記念SS② クレールが変わったこととは
電子書籍化記念第二弾です。
クレール・カステルノーという少女は特段何かに秀でているわけではない。
外見は悪くないものの、目立たないようにという長らくの習慣からか、すっかり華やかな色合いのドレスに興味が持てず、試しにと勧められて着てみても見慣れない姿に戸惑うばかり。
いつだって祖母が選んでくる深い色合いの、それもレースやフリルの存在が僅かにしか確認できないようなドレスを着ていた。
だからか、ヴァリモアーシュに来てからは少しずつ取り入れられていく豊かな色合いに、多少の抵抗が無いわけでもなかったが、新しい人生には必要なことなのだと慣れていこうとしているところだった。
* * *
「王子妃になられる方が、あんな貧相なドレスだなんて」
レヴィアンティーヌよりはるばる嫁いできた王女が、病によって離宮で静養に入った初夏を過ぎて少しばかり。
クレールがクラリッサ・ヴァレーズ伯爵令嬢として、そして第三王子ローランドの婚約者として夜会に参加しているときに、人のざわめきを縫って聞こえた言葉だった。
声は小さいものだったが、クレールに聞こえるよう言ったのは明確で、周囲を通り過ぎていく人々の視線の向こう側で、花園のように色鮮やかな令嬢達がかしましく歓談に興じながら、ちらちらとクレールを見ているのが視界の端に入り込んでいる。
集団の一人が珍しく王家との縁を繋げなかった、とある侯爵家の四女だというのはすぐに気づいた。
今日のドレスは青色だ。
イブニングドレスだからとデコルテが露わになるのは好まず、大きく開かれた胸元から繊細なレースが首まで覆っている。
同系色の色糸で刺された刺繍は目立たないながらも繊細であり、スカート部分だけではなく全てに施されている贅沢さ。
同じ布で作らせた花の髪飾りには、見えにくい場所にロディをイメージした宝石を並べ、時折照明の灯りを反射させていた。
遠目に見れば確かに地味だが、親しい者だけが近寄ればわかる凝った意匠のドレスである。
「どうするかい?」
耳元で囁いた言葉は短くて、だが面白がっているのがわかる声色だ。
パートナーとしてエスコートをするロディはいつだってそうだ。
クレールを珍妙な動物のように思っている。
そこに愛情があるのだろうから許されるのだが、慎重であるほど良いを信条とするクレールと相容れることはない。
互いに持ち合わせた性質を譲ることはなく、さりとて妥協はできるからこそ一緒にいるのだと思っているが、彼の楽しいことに付き合うのは骨が折れることも多々だ。
「どうもしないわ。まだ貴族年鑑の全てを覚えきれていないの。特に末端の方々はね。
立場次第で変わるものもあるでしょうし、こちらが積極的に動いて、ロディと伯爵家と男爵家が後で面倒事に巻き込まれるのはごめんだわ」
「私は構わないけど」
私は構うの、と短く返す。
ロディが向き直って差し出した手を取れば、ステップを踏み始めた足が二人きりの時間を作る。
身を寄せ合えば仲睦まじくも見え、彼女達を煽り返しながら、秘密裏に話すことだって可能だ。
「彼女たちをどうするかなんて、ある程度他の反応を見てから対応を決めた方がいいでしょう。
親も同じ考えなのか、それとも絵本のような夢を見ているだけの可愛いものなのかで、少々対応が変わるもの」
それに彼女達に乗じて態度を変えてくる人もいるかもしれない。
そういった人物達を炙り出すのは意外と面倒で、ここで一緒に釣れるならばそれに越したことはない。
「彼女達よりも、あの花畑の中で、面白くなさそうに相槌を打っていたご令嬢の方が興味があります」
淡い緑地の小さな花の刺繡を散りばめたドレスの令嬢だ。
「ああ、確か中立派であるロッテルマン子爵の三番目の令嬢だね。
上手に違う派閥の中に溶け込んでいるようで」
ヴァレーズ伯爵家は第一王子を生んだ正妃である公爵家と外戚関係なので、あまり接点がないのも納得だ。
「気に入ったのかい?」
少し考えて頷く。
「そうですね。少しお話をしてみたいとは思います」
彼女は背が高いので、もっとシンプルなドレスが似合うだろうに、周囲の令嬢に合わせて仕立てたのだとわかる衣装だった。
「彼女の婚約者はどなたですか?」
「いないはずだよ」
その返事に、それは好都合だと思いながら、もう一度頷く。
クレールには少しばかり憂鬱なことがあった。
あまりに地味なドレスばかり着ているクレールを心配してか、どうにかして煌びやかなドレスを仕立てようと説得してくる侍女が多い。
今日のドレスだって攻防戦の上で勝利したドレスだ。
だが、このままだとボリュームを追求したフリルに、どこかしこに刺される金糸や銀糸の刺繍、首と肩が痛くなる大きな髪飾りを迎え入れる日がくるのも遠くない。
そのためにはクレールのよき理解者かつ協力者が必要だ。
ちなみにロディは面白がるばかりで、「どっちを着ても構わない」と返すだけだから少しも役に立たない。
結局、クレールに王子妃は荷が重いのだ。
引き受けてしまった以上は責任を持って向き合うつもりではいるが、自身の複雑な立場を考えれば、断った方が良かったのも知っている。
何かを決めるのも煩わしいし、今まで以上に身辺を気にしていなければいけないのも疲れるばかり。
カステルノー男爵領にいた時だって高度な教育を受けさせてもらっていたが、身に付けたことを活かしたいかは別の話だ。
ロディがクレールに興味を持つのが今一つ理解できないままでもいる。
ヴァリモアーシュに来てからもロディにはそう言ってやったが、「クレールの冗談は面白くないよね」と返されて終わるだけだった。
彼は一体何をそこまで期待しているのか。
恐らく彼の感性は、一般的なものから大いにはずれているのだろうと思う。
飽きたら捨てられるのかもしれないとは思うが、いっそセリーヌ王女のように離宮という鳥籠で生活するのも楽しいかもしれない。
誰にも注目されず、世間の煩わしいことから離れられるのだ。
そう言われたときに、セリーヌ王女が随分と絶望しきった顔を見せてくれたが、殺すこともなく生かされている上に離宮内であれば好きにしていい。
セリーヌ王女には言っていないが、風土病の予防薬は食事に混ぜて出しているので、彼女が感染することはなく、他の病で倒れたりしない限りは寿命を全うできるだろう。
優雅にターンした視界に、今や感情を隠すことなく睨みつけてくる令嬢達の集団がいて、余裕の微笑みをくれてやる。
ロディと踊っているのはクレールだが、クレールの掌の上で踊るのは令嬢達だ。
すぐの面倒事は避けようとは思っているが、だからといって周囲にわからないようにならば、煽るのもやぶさかではない。
さすがに今夜の主役に喧嘩を売るほど、馬鹿ではないだろう。
そうでなかったら、ここで愚か者だと自己紹介しているに等しい。
ここで淑女らしい振る舞いなど捨てて、格下相手だと喧嘩を売ってくるもよし。
取り巻きを焚きつけて何か仕掛けてくるもよし。
どちらにせよ、何もしていないクレールに喧嘩を売ってきた方が加害者だ。
ダンスの曲は散々に練習した時のもので、もう少ししたら曲が終わるのも知っている。
終わった後に何か始まるだろうかと考え、そして少しばかりロディに感化されていないかと反省する。
何か言いたそうなロディのきらきらした瞳を避け、クレールはダンスに集中することにした。




