可哀想と思って……同情して、それで、クレアちゃんをイジメて『くれていた』のですね!! それは済みません、私、勘違いをしておりました!! 私の為にして下さったんですね!!」
ディアの言葉に、令嬢の顔が綻ぶ。その勢いのまま、堰を切ったように彼女の口から言葉が漏れる。
「そ、そうです!! わ、私たちは皆、クラウディア様の為にした事です!! クリスティーナ様は考え違いを為されているのです!! そ、その、私たちが行き過ぎた行為があった事はお詫び致しますが……それでも、そこに悪意は無いのです!! ただただ、クラウディア様の為に――」
「――お黙りなさい」
「――した……え? く、クラウディア様? 今、何を……」
ポカンとした表情を浮かべる令嬢に、笑顔を消して。
「黙りなさいと言いました。口を開けるな、喋るな、息もするな。貴方と一緒の空気を吸っていると思うだけで不愉快です。私の為にした? この私に、いみじくも貴方が、お前が、貴様が言った、この国最大の貴族であるメルウェーズ公爵家の令嬢に、同情した? 可哀想だと思った?」
圧が。
「――舐めるな。私を誰だと思っているのですか、貴方は。私はクラウディア・メルウェーズ。メルウェーズ公爵家の令嬢にして、いずれこの国の王妃になる人間ですよ? そんな私が、たかが一貴族に同情された? 可哀想だと思った? 私の為に、可愛いクレアちゃんをイジメた?」
絶対零度の空気と共に、圧が襲ってくる。寮生の全てに等しく、平等に、均等に降り注ぐそのプレッシャーを持って、寮生は気付く。これは、喋っていた令嬢だけではない。ディアの怒りは等しく、平等に、均等に全員に向かっている事に。
「あ……う……」
「誰も頼んでいません。貴方達に助けて貰うことなど、この先何一つありません。私の輝かしい未来のその先に、あなた方が侍る事はありません。ですから」
不愉快です、と。
「不愉快です。これから先、口が裂けても『私の為』などと言って下さらないでくださいね? あなた方が私の……そうですね、『仲間』なんて思われたらたまったものでは無いですので」
最後に、もう一度にっこり。
「……あら? これで終了ですか? もっと追いつめるのかと思いましたが」
「クリスは私の事をなんだと思っているのですか」
はぁっとため息を吐くディアにクリスティーナは愉快そうに笑う。
「悪魔の様な令嬢だと思っていますが? お父様に言いつけて~とか言うかと思いましたが? それであの子たちの家、お取り潰しとか……良さそうじゃありませんか? どうせこれから先、この国の王妃であるクララの側に侍る事はないのでしょう? なら」
貴族令嬢として、終わりじゃないですか、と。
「最高権力者に嫌われた貴族の末路なんて悲惨なものでしょうし……その方が彼女たちの為じゃないです?」
愉しそうにそういうクリスティーナにもう一度ため息。
「腹黒お姫様は黙っていてください。そんな事はしませんよ。別に私は最高権力者ではありませんし……お父様にお願いなんて事はしません」
「みっともないから? 子供の喧嘩にお父様が出てくるのが」
「まさか。使えるものはなんでも使いますが……」
そう言って困ったように頬に手を当てて、喋っていた令嬢に視線を向けて。
「――申し訳ありません。貴方、お名前はなんと仰るのかしら? 流石にファーストネームも、ファミリーネームも知らなかったら……『告げ口』のしようもありませんから。ねえ、お名前、教えて下さるかしら?」
認識すらされていなかった令嬢が、羞恥で顔を真っ赤にして、それでも黙って俯いたのは言うまでもない。




