6. ジュリアン・ベルフォールが言うことには
別に事実しか言っていないし、勘違いする周囲の問題なのではないかと。
熱を持った頬を押さえながら、ジュリアンは壁のように立ちはだかる両親を見上げる。
母親の持つ鉄扇で容赦なく叩かれ、情けなくもよろめいて尻もちをついてしまったのだ。
騎士の身で恥ずべき姿だと思いながらも、二人の纏う空気が恐ろしくて動けそうになかった。
** *
王城での出来事から二日。
アドリアン殿下達とは離された後、騎士寮の一室に閉じ込められ、風呂のみならずトイレに行くことすらも許可が必要だという屈辱的な謹慎だった。
そうしている間に騎士爵がおざなりに与えられ、出立前までは騎士寮で過ごすことを命じられる。
事情を知らない同僚達は困惑しているが、事実を知られた時の変わり様を想像するのすら恐ろしい。
注目されるのは好きだが、視線に乗せられるのは興味や期待、同情といったものがいいのだ。
蔑みなど欲しくもない。
セリーヌ王女殿下の出立は一月程。
それまでにどれだけ皆の同情を引けるかが、快適な騎士寮生活の鍵となる。
とりあえず妻とトラブルがあったとだけ言えば、誰もが勝手に想像してくれるだろう。
ジュリアンはいつものように、少し眉尻の下がった、人の良さそうな笑みを浮かべておけばいい。
それにしても、本当にクレールが離縁するなんて思わなかった。
ジュリアンが家族から散々に言われている、少々困った癖についても把握して結婚したのだから、いまさら不満に思うことでもないだろうに。
随分と無責任である。
無神経な性格をしているのだから、多少の風当たりの強さを気にしなければ生きていけるのに、あれではもう、裕福な平民の後添えになることすら難しいだろう。
マリア第一王女殿下がクレールを侍女にすると言っていたが、まさか本気だろうか。
ジュリアンがセリーヌ第二王女殿下の嫁ぎ先でも仕えるということになれば、二度と会うことはないが、ただ護衛として送り届けるだけならば、この国に戻ってくることになる。
ジュリアンがどうなるのかはっきりしない今、あちらに都合の良い話を流されても迷惑だ。
先に適当な噂を流して、誰もクレールの言葉を信じないようにしておく必要がある。
そういえば、アドリアン殿下達はどうなったのだろう。
部屋から出してもらえず、部屋を訪れる者に聞いても、誰も知らないと答えるばかり。
こちらもジュリアンが国に戻るか戻らないかで、大きく変わってくる。
できるだけ情報を集め、これからのジュリアンの人生に必要か不要かを見極めなければならない。
彼らがどうなったかによって、ジュリアンが周囲に語る会話の内容が若干変わってくる。
いかに自分が被害者であるかを主張するには、ジュリアン自身の立ち位置を知ることは必要なのだ。
それに王家の威光は大事だ。
アドリアン殿下達が処罰の対象となっているならば、できることならセリーヌ第二王女殿下の嫁ぎ先に居つく方が、都合が良いに決まっている。
国を渡ってしまえば、たかが下位貴族の騎士の噂などが伝わることなどない。
あちらでセリーヌ第二王女殿下の庇護の下に騎士として取り立てられ、適当な女性を見繕ってもらうか、いっそ仕えるべき主のお気に入りという立場だけでもいいかもしれないと考える。
途端に熱を帯びてくる体を自覚し、思わず立ち上がり、すぐに我に返ってベッドに座り直した。
秘められた禁断の恋、なんてどうだろう。
当然、そんなことになる気はないし、何も無いところから関係を捏造したりや嘘をつく気もない。
一度嘘をつくと、後々の対応が面倒になるのは幼少期に体験済だ。
こういうことは周囲にわかるかわからない程度に匂わせるのがいい。
そうすれば勝手に誰かが想像し、それを膨らませて他に語り、ジュリアンは困った顔をしながら否定して、勤勉な騎士としての姿を見せ続ける。
これによって、一体どれだけの視線を集められるか。
考えるだけでゾクゾクする。
運のいいことに、セリーヌ第二王女殿下はジュリアンを気に入ってくれている。
外見も申し分ない上に、御しやすそうな甘ったるい性格。
付け入る隙だらけの愛らしいお人形だ。
殿下が上手く立ち回れなくとも、実際に恋をしていた証拠などは無い。
そしてジュリアンは噂に巻き込まれるだけの被害者だ。
あちらの王族に睨まれることはせず、けれどもセリーヌ第二王女殿下の行く先々に伴われる一人の騎士。
第二王女殿下に執着される好青年な騎士は、王女殿下の執着を断り切れずに困惑しながらも、主への忠誠でもって側に立ち続ける。
最高だ。
想像するだけで浮き立つ心を抑えることはできず、一ヶ月後が待ち遠しくて仕方がない。
早く鍛錬を再開できないだろうか。
セリーヌ第二王女殿下の傍らに控えるのに相応しいよう、騎士らしい見た目を保たなければならない。
自分の目的を達成するためならば、ジュリアンは地道な努力を厭わない。
ジュリアンのあまりよろしくない欲求を知っていたクレール以外ならば、女性に対して紳士的に振る舞えるし、女性の機嫌を損ねると後が面倒なのも理解している。
勿論、騎士団内での上下関係にだって気を遣っていた。
周囲にいる誰から見ても、ジュリアンは好青年らしく振る舞えていたと自負している。
だからこそ、クレールが悪妻だと信じてもらえたし、今でもジュリアンに対して冷たい態度を取る者はいない。
そうして部屋でできるだけの鍛錬を続けていたジュリアンも、一週間経てば謹慎が解かれ、出立の準備と事前の鍛錬に参加するようにと命じられる。
「ジュリアン・ベルフォール卿は既に子爵家と家を分けられたと聞いているが、荷物は残ったままだろう。今の間に取りに行くようにと、団長が仰せだ。
騎士団の馬車を一台回すので、今日中に取りに行くといい。
ああ、ベルフォール子爵家には了承を得ている」
最後の挨拶をしてこいと肩を叩かれ、そういえばと思い出す。
今は騎士爵ではあるが、元々から貴族であったと立証できる物があった方がいい。
それに袖を通していない礼服もあったし、クレールから誕生日に贈られた懐中時計は頑丈で、意外と使い勝手が良かった。
あれは持っていきたい。
馬車に揺られながら、持ち出す品々をリストアップする。
旅路となるので品は厳選する必要があるが、あちらに住むと決まったら、改めて荷を送ってもらうよう頼んでおけばいい。
だが、暢気なことを考えていたジュリアンを迎えたのは、再会を喜ぶ家族ではなく、鉄扇と拳だった。
「国王陛下から拝命した通り、お前はもう子爵家の者ではない。
既に手続きは終わっており、赤の他人だ。
個人資産と部屋にあった物の大半は、カステルノー男爵家への慰謝料に充てたので、お前に渡す物はさしてない」
尻もちをついたジュリアンの近くに、小さな旅行鞄が投げ捨てられる。
「使い古して金銭へと換えようのなかった物だけを適当に詰めておいた。
それを持って、セリーヌ第二王女殿下のお供をするがいい。
私達にはもう関係の無い話だ」
あれ程までに優しかった両親が、軽蔑の眼差しでジュリアンを見下ろしていた。
「ベルフォール子爵家の後継ぎには、遠縁から養子を迎えます。
万が一帰ってくるようなことがあろうと、ベルフォール子爵家を継げるなんて、幻想は持たないで頂戴ね」
どんな時にも根気強く諭そうとした母親から、信じられない言葉が飛び出してくるのを呆然と見上げる。
「養子って」
「当然だろう。もう一度だけ言うが、お前はベルフォール子爵家の者ではない。
ゆえに、私達には子がいないのだ」
血の繋がった唯一の息子だというのに。
そう言いたいのに、口は開けども言葉は作れず、はくはくと息が吐き出されるだけ。
「お前のことだから全く反省などしていないだろう。
精々、どうして上手くやれなかったかを考えるぐらいか?」
お前はそういう人間だ、と吐き出される声は冷え冷えとした空気になって、ジュリアンの耳へと届く。
「先程、恐れ多くも騎士団長殿へと一筆送らせて頂いた。
ジュリアン・ベルフォール卿は元王太子殿下に適当な嘘をつき、妻を貶しめていた最低の屑だとな。
この言葉をどこまで信用してもらえるかはわからないが、出立までに少しでもクレール嬢と同じ思いをするがいい」
次々と耳朶に触れ、耳の中で反響する言葉に、ジュリアンは凍りつく。
「それを持って、さっさと立ち去れ。
二度とここを訪れないように」
石像のように身動きできないジュリアンから視線を外し、両親であったはずの彼らが屋敷に戻っていく。
怒りに満ちた顔の使用人や、無表情の家令に見られた後、目の前で大きな音を立てて扉が閉められた。




