第百二十六話 殴りたい、その笑顔
何時にない満面の笑みのメアリ。そんなメアリに、きょとんとした顔を浮かべながらクリスティーナは首を捻る。
「ええっと……メアリさん? 今のは……なんですか? え? ルディが……チョロい?」
何時だってルディを敬愛していたメアリだ。無論、優秀な臣下たるメアリはルディに讒言を呈すことはある。あるがしかし、こんな風にルディに対して侮る様な言葉は言った事は無かった筈だ。もしや偽者か、と訝しむクリスティーナにメアリはコホンと咳払いを一つ。
「……チョロい、は言葉が悪かったですね。少しばかり私も気分が高揚してしまいました。そうですね……ルディ様はチョロいのではなく……」
しばしの思案の後。
「――クラウディア様を赤子とすれば、ルディ様は幼子です」
「あんまり変わっていませんが!?」
言葉を変えただけで、言っている事はあんまり変わってない。要はガキだと言っているのだから。
「あの……私も被弾していませんか、それ?」
「恋愛クソ雑魚は黙っていてください!!」
「……酷い。クリス、さっきは優しかったのに……」
およそ、王女様の言葉づかいではない。が、そんな言葉づかいも――或いは拗ねるディアも気にすることなく、クリスティーナは一つ深呼吸をし気持ちを整えて口を開く。
「……ふぅ。少し、取り乱しましたね。それで? ルディが幼子というのは……どういう意味でしょうか?」
何言ってんだ、コイツ? と言わんばかりのクリスティーナの言葉にメアリは先ほどよりも良い笑顔を浮かべて見せる。普段は見る事のない、思わず見惚れる様なその笑顔に、クリスティーナは少しばかり息を呑み。
「――ルディ様、ドキドキしたらしいです。『『ル』って言葉が出る度に、僕の事好きっていうのかな~ってドキドキしたよ』って言っておりました」
「え? チョロ」
酷い。
「……正直、私も『へ?』とは思いました。『あの』クラウディア様の……告白、でも無いですね? 『ル』ばっかり言う態度の何処にドキドキする要素があったのか、皆目見当もつきませんでしたが……ですが、少しだけ分かる気もします」
「分かる、ですか? あのクララの態度の何処に、ルディがドキドキする要素があったのですか?」
クリスティーナの正論と言えば正論の言葉。あんなのでルディが『落ちる』訳が無いと信じ切っているからこそ出る言葉だ。あんなの、しりとりの『る』攻めでしか使いようがない。そんなクリスティーナの言葉に、メアリは小さく左右に首を振って見せる。
「先ほども言いましたが、確かにルディ様へのクラウディア様の態度でドキドキする所は常人では無いでしょう。ですが、クリスティーナ様? ルディ様ですよ? ルディ様が常人で測れる方では無いのは分かるでしょう?」
「……まあ」
クリスティーナとて、ルディが常人の尺度で測れるとは――まあ、幾分かの誤解を含んではいるものの――ともかく、思ってはいない。そんな曖昧なクリスティーナに、メアリは笑顔を深めて。
「要は、アレです。ド陰キャがちょっと喋りかけられたくらいで、『あいつ、俺の事好きかも……』とか思う、例のアレですよ」
「酷くないですか、メアリさん!? 貴方、ルディの事そんな風に思ってたんですか!? 嫌いなんですか、ルディの事!?」
ある意味常人では測れないが、クリスティーナの考えがプラス方向だとするならば、メアリのそれはマイナス方向である。結構酷い。
「まさか。私がルディ様の事が嫌い? そんな訳が無いでしょう。何時だって優しく、優秀で、笑顔を絶やさないルディ様。そんなルディ様の事、嫌いになれる訳がないではありませんか」
メアリの言葉に、クリスティーナも『ああ、そりゃそうだ』と思い直す。なんせこの人、『ルディ様ファンクラブ』の会長なのだ。
「私がルディ様をお慕いしているのは嘘偽りは御座いません。御座いませんが……それでも、『はがゆい』と思う事はあるのですよ?」
「はがゆい、ですか?」
クリスティーナの言葉に、顔を伏せて。
「……ルディ様は、『求める』事を致しません。自身が何かを手に入れる事など出来ないと……きっと、本気でそう思っています。だからこそ、自分が『求められる』事になれていないと思うんです」
「それは……」
クリスティーナにも心当たりはある。ルディは何も求めず、だからこそ誰かから『求められる』事もないと思っている節はある。
「勿論、誰かが困っていれば手を差し伸べて下さるのがルディ様です。それを持って求められると言えば、そうなのでしょうが……」
「……即物的ですものね、それは」
「……そうに御座います。ですから……クラウディア様の言葉に、行動に、少しでも心を動かされたのであれば」
これは、チャンスです、と。
「……今のルディ様は『もしかしたら、自分は求められるているかも知れない』と思っていると思います。なればこそ、これはチャンスです。クラウディア様だけではなく、私達もルディ様を『求めている』と、ルディ様が知ってくれれば……私たちの事を手放したくないと、『求めている』と……そう思って頂ければ」
少しだけ興奮した様なメアリの口調と、紅潮した頬を見つめて。
「……ああ」
クリスティーナの口から感嘆のため息が漏れる。ルディから求められる。ルディから必要とされる。ルディから手放したくないと思われる。
――ルディに、愛される。
その妄想の、なんと甘美な事か。そんな堪らない幸福に、クリスティーナは頬を緩めかけて。
「……つまり……私の行動は、ルディの意識に少しは変革を齎した、と……あれ? もしかして私……ファインプレイですか!?」
視界の端に、そんな事を言いながら笑顔を浮かべるディアに、クリスティーナは思う。
殴りたい、その笑顔、と。




