第百七話 クラウディアの幸せのために
江戸時代末期、俗に言う幕末。
太平の眠りを覚ますために、海の向こうからたった四隻でやって来た蒸気船は、鎖国という閉じた世界でガラパゴス化していた日本に大きな衝撃を与えた。強大な軍事力で開国を迫るアメリカに対し、時の老中阿部正弘は朝廷を始め、有力な外様大名、普段は殆ど幕政に関与しない親藩大名からも広く意見を募ったとされている。その結果、外様大名の発言力が増していき、後の明治維新に繋がったとみられている。
阿部正弘の行いの是非はともかく、やっている事は『国難だからみんなで協力して乗り切ろうぜ!』という、いわば挙国一致体制の構築であり、基本的に間違いではない。間違いではない、が。
「……荒れるぞ、ルディ。国政に参画するのは我ら宮廷貴族の『誇り』みたいなものだ。ラージナル王国建国以来、三百年。三百年間ずっと、この国を支えてきたのは宮廷貴族だという誇りが我々にはある」
「その誇りは否定しないし、宮廷貴族に感謝もしているよ、アインツ。でもね? どのみち、このままの体制ではどっかでガタが来るんだ。どんな歴史だって転換点は来る。それが今だってこと」
淡々とそう話すルディに、アインツは腕を組んでしばし、瞑目。アインツとて分かっているのだ。元々、『優秀な人材は爵位の上下なく登用すべき。なんなら、平民でも可』と常々話していたのだ、アインツは。そういう意味では『ルディ・チルドレン』の中ではルディの影響力をモロに受けているのはアインツでもある。実家が宰相という地位についている事もあり、幼いころから政治に触れる機会が多かったというのもある。脳筋のクラウスとは違うのだ、クラウスとは。
「……ルディの意見は分かった。分かったがしかし、流石にそれは些か行き過ぎでは無いか? もう少し時期を見てからでも良いのでは?」
「僕は発想が逆だと思うよ」
「……逆?」
「アインツ。僕は今のままではいけない……とまでは行かないけど、国家の今後の繁栄と、安定の為には広く人材を募った方が良いと考える。『安定』の為だけなら諸侯貴族との宥和でなんとかなる気もしないでもないけど、繁栄を考えると――」
「分かる。爵位の上下、貴族・平民の別なくと言っていたが、それを諸侯にまで広げようと、そういう事だろう?」
「そういう事」
そう言って、紅茶を一口。
「……ディアには可哀そうだけど……ディアとエディの結婚は難しいって意見は分かる。個人的にはあんなにエディを大好きなディアが、その恋を成就出来ないのは本当に可哀想だし、なんとかしてあげたいと――なに、その顔?」
沈痛な面持ちで喋るルディに対して、二匹のチベットスナギツネ。砂を噛んだ様な、圧倒的な『無』な表情に、ルディが訝し気な顔を浮かべる。そんなルディに対し、アインツがやれやれと首を左右に振って見せる。
「……なんでもない。ただ、お前、その言葉絶対にクラウディアの前で言うなよ?」
「言わないよ! どんだけデリカシーが無いと思ってんのさ、僕の事。『ディア、エディと結婚できなくて残念だけど、頑張って!』とか言えるワケないじゃん!」
「……そういう意味では無かったのだが……まあ、いい。それで? 『逆』とは?」
「エディとディアの婚姻が成ったタイミングで、メルウェーズ家を国政に参加させるのは不味いよね? 有史以来、外戚が権力を握る例なんてそれこそ履いて捨てるほどあるんだ。なら、流石にそんな内患を今から抱え込むのは得策じゃない」
「……まあな」
「でも、エディとディアが婚姻を結ばないならば、外戚としてメルウェーズ家は権勢を振るう事にはならないんじゃない? だったら、タイミングとしてはエディとディアの婚姻が破断した今がチャンスだと思うんだけど……」
どう思う? と問うルディに、肩を竦めて見せるアインツ。ルディの言っている事は概ね間違ってはいない。いないが。
「……なあ、ルディ?」
「なに、クラウス?」
「俺、そんなに詳しい訳じゃないからアレだけどよ? それって面倒くさくねぇ?」
「……面倒くさくって……」
「ああ、メルウェーズ家を……つうか、諸侯貴族を国政に~って話に関しては賛成するぜ? するけど、別に今じゃなくて良くね?」
「いや、クラウス? だから――」
「違う違う! タイミング云々は分かったけどさ? お前がクラウディアと結婚したら、話は凄く簡単じゃね? さっきの諸侯を云々って結構色んなハードルあんだろ? それするぐらいなら、さっさとお前とクラウディアが結婚した方が早いんじゃね、とは思う」
クラウスの言葉にアインツは頷き、ルディは黙り込む。実際問題、諸々の調整を考えると、ルディとディアの結婚が、この拗れに拗れた関係を解決するのは一番早い。ルディの案をベターだとするならば、アインツの案はベストなのだ。
「……でもさ? ディアもイヤじゃない?」
「……なにが?」
むしろ大歓迎だろ! とはクラウスも言わない。脳筋だけどちゃんと空気が読めるのだ、クラウスは。
「だって……昨日までエディの許嫁、明日からは僕の許嫁なんて……ディアを馬鹿にしているっていうかさ?」
「……んなもんだろ、貴族の結婚なんて。利害関係が全てとまでは言わねーけど、ある程度の利害関係絡むのは当然じゃね?」
まあ、ディアの場合は諸手を挙げて大賛成なのだが。恵まれた少女なのだ、ディアは。
「そうだろうけど……でも、ディアの気持ちを考えるとさ? 僕と結婚すると、エディとも近しい関係になるし……やりにくいと思うんだよね、ディアも。それなら、ディアにはもっと良い縁談があるんじゃないかって……そう、思うんだ」
呟くようなルディの言葉。元々ルディ、『わく王』の時から『クラウディア推し』なのだ。推しの幸せが自分の幸せ、少しでもクラウディアに幸せになって欲しいと、そう思っているのだ。
「……」
ルディのその言葉に、クラウスとアインツが顔を見合わせてため息を吐き――そして、アインツはニヤリと笑う。
「……分かった。それではルディ? クラウディアにとって『最も幸せ』な結末が用意されていれば、お前は祝福するという解釈でいいな? エディ関係なく、クラウディアが『幸せな結婚』が出来れば、それを支持するという認識で」
「ああ、うん。それは勿論。協力できることならなんだって協力するし」
「そうか。それじゃ――」
今度はクラウディアを交えて話をしよう、と。
「……これは簡単な勝ち戦になったな」
「なんか言った?」
「いいや、なんにも」
含み笑いをしながら、アインツは勝利を確信して『今日は枕を高くして寝られるな~』と頬を緩めた。




