縄文集落はなぜ小高い丘の上にあるのか
さて、昨日は釣り針作りで一日潰れたが、今日は昨日作った釣り針を使って、釣りをする約束だし、みんなで川に行くとしようか。
「じゃ、今日はみんなで川に釣りに行くぞ」
ちなみにイアンパヌには、イアンパヌ用の釣りセットはちゃんとある。
下の双子は、またいつもの乳母さんに預かっておいてもらう。
「いつも済まないな、よろしく頼む」
「ええ、私は大丈夫です、行ってらっしゃい」
「じゃあ、行ってくるんでよろしくな」
「よろしくね」
「いってきます」
「いってあす」
俺たちは4人で、それぞれ釣りセットや魚籠、タモ網などを持って多摩川に向かった。
春も盛りになって、もうだいぶ温かい。
「ウキになるのは萱を適当な長さに切ったやつで、重りは割れた土器の破片を使う。
こうやって結びつけて使うんだぞ」
俺は子供たちにわかりやすいように、目の前でやってみせる。
「あ、はい、わかりました。
やってみますね、お父さん」
「わあったー」
子どもたちが、それぞれ自分でウキと重りを、糸に結んでいく。
現代のように、ウキを立たせて微妙にバランスをとるわけではなく、水面に横になったままでも、魚が掛かれば、ウキが立ち上がってから沈むので、そこまでバランスを気にすることもない。
「じゃあ、ミミズを探すぞ」
「ええ、そうしましょう」
「わかりました」
「ミミズー?」
息子の方はよくわかってないようなので、一緒に探してやる。
「ああ、土をこうやってほってな、ほら出てきただろ」
「みみず、いたー」
「こいつを針にかけてやるんだ」
「あい、やるでし」
息子がなんとかミミズを探して、針にさしことができるようになった頃には、イアンパヌと娘はとっくに釣りを始めていた。
「よし、俺達も負けないように釣るぞ」
俺達は川べりに座り、息子はコクリと頷いた。
「はいでし」
と、その時だ。
”ごごごご”
と言う音とともに地面が大きく揺れだした。
地面がまるで海の上の船のように揺れる。
「とーしゃーん」
抱きついてきた息子を抱え上げて、イアンパヌと娘の方を見た。
あっちも、お互いに抱き合っているな。
川に落ちたりしなくてよかったぜ。
しばらくして揺れが収まったら、俺はイアンパヌに向かって叫ぶ。
「今のうちに高い場所へ逃げるぞ、娘は頼む」
「ええ、急ぎましょう」
俺は息子を、イアンパヌは娘を抱きかかえて、取るものも取らずに、高い場所に向かって走り出した。
ここは河口からそう遠くない、ならば急がなくてはならない、俺達は全力で走りなんとか小高い丘に辿り着く。
”ドドドドド”
河口側から大きな波が川を登ってくる音が聞こえてくる。
関東平野の直下であれば、東京湾の中にも津波は起きるんだ。
俺達は丘をひたすら登る
”ドドドドーーーン!”
そんなハンマーで、何かが殴られるような音を立てながら、多摩川を登ってきた津波が後ろを駆け抜けておいった、俺達はまだ川だから良かったが、海で貝を拾ったりしてる連中は大丈夫だろうか?
「とりあえず助かったな……」
「ええ、村に早く戻りましょう……」
縄文人が貝塚にたくさんの貝殻や魚の骨などを残しているにも関わらず、海や川の側の低地ではなく小高い丘の上に集落を築いているのは、こういった津波に何度も襲われているからだ。
そもそもスンダランドの人間は、大陸が海の中に沈んでしまったから、南から逃げてきた連中だからな。
東南アジアではニューギニアに氷河が存在した、そしてそれは温暖化した時に洪水を起こしただろう。
そしてこの時代、津波が起きるのは地震だけが原因じゃない。
カナダにあるミズーラ氷河湖やアガシー氷河湖などは、地球が温暖化することで、カナダの氷河が溶けその中にできた淡水湖だが、現在の五大湖を合わせたよりも広く、また現在世界にある湖水を合わせたよりも多くの水を湛えていたときがあったくらいだ。
そういった湖の氷のダムが溶けて、決壊した時に何が起こったかというと、それは当然大洪水なわけだ。
氷河湖決壊洪水は現代でも起こっているが、氷河期から間氷期への移行期間である、1万7千年前から1万年前ほどが一番激しい。
そしてカナダの氷河湖決壊洪水では、カナダの四方つまり、北極海、大西洋、太平洋、北アメリカ大陸へとそれは流れ出たわけだが、その量が半端じゃない、氷河の氷も含めた大量の土砂が流れ出した。
つまりそういった氷河湖の決壊により起こる大きな津波も太平洋沿岸では有ったし、逆に黄河や揚子江でも同じような大洪水が起こった際に日本海側でも津波があったわけだ。
要するにいつ大きな地震がきたり、津波が起こったりするかわからないのを知っていたから、縄文人は水を汲んだりするのが大変でも、小高い丘の上に家を立てたのさ。
「とーしゃーん、あーんーあーん!」
「おお、大丈夫だぞ、もう大丈夫だ」
息子や娘はさすがに恐ろしさのあまり泣いているが、イアンパヌは冷静に娘をあやしている。
俺達が集落に戻ると、村の人間が集まっていた。
「下の子達は無事か?!」
俺が家に戻ると幸い、乳母役の女性も子どもたちも両方無事だった。
壁がない竪穴式住居は潰れる可能性も少いしな。
「ああ、皆無事でよかったぜ、怪我とかはないか?」
「ええ、大丈夫です」
とは言え赤ん坊たちはギャン泣きだ。
「うぎゃー、うぎゃー」
「おうおう、大丈夫だぞ、大丈夫だ」
俺は赤ん坊を抱き寄せて頭をなでながら、被害がななかったことに感謝した。
しかし村全体で被害が一人も出ないということはないだろうな。
なるべく多くの人間が生きていることを願うことしか、いまの俺にできることはないが。
日本は肉食性、草食性のどちらも人間を襲うような危険な動物は少ない。
本州ではツキノワグマとニホンオオカミくらいだな。
これはいわゆる危険な動物の多くは草原に生息する動物が多いからだ。
その代わり日本は自然災害がとても多い。
地震、台風、火山の噴火、津波、洪水などだ。
そしてそれらの災害によって直接的に被害を大きくするのは主に水によるものだ。
なので、縄文人は水を使ったりするには多少不便でも、川のそばや海の側の低地ではなく小高い台地の上に集落を作った。
しかし、弥生人たちは水源が必要な稲作を行っていたので低地の川沿いに住むことが多かった。
だから、ある程度人が増えるまでは縄文人と弥生人は住み分けもできていたらしい。
無論旱魃や冷害などで食糧不足の時に弥生人が縄文人の集落を襲うことなどは有ったらしいがな。
大自然の力に比べれば、人間などちっぽけなものだ。
だから危険にはなるべく近づかないのが一番なのさ。




