勇者パーティから戦力外通告された遊び人、宿屋に捨てられたはずが気づいたら“街の英雄”になりました。
戦場の夜は、火があっても寒い。
焦げた草の匂いと、血の鉄臭さが混ざって、息を吸うたび喉の奥がざらつく。
焚き火の橙が、勇者の顔を半分だけ照らしていた。もう半分は影だ。
影のほうが似合う顔をしている。勝っても笑わない、負けなくても喜ばない——そんな顔。
焚き火の向こう側で、遊び人の金髪が揺れた。
腰まで伸びたロングの髪が火の光を拾って、蜂蜜みたいに光る。本人は軽く笑ったつもりだった。いつも通りに。いつも通りにできるはずだった。
「……遊び人。ここまでだ」
言葉は静かだった。静かすぎて、火のはぜる音のほうが大きく聞こえる。
「え? なにが?」
軽く返したつもりだったのに、声が少しだけ上ずった。
笑って流すはずだった。いつもみたいに。
隣でバトルマスターが武器を拭いている。剣、槍、斧、短剣。どれを握っても手が迷わない。近接の最強職——いや、近接という枠すら狭い。武器という武器を使いこなす、戦の天才。
賢者は杖を鳴らした。魔力の残り香が雪みたいにふわりと散る。
回復も、攻撃も、支援も、ほとんど全部を一人でやってのける最強魔術職。——そして、遊び人が本来座るはずだった席を奪った人。
「明日からの布陣は、わたくしが支えます。回復も、支援も、殲滅も——最適化できます」
賢者の声は落ち着いている。
正しい。正しいから、逃げ道がない。
「つまり、あたしは……いらないってこと?」
言い方だけ軽くした。軽くしないと、ここで崩れる気がした。
勇者は、ようやくこちらを見た。
その目が、ひどく疲れているのが分かった。——責任と恐怖を、ずっと飲み続けている目だ。
「生き残るためだ。……お前を嫌いになったわけじゃない」
「優しい言い方しても、同じじゃん!」
喉が熱い。笑ってるのか、泣きそうなのか、自分でも分からない。
そのとき、盗賊が遊び人の袖を掴んだ。
強く握っているのに、指先が冷たい。戦場で鍛えられた手なのに、やけに震えて見えた。
「……盗賊」
たったそれだけで胸が詰まった。
「大丈夫だから。そんな顔しないで」
遊び人は袖を引いて、盗賊の額を指で軽く弾いた。笑い方だけ、いつも通りにしてみせる。
「宿屋でしょ? 預ける場所。預けたら、また引き出す。——ほら、簡単」
盗賊は唇を噛んで、視線を落とした。
「……絶対、戻るよね」
「戻るよ。呼ばれたら、すぐに戻ってくる」
口が勝手に言う。
言ってしまえば、本当にそうなる気がしたから。
勇者は火に薪を足した。ぱち、と火が弾ける。
「宿屋の場所は伝えてある。必要になったら呼ぶ。……それまで休め」
「休めって……」
言い返そうとして、やめた。
言い返したら、ここで全部終わってしまう気がした。
遊び人は荷物を背負い直して、焚き火の輪から一歩外へ出た。
背中が冷える。火の温度が、いきなり他人事になったみたいに遠い。
◆
宿屋は王都の外れにあった。
門をくぐって数本、石畳の通りを曲がったところ。町の喧騒が薄まり、かわりに酒と汗と諦めが混ざった匂いが濃くなる。
「いらっしゃいませ!」
カウンターの向こうの少女が、背伸びしてこちらを見上げた。
小さな手で帳面を押さえ、目だけがやけにまっすぐだ。
栗色の髪をきちんとまとめ、袖をまくった腕には働き者の細い筋が浮いている。年齢はまだ十代半ばだろう。なのに宿の空気の“主”みたいに見えた。
「……勇者さまの、仲間の方ですか?」
「そ。今日からここ」
少女は一瞬だけ、唇を結んだ。笑顔が止まり、それから慌てたみたいに戻る。
「フィオナと申します。……お部屋、空いてますよ! えっと、ここは、その……ちゃんと宿屋なので。寝て、食べて——」
「うん。ありがと」
鍵を受け取って振り返った瞬間、酒場のほうから大声が飛んできた。
「ぷはぁっ!! 人生終わったぁぁぁ!!」
見覚えのある顔。
テーブルに突っ伏した僧侶が杯を振り回している。白髪が乱れ、頬は赤い。首の聖印がエールの泡で濡れて光っていた。
「……僧侶さん?」
「さん付けやめろって何度言えば覚えんのよ、あんた! 敬称付けられれば現実が回復するの!? 回復しないよね!? じゃあ飲む! わたしは飲む! お酒こそが全人類のヒーラーなのよ!!」
「いや、ヒーラーは僧侶でしょ……」
「ヒーラーが回復される側になった時点で世界は終わってんの! わたしの尊厳返して! あと金貨も! それとエールおかわりぃ!!」
叫んで笑って、また叫んで。
でも目だけが笑っていない。——“最初に宿屋送りにされた者”の目だ。
作業台のほうでは、戦士が粉をふるっていた。
高身長の体は鎧の名残みたいに真っ直ぐで、赤髪を太い三つ編みにして背中へ流している。
壁に掛けられた大きな斧。刃の部分に、なぜか生地がべったり付いている。
「……戦士。斧、どうしたの」
戦士が振り返る。姿勢が無駄に良い。声も無駄に格好いい。
「これは斧であり、料理道具だ」
「……り、料理道具」
「食を支えるのも戦いだ。斧は戦いの道具。つまり料理道具にもなりうる」
「物凄い暴論を言い張ったな……」
「言うな」
短く、強い。
なのに作業台の端に、小さな星型の型抜きが置いてあるのを遊び人は見逃さなかった。
奥の席。踊り子が膝を抱えて、床の木目を見ている。
細い体が椅子に沈み、水色のボブが頬にかかる。足首の鈴は布で巻かれて鳴らない。
「踊り子ちゃん、久しぶり。元気にしてた?」
「……うちに話しかけんといて。あんさん、うち見たら運落ちる」
「落ちないって。踊り子ちゃんといると元気になれるし!」
「落ちる。うち、役立たずやもん。笑わせるために来たのに……笑われて終わった。もう、踊れへん」
言葉が重くて、吐いた息まで沈む。
さらに奥。武闘家が薬草をすり潰していた。
黒髪短髪の、小さな少女。机の上に整然と並ぶ瓶、包帯、針。手つきだけが異様に落ち着いている。
「立ってても良いが、邪魔はするな」
「う、うん。その、お久しぶり——」
「手」
「え?」
「手を見せろ。震えてるな。寝不足と冷え。……そのままだと倒れるぞ」
「いきなり診察!?」
「倒れられると面倒だ。自己管理はしろ。ここにいるやつ、だれ一人として、できてはいないがな」
面倒、と言いながら、包帯の巻き方は丁寧だった。
扉が開いて、冷たい夜気と一緒に、香水みたいな匂いが入り込む。
「武闘家さま! その資料、勝手に持ち出してはなりませんわ!」
魔法使いが山のような書類を抱えて入ってくる。
桃色の髪をツインテールに結い、背筋は真っ直ぐ。声は高貴。……なのに、段差でちょっとよろけた。
「ちょ、魔法使い大丈夫?」
遊び人が支えると、魔法使いは顔を赤くして顎を上げる。
「だ、大丈夫ですわ。わたくし、淑女ですの。転びませんの」
「転びかけてたから……」
「見なかったことにしてくださいませ! 遊び人さんは昔からいけずですわ!」
酒場を見回す。
武器がない。鎧がない。戦いの匂いがしない。
あるのは、酒と甘い匂いと、巻かれた鈴と、薬草と、書類の山。
「……前線に戻った人、いないの?」
僧侶が杯を机に叩きつけた。
こぼれた泡が木の染みに吸い込まれていく。
「いないわよ。ひとりも。わたしが最初で、わたしが最後」
言い切って、僧侶は笑った。笑ってから、急に真顔になる。
「……あんたもね、すぐ分かるわよ。ここは“預ける”場所じゃない。“捨てる”場所だってこと」
胸の奥が、きしんだ。
「そ、そんなわけないって!」
遊び人は笑って見せた。
笑わないと、この空気に飲まれる気がした。
「呼ばれるよ。だって、あたしは……ずっと一緒に——」
言いかけて、止まる。
ここで勇者の名前を出したら、何かが壊れる気がしたから。
盗賊はいない。
勇者もいない。
焚き火の輪は、ここにはない。
◆
数日。数週間。
宿屋の窓から朝日が差し込んでも、勇者からの伝令は来なかった。
僧侶は毎朝「今日は呼ばれる気がする!」と言って飲み始め、昼には「やっぱダメだった!」と言って大泣きしながら寝る。
戦士は「これは戦闘訓練だ」と言い張りながら、クッキーを焼く。
踊り子は鈴を巻いたまま、噴水の音だけを聞きに行く。
武闘家は診療所へ行き、夜に宿屋へ戻って薬草の匂いを連れてくる。
魔法使いは研究所に通い、帰るたび書類が増える。
フィオナは朝から晩まで帳面とにらめっこをして、背伸びするみたいに必死で宿を回していた。
遊び人は——最初、内心で見下していた。
どうして戦わないの。
どうして諦めるの。
呼ばれたらすぐ行けるように、待ってるべきじゃないの。
そう思っていたのに。
夜になると胸の奥が空っぽになる。
みんなが寝静まって、僧侶の寝言が聞こえて、廊下の木がきしんで、窓の外で風が鳴く。
その暗がりの中で、遊び人はひとり、考える。
呼ばれない。
必要じゃない。
ここにいるのは、ただの“余り”だ。
——そんなの、認められるわけがない。
◆
ある朝、遊び人は宿屋を出た。
誰にも言わなかった。言ったら止められる気がしたから。止められたら、戻れなくなる気がしたから。
国境へ続く街道。
王都の石畳が土に変わり、畑が途切れ、草原が広がる。
風が強い。
草が波みたいに揺れて、その間から“それ”が湧く。
牙。爪。腐臭。
モンスターだ。
「……来なよ」
遊び人はブーメランを握り直す。
勇者がくれたもの。軽い木の柄。刃は小さく、戦士の斧みたいな説得力はない。バトルマスターの剣みたいな威圧もない。
それでも——手に馴染んでいる。
投げる。
回転。
斬る。
戻る。
ブーメランが戻るたび、手首に衝撃が返ってくる。
痛い。地味に痛い。じわじわ痛い。
でも、やめられない。
夜が明けてもモンスターは湧いた。
昼が過ぎてもモンスターは湧いた。
夕日が落ちてもモンスターは湧いた。
三日三晩、眠らずに戦った。
視界が霞む。
毒の痺れが足を舐める。
熱が出て、寒気がして、胃がひっくり返る。
「……っ、まだ……!」
投げる。戻る。投げる。戻る。
ふらつく。転ぶ。立つ。
足元の死体が増える。
自分の血も増える。
——あたし、ほんとに戦える職じゃないんだな。
今さらそんな当たり前が、笑えない。
そのとき、遠くで悲鳴がした。
草の波の向こう、荷車が横倒しになっている。
そのそばで、小さな影が逃げ惑っていた。
栗色の髪。
袖をまくった腕。
目だけがまっすぐな——
「……フィオナ!?」
宿屋のオーナー、フィオナだ。
どうしてこんなところに。仕入れか。薬草か。薪か。分からない。
分からないけど、身体が勝手に動いた。
遊び人は走る。
足の速さには自信があった。今までずっと嫌なことから逃げ続けた人生だったから。——でも、今日は逃げ足じゃない。
守るための速さだ。
ブーメランを投げる。
追っていた狼型のモンスターの喉が裂ける。
次が来る。次も来る。
「フィオナ、こっち!」
「っ……!」
フィオナが駆け寄る。だが足がもつれる。
その背後から、爬虫類の巨体が跳んだ。
「——っ!」
遊び人は身体ごとフィオナを抱えて転がり、間一髪で噛みつきを避けた。
避けた、はずだった。
次の瞬間、視界が裏返る。
モンスターの尾が、遊び人の腹を叩き潰した。
息が抜ける。
声が出ない。
内側がぐちゃりと沈む感覚。
それでも、遊び人は笑おうとした。
いつもみたいに、軽く。
「……だい、じょ——」
言葉にならない。
視界が黒くなる。
フィオナが必死に遊び人の腕を掴んだ。
手が細くて、震えている。
「や、やだ……! 起きて……! お願い……!」
ここで倒れたら、呼ばれた時に戻れない。
——でも。
黒が全部を飲み込んだ。
◆
目を開けると、天井があった。
木の梁。白い布。ほのかに薬草の匂い。
「ようやく起きたか」
枕元に武闘家が座っていた。
黒髪短髪の小さな少女が、椅子を引き寄せて腕を組んでいる。
「……ここ……」
「宿屋。おまえ、丸二日寝てた」
「二日も!?」
跳ね起きようとして、頭がくらっとした。
武闘家が額を指で押さえて戻す。
「寝てろ。まだふらつく」
「……なんで、助かったの」
「僧侶の回復だ。……あと、知らせが来た」
「知らせ?」
武闘家が顎で扉のほうを示す。
ガタン、と音がして扉が開いた。
飛び込んできたのはフィオナだった。息が切れている。目が赤い。胸に手を当てているのに、笑おうとして失敗する。
「……よかった……! ほんとに、よかった……!」
その後ろから、僧侶が入ってくる。目の下にクマ。なのに杯を持っている。
「起きた! 起きたじゃん! あんた、馬鹿! ほんと馬鹿! あんたのせいでわたし二日間飲む暇なかったんだからね!?」
「最後のそれ、怒るところそこ!?」
続いて、戦士が入ってくる。焼き菓子の包みを抱えている。
赤髪の太い三つ編みが揺れもせず背に落ちていた。静かな足音が、逆に怖い。
戦士の影に踊り子がいた。細い体を縮めるみたいに、布で巻いた鈴を握っている。
魔法使いも息を切らしていた。桃色のツインテールが少し乱れている。
「遊び人さま! 勝手にいなくなるなんて——!」
「もしかして怒ってる?」
「当たり前ですわ!」
戦士が包みを差し出した。
「……食べろ」
「……みんな、助けに来てくれたの?」
聞いた瞬間、胸が締まった。
返事が怖かった。
僧侶が椅子を蹴って座り、テーブルを指で叩く。
「当たり前でしょ!? 放っとけるわけないじゃん! あんたが居なくなったら、誰がわたしの愚痴を聞くの!? 誰が戦士をからかうの!? 誰が踊り子の背中押すの!? 誰がわたしのゲロ掃除すんの!? ねえ!?」
「僧侶の愚痴がメインになってない?」
「そうに決まってんじゃない! 皆に迷惑かけていいけど! わたしには迷惑かけないでよ!」
戦士が咳払いする。
「……騒ぐな」
魔法使いが唇を噛む。
「……あなたさまがいない二日間、宿屋が……静かすぎましたの」
踊り子が小さく言う。
「……あんさん、帰ってこないか思って、うち……怖かった」
その一言で、遊び人の中の何かが決壊した。
笑って誤魔化せない。喉が勝手に泣き声になる。
「……こわかった……!」
声が出た。ずっと言わなかった言葉。
ずっと“明るい遊び人”でいるために、飲み込んできた言葉。
「こわいよ。置いていかれるのも、役立たずって言われるのも、みんなが死ぬのも……!」
息が詰まって、泣いて、泣いて、笑ってしまった。
武闘家が呆れたみたいにため息をつく。
「遅い」
「うるさいなあ……」
「遅いけど、言えたならいい」
僧侶が目尻を拭って、鼻を鳴らした。
「……ほら、飲む? 泣いた後の酒、うまいよ」
「僧侶、結局それ!?」
「結局これよ! 酒は皆のヒーラーなの!!」
戦士が小さく笑った。見間違いじゃない。
踊り子が布を少しだけ緩める。鈴が小さく鳴った。
それは、泣き声より弱くて、でも確かに“生きてる音”だった。
◆
そこから先、宿屋は少しずつ変わった。
遊び人は僧侶と飲んで、馬鹿騒ぎして、翌朝頭を抱えて、また笑う。
戦士と一緒に菓子を作って、孤児院に届けて、子どもに囲まれて逃げる戦士を見て笑う。
武闘家の診療所では薬草を運び、泣く子の手を握って、痛いのが終わるまで一緒に歌う。
魔法使いの研究所へ差し入れを持っていって、書類の山に埋もれた魔法使いを引き上げる。
踊り子とは噴水前で、最初は立つだけ。次に手を動かすだけ。次に一歩だけ。鈴が鳴るたび、踊り子の表情が少しずつ戻っていく。
気づけば、宿屋のテーブルはいつも埋まっていた。
最初は宿屋の人間だけ。次に町の人が混ざり、兵士が混ざり、旅人が混ざる。
「おい、遊び人! 今日も噴水前やるんだろ!」
「やるやる! 踊り子ちゃん、行こ!」
「……しゃあないなぁ」
「おい僧侶、飲む前に踊れ!」
「わたしは飲んでから踊る! それが流儀なの!」
「酒飲む流儀ってなんだよ!?」
笑い声が町に散っていった。
それがいつのまにか、町の空気を少しだけ軽くした。
——このままでも、悪くない。
そう思い始めた頃だった。
◆
噴水前で、背中から呼び止められた。
「遊び人さん!」
振り返るとフィオナがいた。
いつもより顔色が悪い。息が浅い。手が震えている。
「城壁南部が……南部が危ないんです。お父さまが、騎士団長が……!」
フィオナの声が震える。
周りの町人たちが、どこかそわそわしているのに気づいた。いつもより人が少ない。騎士も少ない。空気が落ち着かない。
「城壁南部が魔王軍の猛攻を受けて、決壊寸前なんです! でも、みんなの混乱を避けるために、国はこのことを隠してて! でも、みんなうっすらと気づいてて……」
「……国王は隠してる。でも、みんな気づいてる。そういうこと?」
フィオナは涙をこぼして頷いた。
「お願いです……! 助けてください……! お金なら——」
小さな財布から金貨が覗いた瞬間、遊び人はフィオナの手をそっと押さえた。
「いらない」
「……え」
遊び人はしゃがみ込んで目を合わせる。
フィオナの瞳が揺れる。拒絶されたと勘違いしそうになる、その揺れ。
「依頼は受け取れない。……勇者パーティって、そういう決まりあるし」
フィオナの顔が崩れかける。
だから遊び人は、ぎゅっと彼女の手を握った。
「でもね。依頼じゃない。家族を助けるのに、金はいらない」
「……家族?」
「この町の人、みんな。あたしの家族みたいなもんだし」
フィオナがきょとんとする。
その顔が、あまりにも幼くて、守りたいと思ってしまった。
「結論。あたしは、あたしが助けたいから助けに行く。心配も金もいらない」
遊び人はウインクして、親指を立てた。
フィオナはバッと遊び人に抱きついた。安堵で、涙が溢れていた。
「……ありがとうございます……!」
背中に小さな重み。
それだけで胸が熱くなる。
——そして遊び人は、走り出した。
振り返らない。
仲間を呼ぶ時間もない。呼んだら止められる。止められたら、また“預けられる”気がした。
逃げ足の速さじゃない。
守るための速さで。
◆
南へ向かう道は、いつもより静かだった。
畑は荒れ、荷車が放り出され、鳥の鳴き声すら少ない。風が草を撫でる音だけが耳に残る。
嫌な静けさだ。戦場の前の、呼吸の止まった静けさ。
遠くに黒煙が見えた。
焦げた匂いが風に混ざって来る。胸の奥が、ひゅっと冷える。
歩幅が自然に速くなる。
指が勝手にブーメランの柄を確かめる。軽い。頼りない。いつも通りの相棒なのに、今日は妙に心細い。
それでも、行く。
◆
前線は、地獄だった。
折れた槍。潰れた盾。血に沈んだ草。
モンスターの死体が散り、騎士の死体がその間に転がっている。
「……なにこれ……うそでしょ」
喉の奥が冷える。
それでも遠くでまだ戦っている影が見える。——人間だ。生きている。まだ、間に合う。
今にも首を取られそうな兵士がいた。
遊び人はブーメランを投げた。風を切って飛び、モンスターの首を刎ねる。
「助かった……!」
兵士が振り返った、その瞬間。
後ろから巨体が現れて、兵士の首が跳ねた。
赤が噴き上がる。世界が一瞬、音を失った。
「……っ!」
震えが背骨を這い上がった。
何度見ても慣れない。慣れてはいけない。
歩いてくる影がいる。
四つ腕の骸骨騎士。漆黒の鎧。兜の隙間から赤い眼光。
大剣、大斧、長槍、ハンマー。四つの武器が、それぞれ別の死に方を約束しているみたいに光る。
魔王軍幹部、四つ腕の骸骨騎士——ドンブラン。
「……見覚えがあるな」
声が骨の内側に響く。
脂汗が頬を伝う。手が震えてブーメランが滑りそうになる。
「……そうか。勇者一行の雑魚か」
悔しい。腹が立つ。
なのに怖い。怖すぎて、膝が笑いそうになる。
——あの勇者が、負けた相手。
バトルマスターでも、盗賊でも、届かなかった相手。
視界が暗くなりかけた、その時。
「名乗れ! 魔王軍幹部!」
倒れていた騎士が立ち上がった。
荘厳な鎧。血まみれの剣。背中は折れそうなのに、声だけは折れていない。
「私は王国騎士団長! 国王のため、国民のため! ——そして、国で待つ娘のために! お前を止める!」
フィオナの父。
その言葉だけで胸がぎゅっと潰れた。
ドンブランが興味深そうに首を傾げる。
「貴様のような雑魚に、何ができる」
騎士団長は笑った。歯の隙間から血が滲む。
「何もできん。何もできん……が、それでも立つ! 怖くても、無様でも、負けても! ——俺の後ろには、守りたいものがある!」
剣が振るわれる。
黒い甲冑に弾かれた。
宙を舞った団長の腹に、ドンブランの蹴りが突き刺さる。
団長は地面を跳ねて転がり、動かなくなった。
それを合図にしたみたいに、森の奥からぞろぞろとモンスターの群れが現れた。
興味が失せたように、ドンブランが踵を返す。
「後は餌にくれてやる」
——置いていく。
団長も、兵士も、町も。全部。
その背中に、遊び人の身体が勝手に動いた。
ブーメランを投げる。
ただ投げるんじゃない。聖水を叩きつけたブーメランを。
ガッ、と鎧の肩口が焼けた。
ドンブランが振り返る。赤い目が見開かれる。
「……傷、だと?」
遊び人の手には空の小瓶。
今日の朝、街のシスターに押し付けられた聖水。
『お守りよ。あなた、無茶する顔してるもの』
今になって、その声が刺さる。
遊び人の足が動く。
後ろじゃない。前へ。
逃げない。
勝てないと分かっていても、立つ。
剣が振り下ろされる。斧が叩きつけられる。槍が貫こうとする。ハンマーが地面ごと砕く。
遊び人は避けて、転んで、血を吐いて、それでも立った。
ブーメランで殴る。切る。叩く。
ほとんど効かない。効かないのに、やめられない。
「……っ、はあっ、はあっ……!」
息が熱い。視界が滲む。
団長が倒れている。まだ生きている。胸が上下している。
「……死なせない……!」
ドンブランの赤い目が、苛立ちに染まった。
「薄汚い執念め」
ハンマーが真正面から遊び人の腹をえぐった。
骨が折れ、内臓が弾け、筋肉がちぎれる音が響く。
と同時に、遊び人は吹き飛ばされた。
何度も地面を跳ねて、ようやく止まった。
彼女の手から離れたブーメランだけが、くるりと虚しく回転し、ころりと滑って——ドンブランの足元に残った。
そこでドンブランの焦りがすっと消える。
消えたのは焦りだけじゃない。胸の奥に刺さっていた違和感が、ようやく名前を持つ。
——この弱者を、俺は怖れていた。
「……貴様を侮っていた。だが、今は違う」
腐っても騎士。
そう言い聞かせるみたいに、ドンブランは右腕の大剣を掲げた。介錯でもするつもりなのか、刃が夜の天を指す。
「弱者の勇気に——敬意を示そう」
一歩。二歩。
ブーメランを踏み越え、倒れ伏す遊び人へ近づく。
大剣が大きく振りかぶられ——振り下ろされた。
——ガキンッ!
金属が嚙み合う爆音とともに、赤い砂煙が舞い上がった。
砂煙の向こうで、遊び人は立っていた。
近くの騎士の剣を拾い、大剣を受け止めていた。肩が震える。全身の傷が開いて血を吹く。
なのに、口が動いた。
「ふざけんな……敬意とか、かっこつけんな……!」
涙なのか汗なのか分からないものが頬を伝う。
「怖いよ! 怖くて怖くて怖くて、逃げたい! 勇気なんてない! ——でも!」
剣を押し返して、よろめきながら立ち直る。
足元に倒れた団長を見る。
「……あたしは、バトルマスターみたいに世界一強くない! 賢者みたいに世界一賢くない! 盗賊みたいに勇者を世界一愛してるわけでもない! 勇者みたいに世界一勇敢じゃない!」
喉が痛い。声が枯れる。
「——でも、世界で一番、みんなが大好きなのは、あたしだ!! だから……!」
ドンブランが斧を振り下ろした。
——その刃が、透明な壁に弾かれた。
「なに——」
遊び人の目の前に薄い光の膜。守りの膜。
さっきまで無かったはずの——“味方の魔法”。
「やっと届いたぁぁ!!」
聞き慣れた、酔っぱらいの声。
「守る! 守る守る守る! だってわたし、勇者パーティのヒーラーなんだからぁぁ!!」
「僧侶……!?」
白髪の僧侶が杖を振り上げる。
光が広がる。倒れている騎士たち全員に、薄い膜が張られる。
「酔ってても詠唱はできるから! むしろ酔ってた方が声出るわ!!」
次の瞬間、空から炎の弾幕が降った。
森から出てくるモンスターの群れがまとめて焼ける。焦げた匂いが一気に濃くなる。
「ちょっと! なにわたくし抜きでかっこいいことやってるんですの!!」
城壁の上。
桃髪ツインテの魔法使いが、息を切らしながらも詠唱を続けていた。巨大な魔法陣が展開され、炎弾の雨を降らせ続ける。
「あなたさま、死んだら承知しませんわよ!!」
——いる。来た。
でも、どうして。いつ。
答えは、重い足音で来た。
ガシャン、と鎧が擦れる音。
赤髪の太い三つ編み、高身長の戦士が、斧を担いで立っていた。
それはもう、菓子の粉まみれの斧じゃない。
血と土の匂いをまとった、戦士の斧だ。
「……君。立て」
戦士はそう言って手を差し出した。
守る対象への心配じゃない。同じ戦う者への確認。——“戦える身体か”という確認。
遊び人は、その手を取った。
「……もちろん」
戦士が持ち前の腕力で引き上げる。
その瞬間、横から小さな影が跳んだ。
「何度言えば分かる」
黒髪短髪の小さな武闘家。
包帯を拳に巻きながら、空中で一回転して——ドンブランの顔面に踵を叩き込んだ。
ドンブランがよろめく。
よろめいた“だけ”だ。
「小癪な——」
四つの腕が同時に動く。
斧が武闘家を叩き落とそうとした、その瞬間。
戦士の斧が横から差し込む。
ガキン、と金属が噛み合い、火花が散る。
「私の相手をしてもらう」
声が、甘ったるい菓子みたいじゃない。
張りのある、戦士の声だ。
そして——鈴の音。
チリン、チリン。
布がほどかれた鈴が、戦場で鳴る。
水色のボブの踊り子が、城門の前に立っていた。
その後ろには町民たち。包丁、鍬、棒。武器になりそうなものを握って、怯えながらも立っている。
踊り子は深く息を吸った。
震えている。足も、指も。怖いのは分かる。
それでも、口を開いた。
「聞け! これは王国の闘い! つまり国民……うちらの闘いや!!」
声が、戦場に通った。
自信を失っていた声じゃない。鈴みたいに澄んだ声だ。
「守りたいものは己が手で守るんや! うちらは——うちら勇者パーティは、必ず前を押さえる! せやから君らは、この国を守れ!!」
啖呵を合図に町民が走り出す。
僧侶の回復魔法が、地面に倒れた騎士たちを一気に癒していく。
騎士たちも立ち上がる。
「俺たちも……守りたいんだ……!」
戦場が、息を吹き返す。
遊び人は——胸の奥で何かが燃えるのを感じた。
怖い。
怖いのに。
ひとりじゃない。
「……そっか」
遊び人は剣を握り直した。
指が震えているのが分かる。震えたままでも立てる。今は。
「勇者パーティって、勇者が率いるパーティじゃない」
ドンブランが赤い目を細める。
「戯言を」
「戯言じゃない」
遊び人は周りを見る。
僧侶は酔いながらも詠唱してる。
戦士は斧を構えてる。
武闘家は小さな体で前に出る。
魔法使いは城壁の上で喉を枯らしてる。
踊り子は鈴を鳴らして町を動かしてる。
——怖い顔が並んでいる。泣きそうな顔もある。震えてるのもいる。
それでも誰も下がらない。
「守るために立つやつが集まったら、それが勇者パーティなんだ!!」
その瞬間、僧侶が叫んだ。
「支援、全部乗せ!!」
「え、ちょ、全部!?」
「全部だよ! 今しかないでしょ!!」
眩い光が遊び人の身体に重なる。
筋力増強。速度増強。耐久増強。器用増強。反射増強。
普通の僧侶が出来ない密度の支援。——酔ってるのに、なんでこんな時だけ完璧なんだ。
魔法使いの声が重なる。
「きようさの補正! 剣筋の収束! ——あなたさま、いけますの!!」
踊り子の鈴が鳴る。
その音が、鼓動と重なる。
戦士が低く言った。
「行け」
武闘家が短く言う。
「やれ」
町民と騎士の声が背中を押す。
戦場にいる全員の願いが、ひとつに重なる。
「——遊び人!!」
遊び人は息を吸った。
ずっと後ろから見てきた。勇者の背中で覚えた。
でもこれは勇者“ひとり”の剣じゃない。
守るために立った全員の、剣だ。
「勇者乃剣!!」
一閃。虹色の光が森までを裂いた。
木が折れる。地面が焦げる。モンスターが焼け落ちる。
ドンブランの鎧に横一文字の光が走り、甲冑が悲鳴を上げて砕けた。
「ば、かな……」
灰になりながら、ドンブランの赤い目が見開かれる。
「……それは、勇者だけの——」
「違う」
遊び人は剣を下ろし、息を吐いた。喉が痛い。体が痛い。全部痛い。
でも、心だけが軽い。
「ここにいるみんなが、立ったからできたんだよ」
ドンブランは灰のまま風に散った。
◆
戦いの後。
宿屋の朝。
木枠の窓から光が差し込んで、酒場のテーブルを斜めに照らす。
遊び人はエールを飲んで、ため息をついた。
「……えへへ……やっぱ、だらっとした生活のほうが好きかも」
「反省してない」
遊び人が僧侶をじとっと見た。白髪の先が寝癖で跳ねている。
「してるよ。ちょっとだけ」
戦士が皿を置いた。
星型のクッキーが並んでいる。赤髪三つ編みの顔は相変わらず無表情だが、耳だけが微妙に赤い。
「……焼きたてだ。食べろ」
「やったあ! 今日もかわいい!」
「言うな!」
踊り子が鈴を鳴らして笑う。
水色のボブが揺れて、その音が今は怖くないみたいに響いた。
「なあ遊び人。うち、まだたまに落ち込むけど……その、前よりはマシや」
「マシなら勝ちでしょ! どんなに良くなろうと、常に求めるのが人間だもん」
武闘家が帳面をめくりながら言う。
「次は怪我を減らせ。おまえら、治療費がかさむ」
「現実的!」
魔法使いが優雅に座り、扇で口元を隠す。
「みなさま。隣国から手紙ですわ」
カウンターのフィオナが、申し訳なさそうに封蝋の手紙を差し出した。
目の下に少しだけ疲れがある。でも、笑い方は以前より上手くなっている。
「その……皆さんの活躍が、隣国まで伝わったみたいで……」
手紙を開く。水の都。王直々の依頼。モンスター討伐。
——“宿屋組”へ。
遊び人は目を細めて笑った。
「……また、のんびりが邪魔されるね」
僧侶が拳を上げる。
「よし乾杯しよ! わたし、今日だけは“勝利の乾杯”って言ってあげる!」
「今日だけって言い方!」
戦士が斧を担ぐ。
「行くぞ」
武闘家が立ち上がる。
「準備しろ」
魔法使いが顎を上げる。
「わたくしの研究成果、見せて差し上げますわ」
踊り子が鈴を鳴らす。
「うち、背中押したる」
フィオナが小さく頭を下げた。
「……行ってらっしゃいませ。帰ってくる場所、ちゃんと空けておきます」
宿屋は、捨て場じゃなかった。
ここは、帰ってくる場所だ。立ち上がる場所だ。
「行ってきます!」
その声に、みんなが笑った。
——そして今日もまた、
“宿屋送り”の勇者パーティは、世界を救う。




