7. 第二王女の言うことには
自分も屑だとは理解しているけどね。
可愛いは正義。
この言葉は異世界から来訪した聖女から教えてもらった言葉だ。
まだ学生だったと言っていた彼女は、年頃も近く、この国を訪れた際には一緒にお茶をして楽しんだものだった。
二年前に他国の浄化を行ってから還ってしまったが、彼女の世界の文化は目新しく、そしてセリーヌに合っていた気がする。
すっかり言葉まで感化されてしまった。
そんな彼女から教えてもらった、冒頭の言葉が似合う人物は、自分しかいないとセリーヌは思っている。
だって、本当に可愛いから。
これまでに手に入らなかったものはなかったし、これからもそう。
大国の第三王子という、責務は比較的重くはなく、そのくせ待遇は保証された先に嫁げるのも、知らぬ間に見初められていたからである。
外見至上主義、万歳。
一番欲しいものは手に入らないけれど、推しは眺めて愛でるものだから何も問題無かった。
** *
「一体どういうつもりなのかと聞いているのだが?」
向かい合って座る姉妹は、どこまでも対照的だ。
すらっと伸びた身長と細身の体がどこか中性的な印象を与え、フリルの少ない青のドレスで身を飾る姉マリアと、小柄で華奢ながらもメリハリのある体に、フリルとレースでボリュームたっぷりなレモンイエローのドレスを纏うセリーヌ。
互いに共通するのは、お仕着せが統一されている侍女達くらいのものだろう。
どちらの侍女も、澄ました顔で控えている。
セリーヌの出立の日は近い。
忙しい中でセッティングされたお茶会は、内密に調査が入った件に対する説教と、セリーヌの真意を確認するためだとわかっている。
「だってぇ、お姉様に国王の座を上げたかったもの」
包み隠さぬセリーヌの発言に、マリアは少しだけ眉を顰めたが、機嫌が悪くなったわけではないことを知っている。
どうせ、今の発言が誰かに聞かれていないか、もしくは聞かれた場合のことを目まぐるしく考えていただけだろう。
どちらの侍女も互いの主を理解しているので、そんなヘマをすることはない。
それはマリアも知っているはずなので、これはもう性格によるものだろう。
「あの男に散々可愛がられていたというのに。
今の言葉を聞いたら卒倒するのでは?」
マリアが言う「あの男」とは、血の繋がった、それも双子の兄のことである。
彼女達がアドリアンを話題にするときは、名前を出さないように配慮した結果が、赤の他人のような扱いだった。
「そんなの知らないわ。
あの人が勝手に私を可愛がっていただけだし」
セリーヌは自分と顔が似ているアドリアンのことなど、さして好きでもなかった。
同じ顔を見て、どうして嬉しいと思えるのか。別に自分はナルシストではない。
アドリアンとセリーヌの外見は母親似。
マリアの外見は父親似。
甘やかな雰囲気を纏う、整った容貌である自身の利用価値を理解しているが、セリーヌの好みは切れ長の瞳に涼やかな顔立ちの人であり、姉のマリアはドンピシャだった。
綺麗で格好いいお姉様。
出るところがやたらと出た、男に媚びた体つきのセリーヌと違い、ほっそりとした中性的な姉の体は一輪挿しにされた高嶺の花を鑑賞しているよう。
それが身内なのだから、推して、推して、推しまくるに決まっているだろう。
そしてセリーヌの周囲にいる侍女達はよき理解者であり、思いの丈を語り合う同好の士でもあった。
そうする内に、セリーヌと周辺にはマリアを慕う会ができていたのだ。
ちゃんと推しに接するにあたっての総則のみならず、職種ごとの細則も決められている。
ささやかな喜びとして、みんなでキャッキャウフフと楽しんでいたというのに。
それなのに祖父である前国王ときたら、推しが女だからという理由で王太子候補から外したのだ。
マジで許せん。死ぬまで恨む。
そんな祖父は離宮で余生を穏やかに過ごしているが、最後の挨拶にいった際にコッソリ置き土産をわかりやすく隠してきた。
子まで儲けた愛人の存在だ。
王家と一部の人間は知っていたが、当時は更に一つ前の国王の女遊びで国が傾きそうだったことから、公妾など不要といった祖父の清廉潔白なイメージを守るために隠されていた。
存在まで綺麗に消去したが、それでも思い出と称して証拠が残されている。
浅はかにも偽名を使うことなく書かれた名前と、妻への膨大な愚痴や、愛妾の家でおぎゃりたいといった内容だ。
実際は「癒されたい」「顔だけでも見て安心したい」といった文ではあったが、聖女が教えてくれた言葉が刺激的で、ついつい使ってしまうのだ。
そんなものを処分できずに二重底の引き出しに隠していたのだから、実に始末が悪い。
お陰で嫌がらせができるわけだけど。
どのタイミングで見つかるかはわからないが、ゴリ押ししたアドリアンが失脚した上で、自身の黒歴史の暴露。
さぞやクソ恥ずかしい思いをするだろう。
ざまあみろ。
アドリアンは調査のためとして現在も聴き取りが続けられているのだが、それが終わるまでは一切の外出や公務を禁止されている。
その間にセリーヌはいなくなるが、全て終わる頃にはどういった立ち位置にいるのかは、誰も教えてくれない。
ただ、アドリアンが何をしようとも、下位貴族相手の失態など大した罰にならない。
数年の留学生活でも送らせて、成長したよとでも言うつもりなのか。
それとも今からでは見つけるのも大変な、婿入り先を探すのか。
既に長らく婚約者だった相手とも、婚約は解消されているはずだ。
だが、王位継承者がマリア一人というのも、周囲から反対が起きるだろう。
適当にスペアとして遊ばせておくくらいか。
いっそ存在ごと消えてくれたらいいのに。
普段ならこういった考えにはならないが、推しの邪魔となれば、セリーヌの発想は過激な方向へと暴走する。
まあ、アドリアンがこれからどれだけ足掻こうとも、マリアの地位が揺らぐことはない。
そんな思考の枝葉が広がるのを、マリアの声が止める。
「ジュリアン・ベルフォールを上手く利用したようだが、そのせいで彼の妻がすっかり社交界で笑い者になってしまっている。
父上が大層ご立腹だ。少しは反省している姿を見せないと、嫁ぐ前に事故死か病死になるかもしれないぞ」
温かさの失われたお茶を取り替えるのを見守りながら、マリアが重々しく息を吐く。
対するセリーヌは、どこまでも軽い調子でお菓子を摘んだ。
「たかだか下位貴族の妻と、王女である私の、どちらが大切かなんて決まっているじゃない。
捨て置いても問題ないし、もし救済が必要であれば、お姉様の慈悲を示すチャンスでは?」
悪辣な夫と元王太子から被害者である妻を救い出せば、それだけでマリアの評判は急上昇だ。
大体、セリーヌがしたことは天真爛漫と評される性格を利用して、我儘を言っただけでしかない。
アドリアンに相談することもなく、自ら妻の立場を貶めるような屑を、国の為に有効利用しただけだ。
セリーヌと違って命の保障はないだろうが、あの性格なら遅かれ早かれ似たような問題を起こしていただろう。
少しばかり処分が早まっただけの相手に、同情する気は毛頭なかった。
「そのような言い方は止めるように。
国を渡ってからは、特に注意した方がいい」
マリアの小言を軽やかに笑い飛ばす。
「ええ、そこは大丈夫。私はあの人とは違うもの」
こんなこと、限られた相手にしか言わない。
今いる侍女達は、セリーヌの庇護によって自分は他と違うと思っている令嬢や、夫婦仲が良いという噂ばかりの夫人達で構成されている。
セリーヌがいなくなっても、育て上げた思想によってマリアに長く仕えるだろう。
「父上からはカステルノー男爵令嬢を侍女に、そして良き相手を紹介するよう言われている。
彼女に見合った人物を選ぶつもりだ」
マリアは王太子争いをするくらいには、清濁併せ吞むことのできる人間ではあるが、本来、根は真面目な人物だ。
男性だからという理由で王太子になったアドリアンを毛嫌いしているので、あれが絡むと一切の容赦がなくなるし、国政で重要な判断を求められると冷酷な姿を見せることもある。
だが、必要だから汚いことにも手を染めるだけで、進んでしたいと思うわけではない。
王とは何かを理解した、程好く善人なのがマリアという人物像だ。
そして、同類だと思われる人物がマリアの近くにいる。
「噂の悪妻様にはお姉様の護衛の、ほら、ヴァージス・モスターニュ卿はどうかしら?
彼は独身だし、一度離縁した身だから騎士爵ぐらいがちょうどいいと思うの」
「……なるほど」
そう言って、マリアが黙り込んだ。
即答できないのは、いまだに彼への想いが残っている証拠か。
ヴァージスは生真面目で堅物な護衛騎士だ。
アドリアンがジュリアン・ベルフォールを見出したのと同様に、真摯に努力を重ねるヴァージスをマリアは見つけた。
身分違いの恋である二人は、決して想いを口にしないまま今日に至っている。
推しの両片思いとか大変美味しい。
誰もが信仰にしてしまうのではないかと思う程、二人の姿は絵になったし、絵を描くのが得意な同担の侍女に鉛筆画を描いてもらった。公式カプ尊い。
だが、未婚のマリアに寄り添い続けるには、少しばかり足を引っ張りかねない相手なのも事実。
変わらず手元に残しておきたいならば、適当な相手と婚姻だけさせておけばいい。
王家の失態はあるとはいえ、大元の原因はジュリアン・ベルフォールであるし、それに乗せられたアドリアンでしかない。
マリアがそこまで後始末に奔走する必要はないのだ。
嫁ぎ先に困っているバツイチの女ならば、白い結婚だって可能だろう。
王配候補であるはずのロッシェの次男とは、髪と瞳の色も近いから、誰の子かを誤魔化すことだって簡単なはずだ。
今回、セリーヌが騎士のジュリアン・ベルフォールを駒に選んだのも、ヴァージス・モスターニュをどうにかするようにとのメッセージを込めていたし、運良く、都合の良い人間を一人準備することができた。
そもそもだが、教養も無い男爵令嬢など、侍女にしたところでいいことなど一つもない。
さっさと結婚だけさせて、屋敷にでも押し込めておけば済むだけの話。
今回のように話が広がらなければ、あの男爵令嬢も大人しくしていてくれそうな性格らしいと聞いている。
それに、王配は一人だけとは決まっていない。
そろそろ愚王の時代は遠くなりつつある。
国を傾けさえしなければ、子沢山である必要を主張し、公妾としてヴァージスを召せばいいだけ。
そんなことをマリアが判断できるかは疑わしいけれど。
「侍女の打診も私が去ってからでしょうし。
まだ少し時間があるのだから、ゆっくり考えてみたらでいいんじゃない?」
「そうだな」
近くで鳥の鳴き声が聴こえる。
本当にうららかな昼下がりで、今日マリアとお茶を一緒に出来たのはいい思い出になるだろう。
さて、セリーヌの推し活はここまでだ。
後は遠くで姉が順風満帆に生きることを祈るのみ。
せめて国内に降嫁できれば良かったが、そうなるとマリアが嫁ぐことになる。
推しが幸せになる方法が離れることになるのだとしても、それを後悔などしていない。
この数日後、晴れやかな顔のセリーヌが王城を出立する。
同伴する一行の中にいるジュリアンも表情明るく、まるで明るい将来が待っているかのようだった。
これから二週間の旅の六日目。
国境を越える前に処分されることなんて知らずに。
先々を知らぬ者達で埋め尽くされた街道を、華やかに飾り立てられた馬車が西に向かって進んでいった。




