第百十五話 幕間:レークス領での日常 上
カンカンカンと長閑な金槌の音が響く。年のころは十五~十六歳程度の少年が一心不乱に、自分の三倍以上の高さの建物の上で金槌を振っている姿は、クレアの実家であるレークス領ではよく見ると言えばよく見る光景でもある。ここ数か月は、という注釈は付くが。
「ジム~。お昼ご飯にしなーい? ほら、お母さんからお弁当預かって来たからさ~」
そんな少年に向かって、赤毛の癖っ毛を高い位置のポニーテールで結った女の子が声を掛ける。絶世の美少女、という訳では無いも、それでもこの村――一応、レークス領の領都である『村』――の、同年代の美少女グランプリをすれば、ベストファイブに入るくらいには美少女な少女が、片手で弁当の包みをもち、空いている片手でメガホンを作って見せる。そんな姿に、ジムと呼ばれた少年は視線を下に向けて頬を緩める。
「いっつもすまねーな、リーナ! 直ぐに降りるからちょっと待っててくれ!」
言うが早いか、ジムは屋根の上からひらりとその身を投げる。ご丁寧に空中で一回転して見せて綺麗に着地するその姿勢に、リーナと呼ばれた少女は呆れた様な視線を向けた。
「アンタね? 運動神経良いのは分かっているけど、流石に危ないんじゃない? 怪我したらどうすんのよ?」
「怪我なんかする訳ねーだろうが。知ってるだろ、幼馴染? 俺、木登りして落ちても怪我なんかした事ねーんだから」
リーナの苦言にニコニコ笑顔を浮かべて両手を差し出すジム。『早く出せ』と言わんばかりの視線にリーナがもう一度呆れた様な視線と、それにため息を加えて見せる。
「……はぁ。まあいいわ。はい、お弁当」
「さんきゅ! 今日はどうする? 家の仕事、終わったのか?」
「とりあえず私もお昼休みよ」
「そっか。それじゃ……此処で良いか?」
並べられた丸太の上を少しだけ手で払い、『ほれ、座れ』と言って見せるジム。そんなジムに『ありがと』と声を掛けて、リーナは腰を降ろす。その隣にジムも腰かけ、リーナから預かった弁当箱の蓋を開ける。
「……ど、どう?」
「? どうした、お前? なんか緊張してねーか?」
心持引き攣った表情を浮かべるリーナ。そんなリーナに首を捻って見せるジムは、気付かない。『お母さんからお弁当を預かって来た』とリーナは言ったが、『お母さんがお弁当を作ってくれたよ』とは言ってないことに。
「……ん、美味い。今日の卵焼きは甘口だな」
「あ、甘口嫌いだったっけ? 美味しくない?」
「難聴か、お前? 美味いって言ったろ?」
そう言いながら卵焼きの隣の唐揚げに箸をつけ、『ん、美味い!』と顔を綻ばすジム。その姿に背を向けて『ぐっ!』と拳を握りこむリーナ。
「そ、それは良かったね! それじゃ私も……頂きまーす!」
来た時よりも上機嫌になりながら、お弁当の蓋を開けて中に入ったおにぎりを摘まむ。ほんのり利いた塩加減が。
「――――っ!!」
塩加減、が。
「~~っ!!!」
塩……砂糖加減が、地獄のハーモニーを奏でる。コレはあれだ。卵焼きに入れる砂糖と、その隣に置いてあった塩を間違えたとリーナが悟るのに然程時間が掛からなかった。不味い、不味すぎる。なまじ、塩味だと思って口を付けただけに、目に入ってくる情報と口の中の実害の高低差で風邪を引きそうである。
「……み、水!!」
「うぉ!? ど、どうしたリーナ!? 喉にでも詰まったか!? ほ、ほれ! 水飲め!!」
リーナの様子に焦った様にジムが持っていた水筒を差し出す。ありがとう、とお礼を言う間も惜しんでリーナは水筒から水をごくごくと飲み、口の中の地獄を嚥下することに成功した。なに、胃にはいって仕舞えば恐れる事はないのだ。
「あ、ありがと、ジム。いや~、流石におは……ず……」
手に持った水筒の飲み口をマジマジと見つめる。あ、あれ? こ、これってもしかして、とリーナは顔を真っ赤にして水筒をジムに返した。
「あ、ありがと……そ、その、こ、これ――って、なんで!? なんでアンタ、水飲んでるのよ!?」
リーナから返って来た水筒にそのまま口を付けて水を飲むジムに、リーナが顔の赤みを増して叫ぶ。そんなリーナに、きょとんとした顔を向けたまま、ジムは首を傾げて見せる。
「……何言ってんだ、お前? 飯食ってたら水くらい、飲むだろう? なんだ? 飯食う時は水飲むなってか? 聞いたこと無いぞ、そんな精神論?」
「そ、そうじゃないわよ! そ、そうじゃないけど……そ、その……か、かんせ――――って、ジム!?」
先ほどまで真っ赤に染めていた顔を青くするリーナ。なんでかって? そりゃ、ジムの箸が摘まんでいるのが、先程自身の口を地獄のハーモニーに陥れた劇物――おむすびだったからだ。
「じ、ジム!? それは――」
「ん? どうした、リーナ? うん、これもうめーな」
「――……あ、あれ? だ、大丈夫?」
「なにが?」
「なにがって……う、ううん。なんでもない」
頭に『はてな』を浮かべながら、リーナは胸を撫でおろす。良かった、と。取り合えず、地獄の惨劇は回避された、と。
「? 変なリーナだな? ま、いっか。ご馳走様」
両手を合わせて丁寧に頭を下げるジム。満足そうなジムの顔に、リーナも頬を緩めて自身の弁当の箸を進める。
「……ご馳走様でした」
そう言って両手を合わせるリーナ。いそいそと弁当箱を仕舞うと、それから昼休憩の間はお喋りタイムだ。緩やかな、牧歌的な時間がしばし流れ、そろそろ昼休憩も終わりの時間となり、リーナは立ち上がった。
「それじゃ、私行くね?」
「お、そんな時間か。うし! 残りの仕事、頑張るかな!!」
「うん! 頑張ってね!! あ、そうだ、ジム! 私、今日はちょっとおつかいで隣町まで行くんだ。帰りはジムの仕事終わりの時間になると思うから、一緒に帰らない?」
「お、そうなのか? 了解! それじゃ俺の方が早く終わったらその辺で待ってるから」
「うん! 急いで帰ってくるね!!」
「急がなくて良いよ。怪我しない様に帰って来い」
苦笑を浮かべるジムに、リーナの心の中に暖かいものが溢れ、そのままの気持ちでリーナは笑顔を浮かべて頷く。
「うん! それじゃ、行くね! また夕方に!!」
そう言って、ルンルン気分でジムに背を向けて、スキップしそうな程の足取りで来た道を引き返して。
「おーい、リーナ!!」
不意に聞こえるジムの声に、リーナは笑顔を浮かべたまま振り返って。
「――明日は塩と砂糖、間違えんなよ~。食えない事も無いし、お前が作ってくれたんだから不味いとは思わねーけど……俺、塩味の方が好きだからな~」
……完全に『誰が作ったか』バレていたことに、リーナは頬を真っ赤に染めて足早にその場を去った。




