摘発
いつもありがとうございます!
二人の間で、ピンと緊張の糸が張り詰めた。
怪しい男の人相は、ミリアから聞いていたものと一致する。待ち構えていた男に間違いない。
「侵入しましょう」
「グレディオール殿には……」
「彼にだけ分かる合図があるわ」
ローザリアは手近な葉っぱを千切ると、そこに人差し指を当てた。
多少の痛みを感じた直後、指先からうっすら血がにじんでいく。
「あっ……!」
カディオが思わずといったふうに声を上げる。
一瞬後に、得も言われぬ芳香がフワリと漂った。
決して強すぎるわけではないのに、いつまでも胸に残り続けるような香気。
それだけで、こちらの意図はグレディオールに伝わるはずだ。
ローザリアは絹のハンカチを指に巻いた。これで少しくらいは香りを抑えられるので、あとでグレディオールに治癒してもらえばいい。
屋敷の敷地内へ堂々と歩き出すローザリアだったが、なぜかカディオは不満そうだ。
「カディオ様?」
「……前に、約束したのに。そんなふうに簡単に自分を傷付けないって」
咎められて気付く。
そういえば誘拐騒ぎの時にもこうしてグレディオールを呼んだのだが、後々彼に叱られたのだった。
「お嫌かもしれませんが、緊急事態ですし今回だけ見逃してください」
「嫌なわけじゃない。ただ、心配なだけだ」
久しぶりに、カディオから敬語が抜けた。
彼もハッと我に返るが、ようやく以前の距離感に戻れたようでローザリアは嬉しい。
状況が状況なので慌てて表情を引き締めたが。
屋敷の中は、華美な装飾で溢れていた。
荘厳な獅子の置き物、見上げるほど巨大な陶器に、金の銅像。この目に優しくない感覚は、最近体験したばかりだ。
控えめに言って派手だし、一つ一つが名品なだけに勿体ない気がしてしまう。
しばらくすると、侵入に気付いた使用人がちらほら駆け付け始めた。
中には私兵も交ざっていたけれど、カディオの制服を見て誰もが息を呑み遠巻きにする。
レスティリア王国が誇る王立騎士団の中でもさらに生え抜きである、近衛騎士団の制服。
王族の盾であり槍である近衛騎士が、ここにやって来た意味。
気付いた者はローザリア達を制止しないので、悠々と進むことができた。
「カディオ様がいてくださるおかげで、本当に助かりますわ」
「ちなみに俺がいなかったら、どうするつもりだったんです?」
「グレディオールに威圧を放ってもらうつもりでした。普段は意識的に抑えておりますけれど、制御をやめれば屋敷中の人間が失神してしまうほどの威力がありますから」
けれどその場合、捕縛すべき人物達も尋問前に失神してしまうという欠点があった。
空いた時間で証拠書類でも優雅に家捜しするつもりだったが、カディオのおかげで全工程を手分けして実行できる。
「圧倒的な時間短縮になりますし、何より罪のない使用人達まで巻き込んで威圧をするのはさすがに良心が咎めておりました。カディオ様がいてくださって、本当によかったです」
威圧を浴びれば、後々まで恐怖が残ってしまう者もいたはずだ。
背に腹は代えられないと思っていたが、犠牲が少なく済むならその方がいい。
ウフフと可愛らしく笑ってみせても、カディオは微妙な表情をしているが。
とはいえ、彼がわざわざ制服を着て来た意味を考えると面映ゆい気持ちになる。
近衛騎士団の制服は絶対的な正義の象徴。
カディオは、ローザリアが決して悪事を働かないことを。正義がこちらにあることを、心から信じて助太刀に来たのだ。
しばらく無言で進むと、真夜中だというのに使用人の数が増えてきた。
迷いない足取りで進むローザリアに、カディオは恐る恐る疑問を投げかけた。
「あの、こっちで合ってるんですか?」
「外から、明かりが点いている部屋を確認いたしました。深夜に使用人がこれだけ動いているのも、彼らの主がこの辺りにいるという証拠です」
そもそも貴族の邸宅の造りには似通ったところがあるので、外観を見れば大体の構造を把握できる。
密談に最適な場所がどこであるのか、なども。
「カディオ様。大変申し上げにくいのですが、もし戦闘になった場合、グレディオールは最後の手段とお考えください」
「? どういう意味ですか?」
「ただの威圧すら、屋敷中を失神させる効果があるのです。戦力とするにはあまりに物騒ですから」
グレディオールは強すぎる。手を出せば最後、おそらく死人がでることは免れない。
威圧を使わなかったからには、乱闘になる可能性もある。それをカディオ一人に押し付けてしまうのは申し訳ない気がした。
けれど彼は、力強く頷いてみせた。
「もちろん、役に立つために来たんですから。俺のことも目一杯使ってください」
「……ありがとうございます」
カディオがいてくれるだけで、とても心強い。
ローザリアは、絢爛豪華な屋敷の中ではある意味異質な、何の装飾もない扉の前で立ち止まった。
建物の構造的には、ちょうど裏口に近い。隠し通路でもあって、いざという時脱出できるようになっているのだろう。
その扉を勢いよく開け放った。
「ごきげんよう。こんな夜更けに、一体どのような密談をなさっておいでかしら?」
完璧な笑みを向けたのは、先ほどの挙動不審だった人物ともう一人ーー屋敷の主。
ドルーヴのオーナーである子爵その人だった。
ローザリアは笑みを湛えたまま、遠慮なく室内に足を踏み入れる。
すると、子爵の表情が嫌悪に歪んだ。
ドルーヴに行った際にもぶつけられた、『薔薇姫』への侮蔑。
何も感じないわけではないが、今は私的な感情を排除する。
ついてきてくれたカディオのためにも、毅然と振る舞わねばならない。
「ドルーヴでお会いして以来ですわね、子爵。そちらはドルーヴ建設に携わった建築組合の方?」
ありありと浮かぶ嘲りをそのままに、子爵は口を開いた。
「『極悪令嬢』とやらは礼儀を知らないと見える。使者もなく、しかもこんな真夜中に何の用かな?」
分かりやすい侮辱にカディオが動きかけるが、目線だけで押し留める。
「お尋ねされたからには、お答えせねばなりませんわね。ーーカラヴァリエ伯爵領の鉱山から、鉱石が盗まれたことはご存知ですか?」
あからさまに震える男を、子爵がじろりと睨む。それから、ローザリアに白々しい笑みを向けた。
「それは知らなかった。しかしそれが、セルトフェル侯爵家に関係あるのかな? 確か伯爵は、どんな鉱石が採れるかも公表していなかったはず」
建築組合の男はともかく、子爵はこの程度でボロを出さないくらいの知恵は回るらしい。
ローザリアも胡散臭く微笑みながら続けた。
「カラヴァリエ伯爵が公表しなかったのは、おそらく価値のない石だったからでしょう。採掘された頁岩はレンガの原料になるものですが、成分に問題があると脆く崩れやすいという欠点があります」
例えばカルシウム含量が多すぎると、レンガの原料として致命的だ。
二、三年も風雨にさらされれば、あまり力を込めずとも砕けてしまうほど劣化する場合がある。
「脆く、崩れやすい。最近そんなレンガをどこかで見たような気がするのだけれど……」
ローザリアは怯えて真っ青になる建築組合の男に、ひたりと視線を据えた。
「あぁ。確か最近あなたの組合が手がけた最新の複合施設、ドルーヴで見かけたのだわ」
施設内で起こった、王都民同士の些細な諍い。
カディオがすぐさま収めたことで大規模な事態に発展することはなかったけれど、破れかぶれになった男が金属製のゴブレットを投げるという危険な一幕もあった。
それは人に当たることなく、レンガ造りの階段へと突き刺さった。
そう、突き刺さったのだ。
頑丈であるはずのレンガに、ゴブレットが。
「当初は疑問に思っておりませんでしたが、ある人物が注目していたことでわたくしも気にかかっておりました。その人物とは、シャンタン国の第三王子シン・ティエン。彼は物騒な連中から身を隠していたそうです。それはーーあなた方ですね?」
断定的な口調にも、子爵の表情が揺らがない。
「自領の鉱石が盗まれたのですから、カラヴァリエ伯爵も当然調査員くらい派遣しているのでしょう。あなた方は、シン王子をその調査員だと思い込んだ。そうして捕らえ、足がつく前に口を塞ごうとした。王子という正体を知らずに」
レイリカが王都に来ていたのも、デュラリオンがドルーヴへと頻繁に通っていたのも、全ては調査のためだった。
そうして、ほぼ核心に迫っていたのだ。だから焦った彼らーーおそらく小心な建築組合の男が主導で、シン王子を消そうとした。
ローザリアの推測を黙って聞いていた子爵が、馬鹿馬鹿しいとばかり鼻で笑った。
「何を言っているのか、さっぱり理解できませんな。そこまで決め付けるのであれば、証拠を持ってくればいい」
小悪党らしい台詞に、ローザリアは冷笑した。
「……なぜわたくしが今夜を選んでここに来たのか、まだ分かりませんの?」
窓から細く月光が差し込む。
それを背に、ローザリアは一歩進み出た。
「あなた方が強奪した頁岩が、そろそろ底を尽きそうだという情報が入りましたの。その時機に、必ず次の行動を決定すべく話し合いが持たれると思っておりました」
情報源はもちろんミリア。
両者が合流したのが一網打尽とする好機だった。思惑通りに動きすぎるから、逆に怪しまねばならなかったくらいだ。
「ちなみにあなたが束ねる建築組合は、既にわたくしの侍女が押さえておりますわ。お疑いになるようでしたら、この通りーー」
ローザリアが差し出した手の平に載っているのは、何の変哲もない石。
だがこれは、事前に建築組合へと潜入捜査をした際、ミリアが証拠品として持ち出したものだ。
建築組合の男が可哀想なくらい青ざめている。
「ーーホラ、確かな証拠も」
ローザリアは、くっきり鮮烈な笑みを浮かべた。
本日コミカライズも更新されてますので
応援よろしくお願いいたします!m(_ _)m
これでなぜ惚れないのかというくらい
レンヴィルドが格好いいです!




