お願い
これまでどんな日々を送っていたのかシンはあちこち煤けていたため、身なりを整えるよう使用人に指示をする。
そうしてローザリアは、しばらく祖父との時間を楽しんだ。
シンを捕獲した経緯を話し終えると、学園での近況や友人についても話していく。
手紙のやり取りは欠かしていないけれど、実際にルーティエとどんな付き合いをしているのか伝えるというのは、嬉しくもあり照れ臭くもある。
手土産のマフィンに飽きたらずティセットと共に用意されたマカロンやケーキを消費していく祖父に、苦言を呈す場面もあった。
一時間ほどが過ぎた頃、カディオを伴ったレンヴィルドが屋敷に到着した。
「ごきげんよう、レンヴィルド様」
「ごきげんよう、ローザリア嬢」
表面上穏やかに微笑む彼には、今日もうっすら疲労が見て取れる。
ローザリアも紅茶を置き、完璧な笑みを返した。
「あら、同じ皮肉を使い回すなんて」
「使い回しを余儀なくされるほど皮肉が追い付かないのは、私のせいではないからね」
そう返しつつも、相当急いで来たのだろう。
セルトフェル侯爵への挨拶を後回しにしてしまったことに気付いたレンヴィルドは、慌てて祖父に向き直っていた。
気を利かせたリジクが席を立ち、ローザリアは本題を切り出す。
「レンヴィルド様。一つ貸し、ですわよ」
意味深に微笑んでみせると、彼はすぐに対外的な笑みで応戦した。
「『国際問題に発展しかねない爆弾を保護した』と報せが来た時は驚いたけれど、生憎心当たりがなくてね。その届け出先は私で合っているのかな?」
「ご存知ないのも無理はございません。彼自身、使節団に紛れてこっそり入国したことを認めました」
彼、使節団、と散りばめられた手がかりに、レンヴィルドはくっと目を見開いた。
「使節……国際問題に発展しかねない……要人……いや、まさかシャンタン国の王族が?」
「ご明察。長い間、一体どのような生活をしていたのでしょうね?」
レンヴィルドはソファの背もたれにガックリと体重を預けた。
信じられない気持ちも分かる。
所持金はあっただろうし、それなりに自衛もできるのだろう。
それでも他国の王族がお忍びでやって来るなんて、しかも護衛も付けず単独行動をしているなんて、普通ならば考えられない。
その上今は、他国の王族を王宮に連れ帰るための算段にも思考を割かねばならないはずだ。
衝撃から立ち直ったのか、レンヴィルドは細く息を吐き出しながらゆっくり体を起こした。
「……それで? わざわざ報せてくれたということは、何か要求があるのだろう?」
「失礼な。友人の立場を慮った、とは解釈してくださいませんの?」
「あなたは悪人ではない。けれど善人でもないことは、身に染みて分かっているからね」
いつもの皮肉の応酬を切り上げると、思案する素振りで頬に手を添える。
「そこまでおっしゃられるなら、ご期待に添えるようなお願いをいたしましょうか」
「別に期待はしていないけれど、どうぞ」
促され、ローザリアはゆっくりと口を開いた。
「では……土壁の技術を持つシャンタン国の使節団はわたくしにも無関係ではないのに、なぜ教えてくださらなかったのかーー」
レンヴィルドの肩がギクリと揺れたことに気付きながらも、いたぶるように笑んでみせる。
「……と、いう疑問は後々じっくり尋問して解明する予定ですのでいいとして」
「それは当然私に拒否権などないのだろうね……」
焦らされている自覚はあるだろうに、跳ね返す気力もないようだ。
ローザリアは好都合と笑みを深めた。
「一つ、どうしてもレンヴィルド様に叶えていただきたい願いがございますの」
内容があまりに思いがけなかったのか、レンヴィルドは肩透かしを食らったように目を瞬かせる。
話し合いの間中、カディオが口を開くことはなかった。皮肉の応酬の仲裁も、困り顔でオロオロすることもなく。
彼はただ表情を消し、気配を潜めて立っていた。
◇ ◆ ◇
ローザリアが望んだこと。
それは今回の功績を大々的に、公式に認めてもらうことだった。
そのために彼が王弟であることも利用する。
ゆえあって王国内を彷徨っていたシャンタン国の第三王子。
その身柄を保護したのはローザリア・セルトフェルだと、レンヴィルドの兄である国王陛下に公言させるのだ。
国王の発言を軽視する者がいるはずもなく、例え懐疑的であっても口の端に上がる。
国の中枢から、徐々に。
それは、春期休暇明けが間近であるレスティリア学園にも。
新たな生徒達を歓迎するように、校内の至るところで花が咲き乱れている。
若々しい活力に溢れた新入生は、希望で胸を膨らませていることだろう。美しく厳格な学舎で、輝かしい一歩を踏み出すのだと。
しかしそんな彼らも、やはりローザリアの話題で持ちきりだった。
「おい、聞いたか? あの話」
「あぁ、シャンタン国の王子がうちの国を放浪してたってやつだろ?」
「放浪? 僕は誘拐されかけたところを命からがら逃げ出し、追っ手に見つからないよう潜伏してたって聞いたけど」
「本当かよ。じゃあそこを颯爽と助けたのが、『極悪令嬢』?」
「王子が国内で保護されたことより、僕達的には『極悪令嬢』が人を助けたことの方が驚きだよな」
「ハハハ、言えてる」
「馬鹿っ、お前ら……!」
ふざけ合う少年達の軽口を、別の少年が慌てて閉じさせる。
彼らの前をゆっくり通り過ぎていく令嬢がいた。
春風に翻るシルバーブロンド。整った面に輝く瞳は、吸い込まれそうなアイスブルー。
その淡くきらめく瞳が、少年達を映した。
「ーー!」
令嬢は小さな笑みを残すと、見惚れるほど美しい足取りで去っていく。
少年達は、知らず詰めていた息を吐き出した。
「お、驚いた……まさか本人が現れるとは」
「在校生なんだから当然だろ。ったく、不用意に噂話しやがって……」
「悪い悪い。でもさ、『極悪令嬢』っていうからどんなもんかと思えば、意外に普通なんだな」
「普通っていうか、滅茶苦茶綺麗だった」
「分かる。見つめられたら何も言えなくなりそう」
「お前ら全然懲りてないな」
◇ ◆ ◇
少年達の騒がしいやり取りを背後に聞きながら、ローザリアは内心ほくそ笑んでいた。
全て思惑通りにことが運んでいる。
そのまま寮にたどり着くと、情報収集に動いていたミリアに出迎えられる。
「悪い顔をしていらっしゃいますね」
「何か企んでいるような顔は生まれつきよ」
ローザリアの冗談を見事に流すと、ミリアは不意に真剣な表情になった。
「情報が入りました。おそらく今夜、動くかと」
紅茶を受け取りながら頷き、部屋の隅に控える従者へと視線を移す。
「では、準備を。頼んだわよ、グレディオール」
静かに頭を下げて部屋を出ていく彼を見届けると、ローザリアは紅茶に口を付けた。
「噂も順調に広がっているようだし、新年度はさらに面白くなりそうね」
すかさずお茶請けのマドレーヌを並べていくミリアが、半眼になって嘆息した。
「友人であるレンヴィルド殿下まで利用するなんて、ローズ様って血も涙もないですよね」
「国王陛下とはいえ兄なのだから、進言くらいなら大した労力ではないでしょう。嘘をつかせたわけでもないのに人聞きが悪いわね」
しかも疑問形ではなく、断言。
最近の専属侍女は本当に辛口だ。
「それにもちろん、受けたご恩相応のお返しはするつもりよ」
他国の王族を保護した謝礼とはいえ、ただで受け取る気はない。
こちらが利益を得た分、協力者に還元する。
円滑な人間関係には必要な考え方だ。
それに一連の動きは、シンを保護しただけでは解決していない。
ローザリアは様々な人物の複雑に絡む思惑を、全てまとめて断ち切るつもりでいた。
ゆくゆくは、全て自らの利益となるはず。
「ーーさて。最後の仕上げといきましょうか」
ローザリアが浮かべる華やかな笑みは、企みごとには全く似つかわしくなく、その異質さゆえに凄まじく美しかった。




