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週末。学園生活も落ち着いてきたので、ローザリアは久しぶりにセルトフェルの屋敷に帰っていた。
談話室で向かい合う祖父のリジクが、アーモンドタルトを取り分けていく。もう既に四切れ目だ。
「お祖父様。甘いものは控えるよう、何度言わせれば気が済むのですか?」
「その台詞、そっくりそのまま返させてもらおう」
そうは言うが、ローザリアの甘いもの好きは完全に祖父の影響だ。頭脳労働の必需品として認識させたのは、間違いなくリジクなのだから。
「俺とてこれでも控えている。お前こそ、嫁入り前だというのに食べすぎではないか?」
暗に体型の変化を危ぶまれ、腹が立ったローザリアは皮肉で応酬した。
「あら。あれほど反対なさっていたお祖父様が、カディオ様との結婚を応援してくださいますの?」
リジクは全く取り合うことなく、けれど忌々しげに嘆息した。
「ローズは大人しくさせておくに限るからな。今回の誘拐騒ぎに伴うあれこれで、俺はつくづく思い知らされた。お前を制御しておいてくれるなら、カディオ・グラントでも誰でも構わん」
「まぁ、人聞きの悪い」
学園に通い始めて半年程度で、誘拐騒ぎに家屋全壊。ついでにカンニング騒動のことも彼の耳には入っていることだろう。
それから数学教師に目を付けられ、学問追求の徒が集う『賢者の塔』に勧誘され続けていることも。
いらぬ心配ばかりをかけてしまっているため、さすがのローザリアも言い返すことができない。
恋を成就させるという本来の目的が、なぜこうも遠いのだろう。
「ところでローザリア、今日はアレイシスと一緒に帰ってくると思っていたが?」
義弟や元婚約者との和解も、リジクは既に把握しているようだった。これはミリア辺りが気を利かせたのかもしれない。
「確かに関係は修復いたしましたが、彼らのルーティエさん熱が冷めるわけではないですもの」
今日だって、おそらく王都にいるのではないだろうか。ジラルドとフォルセも一緒に。
「それに、今日はレンヴィルド様がお祖父様をお訪ねになられるのでしょう? あの子は家と外とで顔を使い分けているから、家族以外がいる屋敷には寄り付かないでしょう」
「それもそうか。同級生なら挨拶をしないわけにもいかないからな」
アレイシスは屋敷にいたなら立場的に、レンヴィルドをもてなさなければならなくなる。
本日の不在には、それを回避する意味合いもあるはずだった。
「そういえば、例の政策の件。お祖父様のお力添えのおかげで議会を通ったそうで、わたくしも一安心いたしました」
「王弟殿下は人望のある方だからな。うるさい者さえ黙らせられれば、問題なかった」
レンヴィルドが感謝を述べに来る余裕ができたのも、議会が落ち着いたからだ。
カディオも一緒に来るはずなので、ローザリアも今から楽しみにしていた。
彼らが訪問する前に温室のハーブでも摘んでおこうかと考えていると、頬に強い視線を感じた。
「……何ですの?」
静かに目線を交わらせる。
シルバーブロンドから覗く思慮深い青の眼差しは、何かを探るかのようだった。
「――民衆の王弟殿下への評判を裏で操作したのは、お前だろう?」
談話室に静寂が落ちた。
秋の柔らかな日射しが差し込む窓辺に、急速に冷えていく空気が不釣り合いだった。
素晴らしい政策の数々を提案する、有能で英邁な王弟殿下。若き実行力の登場に、王都の民の話題は持ちきりだった。
下級貴族は平民との垣根が薄いため、王都に広まった噂を拾いやすい。
そして下級だからこそ、彼らの数は圧倒的。旗頭を一つにすれば発言力はかなりのものとなる。
元々中堅貴族からの支持が厚かったレンヴィルドに下級貴族がついたことで、流れは一気に傾いた。議会の混乱が終息したのも、彼らの功績が大きかったと言える。
噂は高位貴族の間にも浸透し、王弟殿下の人気は今や飛ぶ鳥を落とす勢いだった。
「生き残るために小賢しく立ち回るしか能がないと思われていた弱小貴族達の反撃に、古参貴族は面食らっていたぞ。まさか彼らを、美談一つでまとめ上げてしまうとはな」
保身を何より重要としている下級貴族には、長いものに巻かれる事なかれ主義が多い。
そんな彼らが高潔な意志をもって立ち上がるなど、誰が想像できただろうか。
彼らを見くびっていた古参貴族には、まさに晴天の霹靂だったに違いない。
ローザリアは何一つ反応を示すことなく話を聞き終えると、口角をゆっくり引き上げた。
「――何のことでしょう?」
アイスブルーの瞳が、硬質な輝きを放つ。
冷たく、傲慢にさえ見える高貴な光。凛然と座る姿は、気高い薔薇よりも美しかった。
今回の暗躍に、情報操作を得意とするミリアが関わっていないはずがない。だが彼女の口を割らせるのは、至難の業だろう。
リジクは追及を諦めると、また新たなタルトに手を伸ばした。
「……今回のことで、殿下の人望は高まっている。国王陛下の地位を脅かすのではと危険視する古参貴族は多い。この先どう転ぶのか不透明だぞ」
「なぜそれをわたくしにおっしゃるのか理解できませんが、その辺りのことは実際何か起きてからでも十分対処できるのでは? レンヴィルド様が王位を狙っていないのは、周知のことですし」
胡散臭い笑みのまま、ローザリアは立ち上がる。
「どこへ行く?」
「少々、温室へ。お客様がいらっしゃる頃には戻って参ります。お祖父様も来客があるのですから、そろそろお菓子は控えてくださいね」
孫娘が去り際に残していった苦言など聞こえないふりで、リジクは大きめに切り分けたタルトを不機嫌そうに頬張った。
お気に入りの温室は、ローザリア専用の庭園内にある。ここにはハーブや薬草が栽培されていた。
ローザリアは美しく咲く花も好きだが、小さく素朴な花が好きだ。その上暮らしの役にも立つという一石二鳥さも好ましかった。
外の空気は冷たくても、ここは日射しのおかげでポカポカと温かい。
手入れを終えると、温室の中に設えてあるテーブルセットのソファに腰を下ろす。
ミリアがすかさずミルクティを差し出したので、苦笑しながら受け取った。
「また、種まきの時期ね。今年は学園に編入したからほとんどお手入れができなくて、使用人達には迷惑をかけるわ」
「種まきは、庭師のカイズが済ませたと申しておりました。ローズ様は些末なことなど気にせず、どうぞ思うままにお過ごしください」
「ありがとう」
そういえば、寒さに弱いゼラニウムやレモンバーベナ、アニスヒソップがしっかり温室内に移動しているようだった。
束の間ぼんやりくつろいでいると、温室の扉がぎい、と音を立てた。
「失礼します」
そこに立っていたのは、褐色の肌に黒金の鎧をまとった、赤髪の青年――カディオだった。
彼はローザリアを認めると、金色の瞳を驚いたように瞬かせる。
「あ、あれ? こんにちは、ローザリア様。あの、俺は、温室に咲いている百合をもらってくるようにと言われたのですが……。あれ? 案内の人は? 何でいなくなってるんだ?」
キョロキョロと辺りを見回すあどけない姿に、ローザリアは諸々を察した。
おそらくリジクとレンヴィルドが結託して、彼をここまで誘導したのだろう。案内役の使用人にまで言い含めて。
「ごきげんよう、カディオ様。残念ながらこの温室には、そういった観賞用の植物はありませんわよ」
答えつつ、ローザリアは立ち上がった。
「よろしければ、こちらで一緒にお茶でもいかがですか? 外はお寒かったでしょう」
ミリアとグレディオールは、既に気を利かせて姿を消している。
植物の影にでも潜んでいるのだろうが、ローザリアからすれば二人きりのようなものだ。
けれどカディオからは、いつもと変わらぬつれない返事が返ってくる。
「申し訳ありませんが、俺はすぐに戻らなくてはなりません。任務中なので」
「レンヴィルド様でしたら、きっとお祖父様と東の庭園に移動しているのではないかしら。あちらには大きな楓の木がありまして、見事な紅葉が楽しめますの。カディオ様、場所はご存知ですか?」
「……」
セルトフェル家の敷地が広大であることは、重々分かっているだろう。また迷子になっては敵わないと思ったのか、カディオは素直に従った。
ローザリアはカップを用意し、カディオの分のミルクティを注ぐ。向かいのソファに座った彼は、落ち込んでいるようだった。
「もしや俺は、殿下に担がれたのか……?」
「担がれたなんて。きっと――……」
何気なく答えかけ、不意に口を噤む。
きっとレンヴィルドは、カディオと二人きりになれるよう気を遣ってくれたのだろう。
だがそれを言えば、いくら彼でもローザリアの気持ちに気付いてしまうのではないだろうか。そう思うと言葉が続かなかった。
不思議そうに続きを待つカディオを誤魔化すなど、造作もない。ミルクティを差し出しニコリと微笑めばで、きっといつも通り煙に巻ける。
けれど、本当にそれでいいのだろうか?
断られても何度だってぶつかればいいと、一度はそう思ったではないか。
都合の悪いことを誤魔化そうとする癖を、アレイシスに指摘された。本心を隠したい時ほど胡散臭い笑顔になることを、フォルセに注意された。
――素直な、自分……。
矯正したとして、何を言えばいいのだろう。
普段は呼吸するがごとくまとっている笑顔の作り方さえ分からなくなり、ローザリアは目を伏せた。
「どうしましょう……」
「ローザリア様?」
「わたくし幼い頃、その手の恋愛小説に目を通したことがございます。ですが、なぜ好きな殿方の前でしおらしくなるのか、どうしても理解できませんでした。心を得るための手管とさえ、考えていて」
「それはまた、少女らしからぬ感想だね。あなたのことだから、今さらもう驚かないけど」
カディオは突然の打ち明け話にも戸惑うことなく、優しく相槌を打ってくれた。
彼の親しみやすい口調が嬉しい。
ありのままの姿を見せるのが自分だけであればと、醜い心が欲をかく。
不意に、胸が詰まった。
「ですが、そうではなかったのですね。好きな方を前にすれば、言葉など出てこないもの。普段通りに振る舞う方が難しいのだわ」
ローザリアは勇気を出して顔を上げた。
アイスブルーの瞳に愛しい人だけを映す。
「――カディオ様、愛しています。わたくし、あなたが愛おしすぎて、もうずっと胸が苦しい」
ラスト一話、どうぞお付き合いくださいませ。
m(_ _)m




