第百十六話 幕間:レークス領での日常 下
「おーい! ジムぅー!!」
一日の仕事も終わり、ベンチ代わりの資材の丸太の上に座って汗を拭きながら水筒から水を飲んでいたジムは、家とは反対方向から掛かる声にひらりと手を挙げる。そんな仕草に嬉しそうに顔を綻ばせた少女――リーナは先ほどよりも歩みの速度を少しだけあげて、ジムの側に寄る。
「――お待たせ!」
「おう。待ったぞ」
「そこは待ってないと言おうよ~」
「嘘ついてもしゃーねーだろう。ほれ、さっさと帰るぞ」
リーナの不満そうな顔を笑顔でかわし、ジムは座っていた丸太から立ち上がる。何でもない様にそう言って立ち上がってジムの仕草にリーナの顔に不満の色が濃くなるも、『まあ、ジムだし』と何時もの事と思い直してリーナもジムの隣に肩を並べた。
「どう? お仕事順調?」
「おー。工期通りに終わりそうだな。まあ、天気次第な所もあるから一概には言えねーけど……なんとかなるんじゃね?」
何でもない様にそういうジムに、リーナはにっこりと微笑んで。
「――ああ、でも……流石にそろそろ潮時かな~とは思ってんだよな」
その笑顔が『ぴしっ』と固まる。
「え? し、潮時!? 潮時ってなに!? ジム、『レークス領で一番の大工になってやる!!』って言ってたじゃない!? そ、それを……」
あわあわと両手を振って見せるリーナにジムは苦笑を浮かべる。
「いや、俺だってこのままレークス領で大工をしていてーんだけどよ? ほれ、この村って……田舎だろ?」
レークス領の領都――と言っても、精々ちょっと大きな『村』程度のこの街では、大工の仕事もさして多くはない。新築、となると殆ど皆無だし、そもそもが自給自足が根付いている田舎町だ。大工見習として小さな頃から修業をしており、一端の職人の入り口にまで至ったジムのスキルは、この小さなコミュニティーでは明らかなオーバースペックなのである。
「ほれ、お嬢も王都に言っただろ? だからまあ……俺もちょっと王都で修業でもしようかなってな?」
何でもない様にそう言って笑うジムの脳裏には、『はう! じ、じむぅ~。この木、登ったのは良いけど降りれないですー! た、助けて下さい!!』と情けない顔で笑うクレアの顔が浮かんで、知らず知らずにその笑顔を優しい微笑に変えて。
「――ジムはさ? やっぱり……お嬢様の事が、好きなの?」
そんなジムの笑顔に、リーナの胸がチクリと――否、ズキンと痛む。明らかに傷ついたを物語るリーナの顔に、先程までの笑顔をかなぐり捨て、ジムはリーナのフォローに回る。
「ど、どうしてそんな顔すんだよ!!」
「答えてよ。どうなの? ジムは……お嬢様の事を」
女の子として、好きなの? と。
縋るような、祈る様な、聴きたくないような、期待するような。
色々な感情が渦巻くリーナの表情にジムは息を呑み――そして、その呑んだ息をゆるゆると吐きだした。
「……そりゃ、お嬢の事は好きだよ?」
「っ! や、やっぱり――」
「最後まで聞けって。別にお嬢の事は嫌いじゃねーよ。だって、そうだろ? あの能天気な、貴族令嬢とは思えないような……どっか放っておけねーお嬢だぞ? そりゃ、嫌いになれる訳ねーじゃん」
「……」
ジムの言葉にリーナも――頷きたくはないが、胸中で頷きながら顔を伏せる。あの、天真爛漫で、誰からも嫌われることのないであろう明るい少女。そりゃ、ジムが好きになってもおかしくないよね? と、そう思って、瞳に溜まった涙がこぼれ落ちそうになって。
「――でもな? 女の子として好きなのは……リーナだな」
「…………え?」
その声に、慌ててリーナは俯いていた顔を上げる。そこにはそっぽを向いて頬を赤くし、照れくさそうに頬を掻くジムの姿があった。
「じ、じむ?」
「だから……ああ、もう! その、なんだ? 俺が王都に行って、三年――いや、二年だ! 二年経ったらさ? 俺、王都でも一端の大工になって見せるから。なって見せるから……」
――二年間、待ってくれないか? と。
「……うん。待つ。二年でも、三年でも、十年でも、二十年でも……待つ。待ちたい、ジムのこと」
涙を浮かべたまま、にっこりと微笑むリーナ。そんなリーナの姿に、ジムもほっとした様に笑顔を浮かべて。
「にしても……お嬢が好きって。お前も大概だよな? んなワケねーじゃん。いや、確かにお嬢の事は好きだけど……手に掛かる妹って感じだしな。そもそも、貴族令嬢と村の大工だぞ?」
「……わかんないじゃん。お嬢様、そういうのあんまり頓着無さそうだし。そもそも、ジム、昔言ってたじゃん。『嫁の貰い手無かったら、大工の嫁になるか?』って。あれ、結構ショックだったんだからね?」
ぷくっと頬を膨らましてジムを睨むリーナ。そんなリーナに『うっ』と息を詰まらせ、ジムは頭を掻く。
「あー……そ、それはすまん」
「ホントだよ。どれだけお嬢様に嫉妬したか。そもそも! ジムだって私の気持ち、わかってたでしょ? 私、分かりやすいし」
「……自分で言うか、それ?」
「お嬢様にも言われたもん。『リーナ。貴方は分かりやすすぎます。良いですか? 殿方との交際に必要なのは『駆け引き』ですよ! ですが、今の貴方の素直さも捨てがたいし……むむむ……』って」
「……何言ってんだよ、お嬢」
呆れた様な顔を浮かべて見せるジム。その後、ゆるゆると息を吐いて。
「……俺もお嬢に言われたよ」
「なに?」
「『いいですか、ジム。貴方がリーナを好きなことくらい丸わかりです! そんな態度ではリーナをどこの馬の骨か分からない輩に取られますよ!? 良いんですか、それで!!』ってな」
指をびしっと差して、ジムに詰め寄るクレアの姿が脳裏に浮かび、リーナはくすっと笑みを漏らす。
「……それじゃ、お嬢様に感謝だね」
「……だな」
「……お嬢様、元気にしているかな?」
リーナの呟きに、ジムは苦笑を浮かべながら――リーナの指に、自身の指を絡めさせ。
「――元気にしてるさ。お嬢だぞ? きっと……皆に囲まれて、楽しそうに笑っているさ」
絡めた指に少しだけ力を込め、その力に返す様にきゅっと握られたリーナの指に頬を緩ませながら。
――『お嬢』が学園でとんでもない胃痛を患っている事を知る由もない二人は、幸せそうに微笑んだ。クレア、強く生きろ。




