平穏な日々に感謝を
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チョコレート色のコスモスが咲く中庭は、遮るものがないため日当たりがいい。
肌寒い時期でもベンチに座っていられるのは、太陽のおかげと言えるだろう。
それでもわざわざ出歩く生徒はなく、放課後の中庭は秋の静寂な空気に揺蕩っているようだった。
「……あなたに、これは現実だって言われた時、殴られたくらい衝撃だった」
白いベンチの隣で、ルーティエが儚げに呟いた。
「信じてもらえないかもしれないけど……私ね、転生者ってヤツなんだ。『ルーティエ』として生まれ変わる前の記憶があるの。前世の私は、難病を抱える女の子だった」
無機質な白い病室。耳の奥までまとわりつくような機械の電子音。穏やかな雰囲気に潜む死の匂い。本やゲームの世界が、唯一の拠り所だった少女。
「その時はまだ十三歳だったのに、死んじゃって。でももう一度目を開けたら、好きだったゲームのヒロインになってた。私は、きっと神様がくれたご褒美なんだって思った。ずっと痛くて苦しいまま病気と戦い続けたから、お疲れ様って、神様が優しくしてくれたんだって」
ルーティエの口調はいとけなく、ローザリアには彼女が幼い子どものように思えてきた。
物事の善悪も主観でしか考えられない幼さ。狭い世界で生きてきた者特有の閉塞感。
ローザリアには、身に染みて分かる。
彼女は誘拐騒ぎ以降、憑き物が落ちたように人が変わった。
明るさや天真爛漫な部分はそのままだけれど、誰彼構わず愛想を振り撒くことはしなくなった。
身分制やマナーについても少しずつ学び始めていると、アレイシスから聞いていた。
「それは、どんなゲームだったのですか?」
ローザリアが静かに問いかけると、彼女は翡翠色の瞳をパチパチと瞬かせた。
「ゲーム? 今あなた、ゲームって言った? やっぱり転生者なの?」
「何度も言うようですが、わたくしは転生者というものではありません」
すがるような声だったが、きっぱりと否定する。
一瞬取り乱しかけたルーティエだったが、表情に影を落としつつも大人しく引いた。
「……なら、何で信じてくれるの? 変なこと言って、頭おかしいって思わない? 気持ち悪いって」
俯く顔に、ローザリアは躊躇いなく手を伸ばす。
「そんな不安そうな顔をされては、疑う方が難しいですわよ」
指の腹で優しく頬を撫でると、ルーティエは信じられないように涙のにじんだ目を瞬かせた。
彼女に対しては、複雑な感情がある。
アレイシスとフォルセのことだけじゃなく、理由もなく絡まれることにもうんざりしていた。
十三歳で亡くなったという前世の話を聞くと同情の余地はある気もするが、だからと言って何をしても許されるわけではない。
ローザリアなどそのくらいの歳にはセルトフェル邸の書物を読破し、異国の希少本などを取り寄せたりしていた。
閉じ込められていても学べることはある。無知でい続けることは罪だ。
けれど、人と接することでしか得られないものは、確かにあって。
……それを罪だと切り捨てるなんて、ずっと似たような生き方を強いられてきたローザリアには、できなかった。
泣きそうだったルーティエは、涙が千切れ飛ぶ勢いで頭を振ると、パッと明るい笑顔を作った。
「えっと、あのね、恋愛を楽しむシミュレーションゲームってヤツなんだ。攻略対象の男の子達がいて、誰と恋に落ちるのか選べるようになってるの。誰のルートに入ろうと邪魔してくるのが、悪役令嬢のローザリア・セルトフェル」
大好きな義弟や婚約者を奪われたローザリアは、自らの配下を動かして嫌がらせを始める。
それらを協力し合ってはね除けるたびに、ルーティエと攻略対象者達との絆が深まっていく。面白く思わないのはローザリアだ。
ルーティエへの嫌がらせは、日を追うごとに苛烈さを増していく。
ついには人さらいに売られかけたが、危機一髪というところで救出され事なきを得る。
その後、ローザリアは糾弾される。
彼女はセルトフェル家から追放され、貴人用の牢の中で生涯を終えるのだった。
何度も名前は出るが、糾弾される場面までは一度として姿を現さない幻のような存在。屋敷から出ることなく情報を操り、あらゆる悪事に手を染める。
それがゲームの中でのローザリア・セルトフェルだったという。
――大体合っているのが恐ろしいところね。カディオ様と出会っていなければ、本当にどうなっていたか分からないわ……。
ローザリアは微妙な気持ちになりながら、若干遠い目になった。別の世界とはいえ、とんでもない物語があるものだ。
「けれどそれですと、レンヴィルド様とわたくしに全く接点がありません。無関係の王弟殿下とルーティエ様の仲を、なぜわたくしが邪魔しなければならないのですか?」
「そこはほら、王族に私みたいな庶民が嫁ぐなんて許せない、みたいな嫉妬からだよ」
誰と恋に落ちる物語でも、ルーティエは全員と親しくなるのだそうだ。
アレイシスとフォルセを奪われた嫉妬もあったのではないかと、彼女は推測する。
「まぁ、結局はただの僻みではないですか。何だか無理矢理こじつけたように感じますし、設定の甘い物語ですわね」
「女子供が楽しむものだからね。そんなケチつけなくてもいいじゃない。大体、ケチつけたいのはこっちの方だよ。あなたの従者……グレディオール、だっけ? あの人がドラゴンだったなんて、とんでもない隠し球持ってたくせに」
グレディオールの正体は彼女にも話してあった。
ドラゴンの力を目の当たりにしたからには、説明しておかねば妙な誤解を招きかねない。
ちなみに、ゴロツキ達に対しては『とても強い従者』で押し通している。思わず頷いてしまうような圧を込めた笑顔付きで。
――今後の付き合いによっては、彼らに打ち明ける日も来るかもしれませんけれど。
ゴロツキ達への労役はローザリアが主導することになっている。
シャンタン国の建築様式を指導するためというのが表向きの理由だが、彼らがローザリア以外の貴族を信頼しないというのが一番大きかった。
約一名、やけに心酔しきっている男への対応に苦心しているが、それは些末な問題だ。むしろ、グレディオールから随時放たれている殺気に気付かない彼の鈍さには恐れ入る。
今後を思い若干気が遠くなりかけたローザリアだが、すぐにルーティエに向き直った。
「そういえば、ドラゴンは物語に出てこないのですか? その辺りはゲーム知識とやらで把握しているのかと思っていたけれど」
てっきり、グレディオールも攻略対象なのではと思っていた。ルーティエが嫌々だろうとローザリアに話しかけてくるのは、それが目的だと。
彼女は少し思案したのち、首を横に振った。
「ゲームにはそんな設定なかったよ。悪役令嬢の過去に関しても、ほとんど触れられてなかったし」
「まぁ、主観で描かれた物語ですし、所詮その程度でしょうね」
「だからぁ。ただの乙女ゲームにそこまでの完成度求められても」
拗ねて唇を尖らせていたルーティエが、急に元気をなくした。
「……ずっと、他人の物語を見てるみたいな気分だった。カッコいい男の子達に囲まれてても、嬉しいと感じることもなくて」
ゲームなら、間違えてもやり直せばよかった。誰を選んでもいつかはハッピーエンドにたどり着く。
「でも、現実なんだよね。あなたに言われて、すごく怖くなった。傷付くのも死ぬのも、私自身なんだって。……人を、傷付けるのも」
逆ハーレムなんて現実ではあり得ない。安易に相手の気持ちを掴んで、弄んで。全員と幸せになることなんてできないのに。
唇を震わせていたルーティエは顔を上げると、真っ直ぐにローザリアを見つめた。
「前世の知識を利用して、あの人達に好かれる自分を演じてた。決して許されることじゃないけど、アレイシス様達にはそのことを謝ったよ。それでもいいって言ってくれたから……これからはもっとちゃんと考える。結局、誰かを傷付ける結果になるかもしれないけど……」
彼女の声音がどんどん萎んでいく。
苦悩の末の結論を打ち明けるのは、それがけじめだと思っているからだろう。
義弟と疎遠になっただけならまだしも、フォルセとは婚約が破棄された。ローザリアは被害者だ。
悟られないようそっと息をつくと、再び俯いてしまった彼女を覗き込む。
「誰かどころか、全員傷付ける結果になっても構いませんのよ?」
「……え?」
目を瞬かせながらルーティエが顔を上げる。
翡翠の瞳は、透明な湖面が風に揺らいでいるようだった。涙を必死で堪える健気さには、さすがにローザリアだってほだされる。
「全面的に自分が悪いと思っていらっしゃるようですが、コロリとあなたを好きになった彼らにだって責任はあります。婚約者を繋ぎ止められなかった、わたくしにも」
あのままカディオに出会えていなかったら、後戻りができないほどの憎しみが膨れ上がっていたかもしれない。
だがそれは、あくまで仮定の話。
例えそれが運命の示す道だったのだとしても、分岐点はもう変わってしまった。
結果論だけれど、今のローザリアには彼女に対する遺恨がない。だから、いいのだ。
「大事なことは、この先どれだけ誠意をもって接するかではございませんか? そしてあなた自身が、相手を心から好きだと思えること。選択肢を三つに狭めてしまっては、人生の無駄遣いです」
ローザリアは立ち上がると、悪役令嬢よろしく片頬を吊り上げて笑った。冷たい風に乱れたシルバーブロンドを、背中へと払い除ける。
「悲しい結果になったとしても、ここからは彼らの甲斐性の問題ではありませんか?」
意表を衝かれたのか、ルーティエは呆然としている。ローザリアはスッと手を差し出した。
その手をまじまじと見下ろすと、彼女は柔らかく表情をほどいて自らの手を重ねた。輝く太陽のような笑顔は、とてもルーティエらしい。
彼女は攻略対象達をゲーム知識で陥落させたことに罪悪感を抱いているが、彼らが惹かれた『ルーティエ』は演技の中だけにいたわけではないはずだ。
大体、女だろうが男だろうが、好かれる自分を演じるなんて珍しいことでもない。
「行きましょう。もう、約束の時間です」
「うん! ありがとう、ローザリアさん」
ローザリアにつかまり立ち上がったルーティエは、そのまま手を繋いで歩き出す。
はしゃいでブンブン手を振る姿は微笑ましいが、あまり強く引かれると肩が抜けてしまいそうだ。
ローザリアまで楽しくなってクスクス笑った。
「また何か悩むことがあれば、ご相談ください。――ルーティエさん」
「うん! なら私にも相談してよ」
「それはどうかしら。あまりに頼りないもの」
「ひどい!」
鮮やかに色付いた中庭を、笑い合う少女達の姿が横切っていった。
本日はみんなでお茶会をすることになっていた。
みんなというと、カディオとレンヴィルドはもちろんのこと、フォルセにアレイシス、ジラルド、ついでにイーライも一緒に、ということだ。
利用する談話室は最大規模のもので、二十人以上がゆったりくつろげる広い部屋。
男性陣は既に揃っており、ローザリアの専属メイドと従者が紅茶の準備をしていた。
いつも通り働くグレディオールに、レンヴィルドとカディオが物凄く恐縮していた。さもありなん。
「遅かったな」
ジラルドが腕を組みながら、ローザリアを睨む。
彼は誘拐騒ぎ以来、以前にも増して絡んでくるようになっていた。
今回の事件は、結果的に国政を動かすものとなった。ローザリアが提案した画期的な方策の数々が、将来国を背負って立つ身としては悔しいらしい。
だがあれらは、レンヴィルドの力があるからこそ実現できるものだ。
口にするだけならお嬢様の我が儘と大差ないのだと何度も言っているが、彼のきつい態度が矯正される気配はない。
面倒な会話に付き合う気はなく、ローザリアは鉄壁の笑みを浮かべた。
「お待たせしてしまったのなら申し訳ございません。女同士、話したいことも多くございますから」
女の付き合いを持ち出されると男は弱いもの。
問答無用で黙らせられるはずが、今度はアレイシスが口を出した。
「そうは言っても、義姉さん。女が二人で出歩くのはよくないだろ」
ルーティエもローザリアも、彼にとっては庇護すべき対象だ。二人で話している間もずっとやきもきしていたに違いない。
「心配性ね。ここは学園内よ」
王立学園の敷地内にいて、一体どんな危険があるというのか。
着席しながら答えると、斜向かいの席からフォルセが苦笑をこぼした。
「君達はさらわれたばかりだから、僕はアレイシスの気持ちも分かるよ。煩わしいと思わず、義姉として付き合ってあげたらどうかな?」
ローザリアに対するフォルセの表情は、以前に比べてぎこちないところがなくなった。まるで家族同然に戻ったみたいだ。
なので、ローザリアも遠慮なく言い返す。
「フォルセ様。わたくしが優しい義姉だったことが、今までに一度としてあったでしょうか?」
「君がそんなふうだから、アレイシスの女性の好みが歪んでしまったのでは……」
「同じ方をお慕いしているフォルセ様に、それをおっしゃる権利は全くございませんよ?」
皮肉を言い合い、互いに小さく笑う。
完全に昔の距離感を取り戻すのはまだ先だろうけれど、きっといつか関係は修復すると信じられた。
ローザリアは、ミリアに差し出されたティカップに口を付ける。
湯気の立ち上る紅茶には、好みを熟知している彼女によって甘い蜂蜜と生姜、ミルクが入れられていた。冷えた体が芯からポカポカする。
次に、林檎のジャムをサンドしたクッキーに手を伸ばす。隣の椅子に座ったレンヴィルドが、甘さを想像してこっそり顔を歪めるのが面白い。
「……それで、納得いくまで話せたのかい?」
彼は対面側の席についたルーティエに、ちらりと視線を送る。ローザリアは微笑んで頷き返した。
「はい。いつも気にかけていただいて、本当にありがとうございます」
「お礼は必要ないよ。私は気にかけているだけで、特に何もしていないのだから」
「何をおっしゃいますか。王都を根本から作り替える素晴らしい政策だと、今や手の平を返したように絶賛の嵐と聞きましてよ」
「だからあなたは、そういった最新の王宮事情になぜ精通しているのかな……」
セルトフェル侯爵のてこ入れもあり、彼の激務はようやく落ち着いてきていた。表情や言動にも余裕が戻っている。
「そもそも、その全てを丸投げしたあなたがそれを言うのかい?」
「ウフフ。卑小なわたくしには、殿下のような実行力はございませんもの」
「そうだね。これでもし実行力と発言力を兼ね揃えるようになったら、本当に空恐ろしいよ……」
疲れきったため息を落とすレンヴィルドを尻目に、ローザリアは平然とジャムサンドクッキーを口に含んだ。
騒々しくルーティエの隣を奪い合っていた男性陣が、何だかんだと彼女の世話を焼き始めていた。
まめに紅茶を注ぎ足したり、手ずからお茶請けを取り分けたり。
微笑ましい光景に、そしてそれを微笑ましいと思える自分自身に、ローザリアは頬を緩めた。
ルーティエはヒロインなんかじゃないし、ローザリアも悪役令嬢じゃない。
ふと、カディオと目が合う。
彼の金色の瞳も温かな光を湛えていて、考えていることはきっと同じだと分かる。
言葉は交わさずに、ローザリア達は笑い合った。




