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勇者パーティから戦力外通告された遊び人、宿屋に捨てられたはずが気づいたら“街の英雄”になりました。

作者: まぴ56
掲載日:2026/02/05

 戦場の夜は、火があっても寒い。

 焦げた草の匂いと、血の鉄臭さが混ざって、息を吸うたび喉の奥がざらつく。


 焚き火の橙が、勇者の顔を半分だけ照らしていた。もう半分は影だ。

 影のほうが似合う顔をしている。勝っても笑わない、負けなくても喜ばない——そんな顔。


 焚き火の向こう側で、遊び人の金髪が揺れた。

 腰まで伸びたロングの髪が火の光を拾って、蜂蜜みたいに光る。本人は軽く笑ったつもりだった。いつも通りに。いつも通りにできるはずだった。


「……遊び人。ここまでだ」


 言葉は静かだった。静かすぎて、火のはぜる音のほうが大きく聞こえる。


「え? なにが?」


 軽く返したつもりだったのに、声が少しだけ上ずった。

 笑って流すはずだった。いつもみたいに。


 隣でバトルマスターが武器を拭いている。剣、槍、斧、短剣。どれを握っても手が迷わない。近接の最強職——いや、近接という枠すら狭い。武器という武器を使いこなす、戦の天才。


 賢者は杖を鳴らした。魔力の残り香が雪みたいにふわりと散る。

 回復も、攻撃も、支援も、ほとんど全部を一人でやってのける最強魔術職。——そして、遊び人が本来座るはずだった席を奪った人。


「明日からの布陣は、わたくしが支えます。回復も、支援も、殲滅も——最適化できます」


 賢者の声は落ち着いている。

 正しい。正しいから、逃げ道がない。


「つまり、あたしは……いらないってこと?」


 言い方だけ軽くした。軽くしないと、ここで崩れる気がした。


 勇者は、ようやくこちらを見た。

 その目が、ひどく疲れているのが分かった。——責任と恐怖を、ずっと飲み続けている目だ。


「生き残るためだ。……お前を嫌いになったわけじゃない」


「優しい言い方しても、同じじゃん!」


 喉が熱い。笑ってるのか、泣きそうなのか、自分でも分からない。


 そのとき、盗賊が遊び人の袖を掴んだ。

 強く握っているのに、指先が冷たい。戦場で鍛えられた手なのに、やけに震えて見えた。


「……盗賊」


 たったそれだけで胸が詰まった。


「大丈夫だから。そんな顔しないで」


 遊び人は袖を引いて、盗賊の額を指で軽く弾いた。笑い方だけ、いつも通りにしてみせる。


「宿屋でしょ? 預ける場所。預けたら、また引き出す。——ほら、簡単」


 盗賊は唇を噛んで、視線を落とした。


「……絶対、戻るよね」


「戻るよ。呼ばれたら、すぐに戻ってくる」


 口が勝手に言う。

 言ってしまえば、本当にそうなる気がしたから。


 勇者は火に薪を足した。ぱち、と火が弾ける。


「宿屋の場所は伝えてある。必要になったら呼ぶ。……それまで休め」


「休めって……」


 言い返そうとして、やめた。

 言い返したら、ここで全部終わってしまう気がした。


 遊び人は荷物を背負い直して、焚き火の輪から一歩外へ出た。

 背中が冷える。火の温度が、いきなり他人事になったみたいに遠い。


     ◆


 宿屋は王都の外れにあった。

 門をくぐって数本、石畳の通りを曲がったところ。町の喧騒が薄まり、かわりに酒と汗と諦めが混ざった匂いが濃くなる。


「いらっしゃいませ!」


 カウンターの向こうの少女が、背伸びしてこちらを見上げた。

 小さな手で帳面を押さえ、目だけがやけにまっすぐだ。


 栗色の髪をきちんとまとめ、袖をまくった腕には働き者の細い筋が浮いている。年齢はまだ十代半ばだろう。なのに宿の空気の“主”みたいに見えた。


「……勇者さまの、仲間の方ですか?」


「そ。今日からここ」


 少女は一瞬だけ、唇を結んだ。笑顔が止まり、それから慌てたみたいに戻る。


「フィオナと申します。……お部屋、空いてますよ! えっと、ここは、その……ちゃんと宿屋なので。寝て、食べて——」


「うん。ありがと」


 鍵を受け取って振り返った瞬間、酒場のほうから大声が飛んできた。


「ぷはぁっ!! 人生終わったぁぁぁ!!」


 見覚えのある顔。

 テーブルに突っ伏した僧侶が杯を振り回している。白髪が乱れ、頬は赤い。首の聖印がエールの泡で濡れて光っていた。


「……僧侶さん?」


「さん付けやめろって何度言えば覚えんのよ、あんた! 敬称付けられれば現実が回復するの!? 回復しないよね!? じゃあ飲む! わたしは飲む! お酒こそが全人類のヒーラーなのよ!!」


「いや、ヒーラーは僧侶でしょ……」


「ヒーラーが回復される側になった時点で世界は終わってんの! わたしの尊厳返して! あと金貨も! それとエールおかわりぃ!!」


 叫んで笑って、また叫んで。

 でも目だけが笑っていない。——“最初に宿屋送りにされた者”の目だ。


 作業台のほうでは、戦士が粉をふるっていた。

 高身長の体は鎧の名残みたいに真っ直ぐで、赤髪を太い三つ編みにして背中へ流している。


 壁に掛けられた大きな斧。刃の部分に、なぜか生地がべったり付いている。


「……戦士。斧、どうしたの」


 戦士が振り返る。姿勢が無駄に良い。声も無駄に格好いい。


「これは斧であり、料理道具だ」


「……り、料理道具」


「食を支えるのも戦いだ。斧は戦いの道具。つまり料理道具にもなりうる」


「物凄い暴論を言い張ったな……」


「言うな」


 短く、強い。

 なのに作業台の端に、小さな星型の型抜きが置いてあるのを遊び人は見逃さなかった。


 奥の席。踊り子が膝を抱えて、床の木目を見ている。

 細い体が椅子に沈み、水色のボブが頬にかかる。足首の鈴は布で巻かれて鳴らない。


「踊り子ちゃん、久しぶり。元気にしてた?」


「……うちに話しかけんといて。あんさん、うち見たら運落ちる」


「落ちないって。踊り子ちゃんといると元気になれるし!」


「落ちる。うち、役立たずやもん。笑わせるために来たのに……笑われて終わった。もう、踊れへん」


 言葉が重くて、吐いた息まで沈む。


 さらに奥。武闘家が薬草をすり潰していた。

 黒髪短髪の、小さな少女。机の上に整然と並ぶ瓶、包帯、針。手つきだけが異様に落ち着いている。


「立ってても良いが、邪魔はするな」


「う、うん。その、お久しぶり——」


「手」


「え?」


「手を見せろ。震えてるな。寝不足と冷え。……そのままだと倒れるぞ」


「いきなり診察!?」


「倒れられると面倒だ。自己管理はしろ。ここにいるやつ、だれ一人として、できてはいないがな」


 面倒、と言いながら、包帯の巻き方は丁寧だった。


 扉が開いて、冷たい夜気と一緒に、香水みたいな匂いが入り込む。


「武闘家さま! その資料、勝手に持ち出してはなりませんわ!」


 魔法使いが山のような書類を抱えて入ってくる。

 桃色の髪をツインテールに結い、背筋は真っ直ぐ。声は高貴。……なのに、段差でちょっとよろけた。


「ちょ、魔法使い大丈夫?」


 遊び人が支えると、魔法使いは顔を赤くして顎を上げる。


「だ、大丈夫ですわ。わたくし、淑女ですの。転びませんの」


「転びかけてたから……」


「見なかったことにしてくださいませ! 遊び人さんは昔からいけずですわ!」


 酒場を見回す。

 武器がない。鎧がない。戦いの匂いがしない。


 あるのは、酒と甘い匂いと、巻かれた鈴と、薬草と、書類の山。


「……前線に戻った人、いないの?」


 僧侶が杯を机に叩きつけた。

 こぼれた泡が木の染みに吸い込まれていく。


「いないわよ。ひとりも。わたしが最初で、わたしが最後」


 言い切って、僧侶は笑った。笑ってから、急に真顔になる。


「……あんたもね、すぐ分かるわよ。ここは“預ける”場所じゃない。“捨てる”場所だってこと」


 胸の奥が、きしんだ。


「そ、そんなわけないって!」


 遊び人は笑って見せた。

 笑わないと、この空気に飲まれる気がした。


「呼ばれるよ。だって、あたしは……ずっと一緒に——」


 言いかけて、止まる。

 ここで勇者の名前を出したら、何かが壊れる気がしたから。


 盗賊はいない。

 勇者もいない。

 焚き火の輪は、ここにはない。


     ◆


 数日。数週間。

 宿屋の窓から朝日が差し込んでも、勇者からの伝令は来なかった。


 僧侶は毎朝「今日は呼ばれる気がする!」と言って飲み始め、昼には「やっぱダメだった!」と言って大泣きしながら寝る。

 戦士は「これは戦闘訓練だ」と言い張りながら、クッキーを焼く。

 踊り子は鈴を巻いたまま、噴水の音だけを聞きに行く。

 武闘家は診療所へ行き、夜に宿屋へ戻って薬草の匂いを連れてくる。

 魔法使いは研究所に通い、帰るたび書類が増える。

 フィオナは朝から晩まで帳面とにらめっこをして、背伸びするみたいに必死で宿を回していた。


 遊び人は——最初、内心で見下していた。


 どうして戦わないの。

 どうして諦めるの。

 呼ばれたらすぐ行けるように、待ってるべきじゃないの。


 そう思っていたのに。


 夜になると胸の奥が空っぽになる。

 みんなが寝静まって、僧侶の寝言が聞こえて、廊下の木がきしんで、窓の外で風が鳴く。


 その暗がりの中で、遊び人はひとり、考える。


 呼ばれない。

 必要じゃない。

 ここにいるのは、ただの“余り”だ。


 ——そんなの、認められるわけがない。


     ◆


 ある朝、遊び人は宿屋を出た。

 誰にも言わなかった。言ったら止められる気がしたから。止められたら、戻れなくなる気がしたから。


 国境へ続く街道。

 王都の石畳が土に変わり、畑が途切れ、草原が広がる。


 風が強い。

 草が波みたいに揺れて、その間から“それ”が湧く。


 牙。爪。腐臭。

 モンスターだ。


「……来なよ」


 遊び人はブーメランを握り直す。

 勇者がくれたもの。軽い木の柄。刃は小さく、戦士の斧みたいな説得力はない。バトルマスターの剣みたいな威圧もない。


 それでも——手に馴染んでいる。


 投げる。

 回転。

 斬る。

 戻る。


 ブーメランが戻るたび、手首に衝撃が返ってくる。

 痛い。地味に痛い。じわじわ痛い。


 でも、やめられない。


 夜が明けてもモンスターは湧いた。

 昼が過ぎてもモンスターは湧いた。

 夕日が落ちてもモンスターは湧いた。


 三日三晩、眠らずに戦った。


 視界が霞む。

 毒の痺れが足を舐める。

 熱が出て、寒気がして、胃がひっくり返る。


「……っ、まだ……!」


 投げる。戻る。投げる。戻る。

 ふらつく。転ぶ。立つ。


 足元の死体が増える。

 自分の血も増える。


 ——あたし、ほんとに戦える職じゃないんだな。

 今さらそんな当たり前が、笑えない。


 そのとき、遠くで悲鳴がした。


 草の波の向こう、荷車が横倒しになっている。

 そのそばで、小さな影が逃げ惑っていた。


 栗色の髪。

 袖をまくった腕。

 目だけがまっすぐな——


「……フィオナ!?」


 宿屋のオーナー、フィオナだ。

 どうしてこんなところに。仕入れか。薬草か。薪か。分からない。


 分からないけど、身体が勝手に動いた。


 遊び人は走る。

 足の速さには自信があった。今までずっと嫌なことから逃げ続けた人生だったから。——でも、今日は逃げ足じゃない。


 守るための速さだ。


 ブーメランを投げる。

 追っていた狼型のモンスターの喉が裂ける。

 次が来る。次も来る。


「フィオナ、こっち!」


「っ……!」


 フィオナが駆け寄る。だが足がもつれる。

 その背後から、爬虫類の巨体が跳んだ。


「——っ!」


 遊び人は身体ごとフィオナを抱えて転がり、間一髪で噛みつきを避けた。

 避けた、はずだった。


 次の瞬間、視界が裏返る。


 モンスターの尾が、遊び人の腹を叩き潰した。


 息が抜ける。

 声が出ない。

 内側がぐちゃりと沈む感覚。


 それでも、遊び人は笑おうとした。

 いつもみたいに、軽く。


「……だい、じょ——」


 言葉にならない。

 視界が黒くなる。


 フィオナが必死に遊び人の腕を掴んだ。

 手が細くて、震えている。


「や、やだ……! 起きて……! お願い……!」


 ここで倒れたら、呼ばれた時に戻れない。

 ——でも。


 黒が全部を飲み込んだ。


     ◆


 目を開けると、天井があった。

 木の梁。白い布。ほのかに薬草の匂い。


「ようやく起きたか」


 枕元に武闘家が座っていた。

 黒髪短髪の小さな少女が、椅子を引き寄せて腕を組んでいる。


「……ここ……」


「宿屋。おまえ、丸二日寝てた」


「二日も!?」


 跳ね起きようとして、頭がくらっとした。

 武闘家が額を指で押さえて戻す。


「寝てろ。まだふらつく」


「……なんで、助かったの」


「僧侶の回復だ。……あと、知らせが来た」


「知らせ?」


 武闘家が顎で扉のほうを示す。


 ガタン、と音がして扉が開いた。

 飛び込んできたのはフィオナだった。息が切れている。目が赤い。胸に手を当てているのに、笑おうとして失敗する。


「……よかった……! ほんとに、よかった……!」


 その後ろから、僧侶が入ってくる。目の下にクマ。なのに杯を持っている。


「起きた! 起きたじゃん! あんた、馬鹿! ほんと馬鹿! あんたのせいでわたし二日間飲む暇なかったんだからね!?」


「最後のそれ、怒るところそこ!?」


 続いて、戦士が入ってくる。焼き菓子の包みを抱えている。

 赤髪の太い三つ編みが揺れもせず背に落ちていた。静かな足音が、逆に怖い。


 戦士の影に踊り子がいた。細い体を縮めるみたいに、布で巻いた鈴を握っている。

 魔法使いも息を切らしていた。桃色のツインテールが少し乱れている。


「遊び人さま! 勝手にいなくなるなんて——!」


「もしかして怒ってる?」


「当たり前ですわ!」


 戦士が包みを差し出した。


「……食べろ」


「……みんな、助けに来てくれたの?」


 聞いた瞬間、胸が締まった。

 返事が怖かった。


 僧侶が椅子を蹴って座り、テーブルを指で叩く。


「当たり前でしょ!? 放っとけるわけないじゃん! あんたが居なくなったら、誰がわたしの愚痴を聞くの!? 誰が戦士をからかうの!? 誰が踊り子の背中押すの!? 誰がわたしのゲロ掃除すんの!? ねえ!?」


「僧侶の愚痴がメインになってない?」


「そうに決まってんじゃない! 皆に迷惑かけていいけど! わたしには迷惑かけないでよ!」


 戦士が咳払いする。


「……騒ぐな」


 魔法使いが唇を噛む。


「……あなたさまがいない二日間、宿屋が……静かすぎましたの」


 踊り子が小さく言う。


「……あんさん、帰ってこないか思って、うち……怖かった」


 その一言で、遊び人の中の何かが決壊した。

 笑って誤魔化せない。喉が勝手に泣き声になる。


「……こわかった……!」


 声が出た。ずっと言わなかった言葉。

 ずっと“明るい遊び人”でいるために、飲み込んできた言葉。


「こわいよ。置いていかれるのも、役立たずって言われるのも、みんなが死ぬのも……!」


 息が詰まって、泣いて、泣いて、笑ってしまった。


 武闘家が呆れたみたいにため息をつく。


「遅い」


「うるさいなあ……」


「遅いけど、言えたならいい」


 僧侶が目尻を拭って、鼻を鳴らした。


「……ほら、飲む? 泣いた後の酒、うまいよ」


「僧侶、結局それ!?」


「結局これよ! 酒は皆のヒーラーなの!!」


 戦士が小さく笑った。見間違いじゃない。

 踊り子が布を少しだけ緩める。鈴が小さく鳴った。


 それは、泣き声より弱くて、でも確かに“生きてる音”だった。


     ◆


 そこから先、宿屋は少しずつ変わった。


 遊び人は僧侶と飲んで、馬鹿騒ぎして、翌朝頭を抱えて、また笑う。

 戦士と一緒に菓子を作って、孤児院に届けて、子どもに囲まれて逃げる戦士を見て笑う。

 武闘家の診療所では薬草を運び、泣く子の手を握って、痛いのが終わるまで一緒に歌う。

 魔法使いの研究所へ差し入れを持っていって、書類の山に埋もれた魔法使いを引き上げる。

 踊り子とは噴水前で、最初は立つだけ。次に手を動かすだけ。次に一歩だけ。鈴が鳴るたび、踊り子の表情が少しずつ戻っていく。


 気づけば、宿屋のテーブルはいつも埋まっていた。

 最初は宿屋の人間だけ。次に町の人が混ざり、兵士が混ざり、旅人が混ざる。


「おい、遊び人! 今日も噴水前やるんだろ!」


「やるやる! 踊り子ちゃん、行こ!」


「……しゃあないなぁ」


「おい僧侶、飲む前に踊れ!」


「わたしは飲んでから踊る! それが流儀なの!」


「酒飲む流儀ってなんだよ!?」


 笑い声が町に散っていった。

 それがいつのまにか、町の空気を少しだけ軽くした。


 ——このままでも、悪くない。

 そう思い始めた頃だった。


     ◆


 噴水前で、背中から呼び止められた。


「遊び人さん!」


 振り返るとフィオナがいた。

 いつもより顔色が悪い。息が浅い。手が震えている。


「城壁南部が……南部が危ないんです。お父さまが、騎士団長が……!」


 フィオナの声が震える。

 周りの町人たちが、どこかそわそわしているのに気づいた。いつもより人が少ない。騎士も少ない。空気が落ち着かない。


「城壁南部が魔王軍の猛攻を受けて、決壊寸前なんです! でも、みんなの混乱を避けるために、国はこのことを隠してて! でも、みんなうっすらと気づいてて……」


「……国王は隠してる。でも、みんな気づいてる。そういうこと?」


 フィオナは涙をこぼして頷いた。


「お願いです……! 助けてください……! お金なら——」


 小さな財布から金貨が覗いた瞬間、遊び人はフィオナの手をそっと押さえた。


「いらない」


「……え」


 遊び人はしゃがみ込んで目を合わせる。

 フィオナの瞳が揺れる。拒絶されたと勘違いしそうになる、その揺れ。


「依頼は受け取れない。……勇者パーティって、そういう決まりあるし」


 フィオナの顔が崩れかける。

 だから遊び人は、ぎゅっと彼女の手を握った。


「でもね。依頼じゃない。家族を助けるのに、金はいらない」


「……家族?」


「この町の人、みんな。あたしの家族みたいなもんだし」


 フィオナがきょとんとする。

 その顔が、あまりにも幼くて、守りたいと思ってしまった。


「結論。あたしは、あたしが助けたいから助けに行く。心配も金もいらない」


 遊び人はウインクして、親指を立てた。

 フィオナはバッと遊び人に抱きついた。安堵で、涙が溢れていた。


「……ありがとうございます……!」


 背中に小さな重み。

 それだけで胸が熱くなる。


 ——そして遊び人は、走り出した。


 振り返らない。

 仲間を呼ぶ時間もない。呼んだら止められる。止められたら、また“預けられる”気がした。


 逃げ足の速さじゃない。

 守るための速さで。


     ◆


 南へ向かう道は、いつもより静かだった。

 畑は荒れ、荷車が放り出され、鳥の鳴き声すら少ない。風が草を撫でる音だけが耳に残る。


 嫌な静けさだ。戦場の前の、呼吸の止まった静けさ。


 遠くに黒煙が見えた。

 焦げた匂いが風に混ざって来る。胸の奥が、ひゅっと冷える。


 歩幅が自然に速くなる。

 指が勝手にブーメランの柄を確かめる。軽い。頼りない。いつも通りの相棒なのに、今日は妙に心細い。


 それでも、行く。


     ◆


 前線は、地獄だった。


 折れた槍。潰れた盾。血に沈んだ草。

 モンスターの死体が散り、騎士の死体がその間に転がっている。


「……なにこれ……うそでしょ」


 喉の奥が冷える。

 それでも遠くでまだ戦っている影が見える。——人間だ。生きている。まだ、間に合う。


 今にも首を取られそうな兵士がいた。

 遊び人はブーメランを投げた。風を切って飛び、モンスターの首を刎ねる。


「助かった……!」


 兵士が振り返った、その瞬間。


 後ろから巨体が現れて、兵士の首が跳ねた。

 赤が噴き上がる。世界が一瞬、音を失った。


「……っ!」


 震えが背骨を這い上がった。

 何度見ても慣れない。慣れてはいけない。


 歩いてくる影がいる。


 四つ腕の骸骨騎士。漆黒の鎧。兜の隙間から赤い眼光。

 大剣、大斧、長槍、ハンマー。四つの武器が、それぞれ別の死に方を約束しているみたいに光る。


 魔王軍幹部、四つ腕の骸骨騎士——ドンブラン。


「……見覚えがあるな」


 声が骨の内側に響く。

 脂汗が頬を伝う。手が震えてブーメランが滑りそうになる。


「……そうか。勇者一行の雑魚か」


 悔しい。腹が立つ。

 なのに怖い。怖すぎて、膝が笑いそうになる。


 ——あの勇者が、負けた相手。

 バトルマスターでも、盗賊でも、届かなかった相手。


 視界が暗くなりかけた、その時。


「名乗れ! 魔王軍幹部!」


 倒れていた騎士が立ち上がった。

 荘厳な鎧。血まみれの剣。背中は折れそうなのに、声だけは折れていない。


「私は王国騎士団長! 国王のため、国民のため! ——そして、国で待つ娘のために! お前を止める!」


 フィオナの父。

 その言葉だけで胸がぎゅっと潰れた。


 ドンブランが興味深そうに首を傾げる。


「貴様のような雑魚に、何ができる」


 騎士団長は笑った。歯の隙間から血が滲む。


「何もできん。何もできん……が、それでも立つ! 怖くても、無様でも、負けても! ——俺の後ろには、守りたいものがある!」


 剣が振るわれる。

 黒い甲冑に弾かれた。


 宙を舞った団長の腹に、ドンブランの蹴りが突き刺さる。

 団長は地面を跳ねて転がり、動かなくなった。


 それを合図にしたみたいに、森の奥からぞろぞろとモンスターの群れが現れた。

 興味が失せたように、ドンブランが踵を返す。


「後は餌にくれてやる」


 ——置いていく。

 団長も、兵士も、町も。全部。


 その背中に、遊び人の身体が勝手に動いた。


 ブーメランを投げる。

 ただ投げるんじゃない。聖水を叩きつけたブーメランを。


 ガッ、と鎧の肩口が焼けた。

 ドンブランが振り返る。赤い目が見開かれる。


「……傷、だと?」


 遊び人の手には空の小瓶。

 今日の朝、街のシスターに押し付けられた聖水。


『お守りよ。あなた、無茶する顔してるもの』


 今になって、その声が刺さる。


 遊び人の足が動く。

 後ろじゃない。前へ。


 逃げない。

 勝てないと分かっていても、立つ。


 剣が振り下ろされる。斧が叩きつけられる。槍が貫こうとする。ハンマーが地面ごと砕く。

 遊び人は避けて、転んで、血を吐いて、それでも立った。


 ブーメランで殴る。切る。叩く。

 ほとんど効かない。効かないのに、やめられない。


「……っ、はあっ、はあっ……!」


 息が熱い。視界が滲む。

 団長が倒れている。まだ生きている。胸が上下している。


「……死なせない……!」


 ドンブランの赤い目が、苛立ちに染まった。


「薄汚い執念め」


 ハンマーが真正面から遊び人の腹をえぐった。


 骨が折れ、内臓が弾け、筋肉がちぎれる音が響く。

 と同時に、遊び人は吹き飛ばされた。


 何度も地面を跳ねて、ようやく止まった。

 彼女の手から離れたブーメランだけが、くるりと虚しく回転し、ころりと滑って——ドンブランの足元に残った。


 そこでドンブランの焦りがすっと消える。

 消えたのは焦りだけじゃない。胸の奥に刺さっていた違和感が、ようやく名前を持つ。


 ——この弱者を、俺は怖れていた。


「……貴様を侮っていた。だが、今は違う」


 腐っても騎士。

 そう言い聞かせるみたいに、ドンブランは右腕の大剣を掲げた。介錯でもするつもりなのか、刃が夜の天を指す。


「弱者の勇気に——敬意を示そう」


 一歩。二歩。

 ブーメランを踏み越え、倒れ伏す遊び人へ近づく。


 大剣が大きく振りかぶられ——振り下ろされた。


 ——ガキンッ!


 金属が嚙み合う爆音とともに、赤い砂煙が舞い上がった。


 砂煙の向こうで、遊び人は立っていた。

 近くの騎士の剣を拾い、大剣を受け止めていた。肩が震える。全身の傷が開いて血を吹く。


 なのに、口が動いた。


「ふざけんな……敬意とか、かっこつけんな……!」


 涙なのか汗なのか分からないものが頬を伝う。


「怖いよ! 怖くて怖くて怖くて、逃げたい! 勇気なんてない! ——でも!」


 剣を押し返して、よろめきながら立ち直る。

 足元に倒れた団長を見る。


「……あたしは、バトルマスターみたいに世界一強くない! 賢者みたいに世界一賢くない! 盗賊みたいに勇者を世界一愛してるわけでもない! 勇者みたいに世界一勇敢じゃない!」


 喉が痛い。声が枯れる。


「——でも、世界で一番、みんなが大好きなのは、あたしだ!! だから……!」


 ドンブランが斧を振り下ろした。

 ——その刃が、透明な壁に弾かれた。


「なに——」


 遊び人の目の前に薄い光の膜。守りの膜。

 さっきまで無かったはずの——“味方の魔法”。


「やっと届いたぁぁ!!」


 聞き慣れた、酔っぱらいの声。


「守る! 守る守る守る! だってわたし、勇者パーティのヒーラーなんだからぁぁ!!」


「僧侶……!?」


 白髪の僧侶が杖を振り上げる。

 光が広がる。倒れている騎士たち全員に、薄い膜が張られる。


「酔ってても詠唱はできるから! むしろ酔ってた方が声出るわ!!」


 次の瞬間、空から炎の弾幕が降った。

 森から出てくるモンスターの群れがまとめて焼ける。焦げた匂いが一気に濃くなる。


「ちょっと! なにわたくし抜きでかっこいいことやってるんですの!!」


 城壁の上。

 桃髪ツインテの魔法使いが、息を切らしながらも詠唱を続けていた。巨大な魔法陣が展開され、炎弾の雨を降らせ続ける。


「あなたさま、死んだら承知しませんわよ!!」


 ——いる。来た。

 でも、どうして。いつ。


 答えは、重い足音で来た。


 ガシャン、と鎧が擦れる音。

 赤髪の太い三つ編み、高身長の戦士が、斧を担いで立っていた。


 それはもう、菓子の粉まみれの斧じゃない。

 血と土の匂いをまとった、戦士の斧だ。


「……君。立て」


 戦士はそう言って手を差し出した。

 守る対象への心配じゃない。同じ戦う者への確認。——“戦える身体か”という確認。


 遊び人は、その手を取った。


「……もちろん」


 戦士が持ち前の腕力で引き上げる。

 その瞬間、横から小さな影が跳んだ。


「何度言えば分かる」


 黒髪短髪の小さな武闘家。

 包帯を拳に巻きながら、空中で一回転して——ドンブランの顔面に踵を叩き込んだ。


 ドンブランがよろめく。

 よろめいた“だけ”だ。


「小癪な——」


 四つの腕が同時に動く。

 斧が武闘家を叩き落とそうとした、その瞬間。


 戦士の斧が横から差し込む。

 ガキン、と金属が噛み合い、火花が散る。


「私の相手をしてもらう」


 声が、甘ったるい菓子みたいじゃない。

 張りのある、戦士の声だ。


 そして——鈴の音。


 チリン、チリン。

 布がほどかれた鈴が、戦場で鳴る。


 水色のボブの踊り子が、城門の前に立っていた。

 その後ろには町民たち。包丁、鍬、棒。武器になりそうなものを握って、怯えながらも立っている。


 踊り子は深く息を吸った。

 震えている。足も、指も。怖いのは分かる。


 それでも、口を開いた。


「聞け! これは王国の闘い! つまり国民……うちらの闘いや!!」


 声が、戦場に通った。

 自信を失っていた声じゃない。鈴みたいに澄んだ声だ。


「守りたいものは己が手で守るんや! うちらは——うちら勇者パーティは、必ず前を押さえる! せやから君らは、この国を守れ!!」


 啖呵を合図に町民が走り出す。

 僧侶の回復魔法が、地面に倒れた騎士たちを一気に癒していく。

 騎士たちも立ち上がる。


「俺たちも……守りたいんだ……!」


 戦場が、息を吹き返す。


 遊び人は——胸の奥で何かが燃えるのを感じた。


 怖い。

 怖いのに。

 ひとりじゃない。


「……そっか」


 遊び人は剣を握り直した。

 指が震えているのが分かる。震えたままでも立てる。今は。


「勇者パーティって、勇者が率いるパーティじゃない」


 ドンブランが赤い目を細める。


「戯言を」


「戯言じゃない」


 遊び人は周りを見る。

 僧侶は酔いながらも詠唱してる。

 戦士は斧を構えてる。

 武闘家は小さな体で前に出る。

 魔法使いは城壁の上で喉を枯らしてる。

 踊り子は鈴を鳴らして町を動かしてる。


 ——怖い顔が並んでいる。泣きそうな顔もある。震えてるのもいる。

 それでも誰も下がらない。


「守るために立つやつが集まったら、それが勇者パーティなんだ!!」


 その瞬間、僧侶が叫んだ。


「支援、全部乗せ!!」


「え、ちょ、全部!?」


「全部だよ! 今しかないでしょ!!」


 眩い光が遊び人の身体に重なる。

 筋力増強。速度増強。耐久増強。器用増強。反射増強。

 普通の僧侶が出来ない密度の支援。——酔ってるのに、なんでこんな時だけ完璧なんだ。


 魔法使いの声が重なる。


「きようさの補正! 剣筋の収束! ——あなたさま、いけますの!!」


 踊り子の鈴が鳴る。

 その音が、鼓動と重なる。


 戦士が低く言った。


「行け」


 武闘家が短く言う。


「やれ」


 町民と騎士の声が背中を押す。

 戦場にいる全員の願いが、ひとつに重なる。


「——遊び人!!」


 遊び人は息を吸った。

 ずっと後ろから見てきた。勇者の背中で覚えた。


 でもこれは勇者“ひとり”の剣じゃない。

 守るために立った全員の、剣だ。


勇者乃剣ブレイブラッシュ!!」


 一閃。虹色の光が森までを裂いた。

 木が折れる。地面が焦げる。モンスターが焼け落ちる。


 ドンブランの鎧に横一文字の光が走り、甲冑が悲鳴を上げて砕けた。


「ば、かな……」


 灰になりながら、ドンブランの赤い目が見開かれる。


「……それは、勇者だけの——」


「違う」


 遊び人は剣を下ろし、息を吐いた。喉が痛い。体が痛い。全部痛い。

 でも、心だけが軽い。


「ここにいるみんなが、立ったからできたんだよ」


 ドンブランは灰のまま風に散った。


     ◆


 戦いの後。

 宿屋の朝。


 木枠の窓から光が差し込んで、酒場のテーブルを斜めに照らす。

 遊び人はエールを飲んで、ため息をついた。


「……えへへ……やっぱ、だらっとした生活のほうが好きかも」


「反省してない」


 遊び人が僧侶をじとっと見た。白髪の先が寝癖で跳ねている。


「してるよ。ちょっとだけ」


 戦士が皿を置いた。

 星型のクッキーが並んでいる。赤髪三つ編みの顔は相変わらず無表情だが、耳だけが微妙に赤い。


「……焼きたてだ。食べろ」


「やったあ! 今日もかわいい!」


「言うな!」


 踊り子が鈴を鳴らして笑う。

 水色のボブが揺れて、その音が今は怖くないみたいに響いた。


「なあ遊び人。うち、まだたまに落ち込むけど……その、前よりはマシや」


「マシなら勝ちでしょ! どんなに良くなろうと、常に求めるのが人間だもん」


 武闘家が帳面をめくりながら言う。


「次は怪我を減らせ。おまえら、治療費がかさむ」


「現実的!」


 魔法使いが優雅に座り、扇で口元を隠す。


「みなさま。隣国から手紙ですわ」


 カウンターのフィオナが、申し訳なさそうに封蝋の手紙を差し出した。

 目の下に少しだけ疲れがある。でも、笑い方は以前より上手くなっている。


「その……皆さんの活躍が、隣国まで伝わったみたいで……」


 手紙を開く。水の都。王直々の依頼。モンスター討伐。

 ——“宿屋組”へ。


 遊び人は目を細めて笑った。


「……また、のんびりが邪魔されるね」


 僧侶が拳を上げる。


「よし乾杯しよ! わたし、今日だけは“勝利の乾杯”って言ってあげる!」


「今日だけって言い方!」


 戦士が斧を担ぐ。


「行くぞ」


 武闘家が立ち上がる。


「準備しろ」


 魔法使いが顎を上げる。


「わたくしの研究成果、見せて差し上げますわ」


 踊り子が鈴を鳴らす。


「うち、背中押したる」


 フィオナが小さく頭を下げた。


「……行ってらっしゃいませ。帰ってくる場所、ちゃんと空けておきます」


 宿屋は、捨て場じゃなかった。

 ここは、帰ってくる場所だ。立ち上がる場所だ。


「行ってきます!」


 その声に、みんなが笑った。


 ——そして今日もまた、

 “宿屋送り”の勇者パーティは、世界を救う。

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