約束
久しぶりにごろつき達との面会を済ませた翌日。
学園では、ローザリアはただの学生に戻る。
一方レンヴィルドは、やはり書類仕事に忙殺されているようだった。
「なぜ毎回、そんなにも大量の仕事を引き受けてしまうのかしら……」
放課後も片付かない書類の山に囲まれている王弟殿下を、ローザリアは冷めた目で見下ろしていた。
今日は、いつもの面子でお茶会の予定だった。
いつまで経っても姿を現さないレンヴィルドを探しに来てみれば、案の定だ。
「こんなことだろうと思っておりましたけれど、確か『押し付けられた仕事を予定までに終わらせるのができる男』とおっしゃっていたかしら?」
「このまま押し切られるかたちで、来期の執行部入りが決まりそうだよ」
「つまり自らの希望すら貫けずじまい、と」
追い打ちをかけてしまったようで、レンヴィルドはガックリと机に倒れ込んだ。
王宮から舞い込む執務との兼ね合いもあって執行部の勧誘をずっと辞退していたというのに、結局お人好しな彼は断りきれないらしい。
度重なる増援要請を、毅然と拒否できなかった時点で自業自得だ。
「ヘイシュベル王子殿下には、決して見習わずに育ってほしいものですわ」
「こればかりは否定できないね……」
力なく同意を示す主を気遣いながら、カディオが口を挟んだ。
「だけど、デュラリオン様はなぜ殿下に仕事を押し付けるんでしょうね?」
デュラリオン・カラヴァリエ。
選挙が近付いてきたこの頃になり、よく聞くようになった名前だ。
ローザリアは直接会ったことがないけれど、次期会長に押されるほど人望に厚い傑物だった。
そのデュラリオン自身が、レンヴィルドを次の会長に据えたいと考えているらしい。
「それは、レンヴィルド様を会長に押し上げるための策略なのでは?」
現に引き受けざるを得ないところまで追い込まれてしまったのだから、作戦勝ちといったところか。
けれどカディオは納得しかねると首をひねった。
「だとしても、少し任せすぎな気がしませんか? 俺は貴族間のことに疎いから的外れな意見かもしれないですけど、伯爵家の方なら殿下が政務に携わっていることくらい知っていそうなものですが」
転生前の彼は、平和な世界で一般的な平民として生きていたらしい。貴族や身分制度について語る時、カディオはいつも自信なさげだ。
「確かに、まだ会長に就任したわけでもないのに、過重労働を強いられているような気がしますわね」
おかげで最近はお茶会の誘いも辞退されることが多く、ローザリアとしては非常に不満だ。
「次のお休み、ルーティエさん達と例の複合型施設に行く約束、お忘れになってはおりませんよね?」
「もちろんだよ。私もぜひ行ってみたいと思っているのだから、その日だけは必ず時間を空けておく。約束する」
多忙であまり構ってやれない父親が、むくれる娘のご機嫌とりをしているような安請け合い。
ぞんざいな扱いに腹が立つけれど、彼自身も楽しみにしていると知れたローザリアは、書類仕事に戻っていくレンヴィルドを見下ろしながらこっそり笑みをこぼした。
◇ ◆ ◇
週末は、冬には珍しく晴天が広がっていた。
澄みきった青空と太陽を見るだけで、不思議と気分が高揚する。
誰もが同じような気持ちなのか、今日はいつも以上に街が賑わっている気がした。
暗い色調の服で埋め尽くされている中央通り沿いの噴水広場も、道行く人々の明るい表情が彩りを添えているようだ。
以前は軒を連ねている屋台での食事を楽しんだけれど、今回は話題の複合型施設に向かう。
遅れてくる者がいれば見て回るくらいは楽しめたかもしれないが、多忙を極めるレンヴィルドも待ち合わせた時間通りにやって来た。
彼の護衛としてカディオとイーライが張り付いているが、今回は厳戒な警備体制が敷かれていない。
それは、レンヴィルドが『薔薇姫』にまつわる真実を知ったから。
ローザリアには『極悪令嬢』の他に、『薔薇姫』という異名がある。
それは貴族間では知れ渡ったもので、セルトフェル侯爵家に生まれる特別な女児に与えられる呼称。
血液がまるで薔薇のような芳香を放つことから、『薔薇姫』。
そのあまりの芳しさに、王国の礎とされているドラゴンが目を覚ますという伝説があり、ローザリアは外出すら禁じられて十六歳まで育った。
けれどこの伝聞、ほとんどが事実無根。
何よりの証明が、ローザリアに仕える従者のグレディオールだった。
ドラゴンである彼が、人の世に混じって暮らしている。その事実を目の当たりにしたレンヴィルドは驚愕したものの、『薔薇姫』の外出を推奨するようになった。
彼が王族として、何より一人の友人としてローザリアの自由を認めてくれることは、純粋に嬉しい。
「ごきげんよう、レンヴィルド様。無事執務を終えられたようで喜ばしい限りですわ」
「ごきげんよう、ローザリア嬢。あなたに喜んでいただけるなら頑張った甲斐もあるというものだ」
いつものように胡散臭い笑みで挨拶を交わすのも、感謝の表れだ。
そしてローザリアは、カディオと向き合った。
「ごきげんよう、カディオ様」
「こんにちは、ローザリア様。今日は雲一つない、いい天気ですね」
「えぇ。雪が降らなくて一安心です」
「……熟年夫婦みたいな会話」
ほのぼのした会話を引き裂くように、レンヴィルドがボソッと呟く。
ピキリと青筋を立てるローザリアと異なる反応を見せたのは、カディオだった。
「ふっ、夫婦だなんて、そんな……」
必死に首を振る彼の顔は、熟れたように赤い。
驚くべきはレンヴィルドの皮肉の斜め上をいく解釈か、彼の純情ぶりか。どちらにせよ、ローザリアの心はたちまち浄化された。
「嫌ですわ、カディオ様。わたくしまで恥ずかしくなってしまいます」
「ああっ! そうですよね、失礼しました!」
レンヴィルドの白い目をものともせず笑い合っていると、ルーティエと取り巻き軍団がやって来た。
「こんにちは、ローザリアさん! レンヴィルド様とカディオさんも!」
噴水広場を待ち合わせ場所としたのに、それより以前に待ち合わせをしていたらしい。
ルーティエは、平民だ。
馬車を持たない彼女を王都まで乗せてきたのだろうが、誰かと二人きりでは抜け駆けの可能性があるため全員が同乗したといったところか。
本当に、分かりやすく張り合っているものだ。
「ごめんなさい。待たせちゃった?」
「いいえ。わたくし達も今到着したところよ」
申し訳なさそうなルーティエに、ローザリアは笑って首を振る。
出がけになってアレイシスらが揉め出す光景が目に浮かぶようだ。彼女に非はない。
ローザリア達は、ドルーヴを目指してぞろぞろと歩き出した。
「カディオさん、イーライさん。休日までお仕事させてしまってすみません」
ルーティエがレンヴィルドの護衛達に、申し訳なさそうに頭を下げる。
寡黙なイーライは気にしなくていいと頷くのみだったが、カディオは快活な笑顔で答えた。
「いえ。護衛の仕事に休みはないですし、そもそも休日といっても大してすることはありませんから」
「そういえば、いつも休みなく働いてますもんね」
「殿下を守るのが使命ですから、苦になりません」
ルーティエはふと立ち止まり、カディオを真っ直ぐに見上げた。
「実家に顔を出すのも難しいんですか?」
「えっと……」
純粋な疑問を湛える翡翠の瞳に、カディオが少したじろいだ気がした。
ローザリアもグラント男爵家での彼の立場が気になっていたが、踏み込んで聞けずにいた。
転生者であることを知っているからだ。
同じく転生者であるルーティエだけれど、彼女はカディオの事情を知らない。だから全く他意なく訊けたのだろう。
「ーー実家といえば、ルーティエさんのご実家を訪ねたことはなかったわね」
「えぇ!? ローザリアさんが、うちに遊びに来てくれるの!?」
ルーティエは、ローザリアの呟きにあっさりと食い付いた。
そのまま彼女は楽しそうに、実家のパン屋について話し始める。クッキーなど料理が上手なのは、幼い頃の手伝いの賜物らしい。
チラリとカディオを盗み見る。
顔色が悪いというほどではないけれど、その表情はどことなく硬い。
突然知らない世界に放り出されて、確かまだほんの一年足らず。
やはり、彼の実家付き合いが気にかかった。




