縄文人は死者が大地に戻ってからまた戻ってくると信じていた
さて、昨日の地震で残念ながら、俺のいる集落でも死者が出てしまった。
海岸で貝を採取していた家族が、避難が間に合わずに津波に飲まれ、その後海岸に遺体が漂着したんだ。
なので、俺達は其れを皆で集落へ運んできて、埋葬することにした。
「お前たちは運が悪かったな……安らかに眠ってくれ」
この時代にはまだ仏教、キリスト教などの宗教はない。
そういった宗教が生まれるずっとずっと前なので、この時代には天国とか地獄という概念もない。
ただすべての生命は死んだ後は土にもどって、土に戻った魂は主に祭を通して、女性の体に再びやどって、現世へと戻ってくると考えられていた。
要するに輪廻転生の概念は有ったということだ。
なので、この時代には死者に対して念仏を唱えるということもないし、冥福を祈るために神に祈りを捧げるということもない。
死んだものは縄で胎児のように体を折り曲げて、体を横にして地面に埋める。
これは墓穴を小さくできるというメリットも有るが、胎児の姿を取ることで、赤子として戻ってきやすいようにすると言う、意味合いが強いんだ。
そして生前に使っていた、土器や石器を副葬品として一緒に埋める。
死者であってもそういったものがないと、生活に困ると考えられているんだな。
ただし、死んだものの体を胎児のように折り曲げるというのは以外に手間がかかる。
だから、弥生以降では行われなくなった。
体を伸ばしたまま、地面に埋めるのは大陸の風習で、西日本では少数ながら縄文時代でも見られるが、逆に続縄文と言われる時代が続いたため、諏訪や関東以北の東日本では、屈葬がかなりのちまでつずいたようだ。
この時代は子供とくに乳児の墓が多い。
体の小さな乳児には寒さや病気は大敵だ。
なので、乳児死亡率が高いため、乳児の墓の数は大人の6倍近くなった。
乳児は折り曲げた状態で土器に入れ、生まれたばかりの時に作った、手形などとともに住居の近くなどに甕に入れて埋葬した。
墓は村の中心にあり、その墓が見えるように、竪穴式住居の入り口は、全て村の中心に向けて作られている。
どの家の女性にも、平等に魂が戻れるように、という意味合いがそこには在る。
日当たりを考えると、家の入口は南にむけていたほうがいいのではないかという感じもするが、常に火をたくことで、竪穴式住居の中の暖房と換気と照明を行うシステムが確立していたため、そういった事を考えなくても、あまり問題はなかったようだ。
まあ、人口が増大してくると、集落の形態も変わるわけだが。
死んだものを埋葬するという概念がいつできたのは定かではないが、ネアンデルタール人は、みずからの居住していた洞くつを、生活の場と埋葬の場で分けるということをしていなかったようだが、遺体を屈葬の形で埋葬していたのは間違いがないらしい。
ネアンデルタール人は薬草であるノコギリソウや、ヤグルマギクなどと一緒に、死者を埋めていたようで、そうやって、副葬品として薬草を遺体に添えて埋葬することで、再び健康な体にうまれかわる事を願っていたんじゃないかな?
それにしても遺体が見つかったのはまだ僥倖だった。
川の水に流されて溺れてしまった物は、土に戻れず淫魔になってしまい、男も女も河原で全裸で輪にながら踊り狂ったり、今回のように海でなくなったもので、遺体が上がらなかったものは、屍食鬼になったりして夜の闇を彷徨い、何れにせよ人間として再び生まれて来ることはなくなってしまうと信じられている。
家族はまとめて墓に入れる、そして、ウパシチリが神祈を行い、彼等が無事祖霊の元へたどり着けるように祈る。
そして酒や食べ物を供物として供える。
これらの供物は、新しい死者が先祖にふる舞うために持っていき、祖先たちが食べ切れない量に増えると信じられている。
何れにせよ死者はもう戻ってこない、
だが、いずれまた出会えると、この時代に生きる人間は考えているわけさ。
俺たちにできることは、死んだものが安らかに眠り、そしていつの日か地下から地上に戻ってこれるように、生活を続けることだけだ。




