サムシング・フォー #1-4
蒼鋼を求めたマリックが国へ到着したのは、ミアと別れてから七日が過ぎたころだった。
道中は砂と空、時折現れるオアシスしかない。目的地までの旅路はマリックにとって今までにないほどの退屈と孤独を与えた。行程の半分にも満たないあたりで投げ出し、国へと帰りたくなってしまったほどである。
なんとか耐えられたのは、純真なマリックが持ちえる未知なるものへの興味関心とミアへの思いが少々、自分自身のプライドが少々。そして、彼に仕える従順で聡明な者たちのおかげであった。
出来るだけ速く馬や駱駝を走らせた者、マリックを退屈させまいと下手な踊りを踊ったりカードやチェスで楽しませたりと娯楽を与えた者、砂漠の真ん中でも王宮と同じ食事を作った者、水や食料やあらゆる雑貨を持つ者。つまり、同行した従者全員に功労賞が贈られてしかるべきだと後に語られるほどの旅路であった。
かつて蒼鋼により栄えていたという国の門前に下ろされたマリックはそんな従者たちの努力など当然知る由もなく、しかし、彼らがいなければ自分はどうなっていただろうかと思いを馳せられる程度にはなっていた。マリックは珍しく彼なりの不器用さで従者らにぼそぼそと「旅も悪くなかったな」などと労いともつかぬ感想を述べた。
マリックは慣れない感謝から来る気恥ずかしさをごまかすように国の門戸を叩く。が、白と淡黄色の砂を塗り固めてできた大きな門はノックの音を簡単に吸収してしまう。
「おい! 誰かいないのか! 誰か! 俺はサラハの王子、マリック・ル・サーラであるぞ!」
マリックが大声をあげると、門の向こうからかすかな物音が聞こえた。砂を削るようなザリリとした足音である。
「おい! いるなら門を開けよ!」
しびれを切らしたマリックが言いながら門を思い切り蹴りつけると、呼応するように門戸が開いた。
マリックの前に姿を現したのは、骨と皮ばかりの白髪の老婆であった。くぼんだ目は濁っており、驚きで開かれた口元から歯が何本もなくなっているのが見えた。老婆の面持ちには希望と絶望がちょうど半分ずつ同居している。
「国の主に謁見したい」
マリックは気色の悪い老婆の姿を出来るだけ視界に入れぬよう努め、奥に広がる集落へと意識を向ける。
門の奥には風化した家々がポツポツと並んでいた。次いで、ミアの話に登場した広場らしき場所が目に留まり、たしかにここがあの物語と地続きであるとようやく実感できた。もちろん、物語のような祭りの賑やかさはない。どころかみすぼらしい老人や小さな子供が数えるほどいるだけだ。みな、外からの来訪者がよほど珍しいのかマリックたち一行をしげしげと見つめていた。誰も彼もが老婆と同じ、希望と絶望を半分ずつにしたような顔つきだ。光の宿らぬ瞳で見つめられるとさすがのマリックも居心地が悪くなる。
豊かなサラハとは違うと分かる。残酷な現実はマリックの心を揺らした。
突然訪ねてきて「国の主を」などと無礼極まりないマリックを上から下まで値踏みした老婆は、その身なりに納得をしたのか文句ひとつ言わずに歩き出した。ついて来いと言うようにマリックを振り返り、うやうやしくこうべを垂れる。
マリックは従者を何人か引き連れ、老婆の後をついて歩いた。道中、倒壊した家やほとんど死体と変わらぬ人々を見て目をつぶりたくなる。花はもちろん緑すらなく、永遠に砂色が続く。風にボロ布が舞い、それすらも惜しそうに見つめる老婆の横顔に痛みを覚えた。
マリックが通されたのはかつて城であった場所だった。栄華を極めた名残が白い大理石の柱からうかがえ、重厚な造りが風化の速度を遅らせていた。それでもマリックの住む城に比べれば小さく、町中にあるモスクのほうがイメージに近い。豪奢というよりは荘厳なところも、人の気配がなく薄暗い雰囲気も。
老婆は静かにかしずくと、それ以上は立ち入れないと言うようにピクリとも動かなくなる。城に向かって体を丸め、マリックと従者たちを見送るように頭を地に伏せた。
気は進まないが、ここからは自分たちで行くしかない。従者がひとり前に出て先導し、マリックを中心に前後を守る形で隊列を組む。マリックたちはひとつの塊となって慎重に進んだ。床に空いた大穴も、崩れた天井も、塗装の剥がれた壁も。すべてがかつての反逆を色濃く残したまま時を止めている。
国にたどり着きさえすれば、少しくらい蒼鋼が残っているはずだと思っていた。すぐにでも手に入れられるだろうと。しかし、この現状を見るかぎり雲行きは怪しかった。
「……薄気味の悪いところだ」
一秒でも早く帰りたい。眉根をひそめ顔をしかめるマリックに賛同するように従者たちもうなずく。もともと生物が暮らすには厳しい環境だからか人どころかネズミや虫すらいない。生命の気配を微塵にも感じられないのだ。そのことがなによりも恐ろしい。
マリックの歩調は自然と速まった。
マリックたちがようやく安堵の息を漏らしたのは、大広間から続く階段をのぼり終えた時だった。
階段の先、おそらく王の間と思われる大きな扉がどんと構えている。
扉は他と違って埃も積もっていない。人が出入りしている証拠だ。人の手の形に添ってメッキのはがれているドアノブからようやく人の気配を感じられた。よく見れば、扉のあちこちに彫られた模様にもわずかにメッキが残っている。昔はあらゆる場所に金の装飾が使われていたのだろう。かすかな栄光の名残をマリックは眩しく思う。
マリックに代わり、従者が扉をノックした。サラハでは目上の者に入室の許可を求める独特なリズムを伴った正式なノックだ。この国でも通じるのかはわからなかったが、しばらくすると扉の内側からかすかながら物音がした。
ギィと錆びついた蝶番が鳴り、扉が開かれる。
果たして、内から顔を出したのは凛とした顔立ちが特徴の青年であった。
「ようこそおいでくださいました。お出迎えもままならず、申し訳ありません」
「い、いえ、こちらこそ急に出向いてしまいまして……」
まさか青年が出てくるとは思わず、従者もたじろぐ。マリックは従者を押しのけ、ずいと一歩踏み出した。
「俺はサラハ王国の第一王子、マリック・ル・サーラだ。お前、名はなんという」
「僕はこの国を任されております、シュヤです」
「シュヤ……」
マリックが目を見開くと、シュヤは苦笑した。
「この国を破滅に導いた悪魔であり、多くの民を救った英雄でもあります。今は生贄の名です」
「生贄って……」
「王族はとっくに逃げおおせましたが、この国を出ていく力を持たぬ者もいます。そうした者の最後と、滅びゆく地を見定める役目を与えられたのです。僕が死ねば、他の子供がシュヤの名を継ぐでしょう」
「つまり、お前は王族ではないのか?」
「違います。ただ、最も健康的だというだけで代表に祀り上げられているだけの人間ですよ。どこにも行く場所がない者たちの精神的支えとして存在するだけです。マリック・ル・サーラ王子と言いましたね、あなたは何用でこのような場所に」
シュヤはすべての運命を受け入れた顔でソファに腰かけた。座るように促され、マリックも毛羽だったベルベットのソファに着席する。普段座っているものとは段違いに硬い。綿が薄くなっているらしく、木材の感触が直に伝わってきた。
マリックは不満を隠さぬまま、簡潔に目的を切り出した。外交など関係ない。この国はもはや滅びているも同然なのだ。
「蒼鋼が欲しい」
マリックの申し出に、今度はシュヤが不満を顔に出した。
「それはできません」
「なぜだ? 採掘を中止したことは聞いた。だが、洞窟はまだあるだろう? そこに少しくらいは残っているはずだ。もしくは、お前のような人間が隠し持っているか。それを分けてくれるだけでいい。なに、ほんの少しだ。一握りでいい。なにも全部よこせと言っているわけじゃない」
マリックの横暴な発言を聞いたシュヤの顔に憐憫が浮かんだ。臆せず首を左右に振るシュヤは、これまでにこうしたやり取りを何度かしたことがあるようだった。
「そこまでご存じなのでしたら、なおのこと蒼鋼がどこにもないことも理解されているはずです。サーラ第一王子、どうかお引き取りを」
シュヤはソファから立ち上がり、マリックから背を向けた。窓の向こう、バルコニーからは町が一望できるらしい。おそらく、王が代々カナリアの名を呼んだ場所だろう。開けっ放しになった窓から風が吹き込み、シュヤとマリックの髪をさらう。
シュヤの横顔に、マリックは確信した。
「……お前、嘘をついているな?」
マリックとて王族の端くれだ。たとえわがまま放題に育っていたとしても、陰謀渦巻く王宮の中で長い時間を過ごしてきた。嘘を見抜くことなど容易い。特に男は嘘が下手だと相場が決まっている。
しかし、振り返ったシュヤはまるでそんなことなど気にしていないようにマリックをあざ笑った。
「はは、だとしたらなんだと言うのです? あなたは僕らを殺す度胸がおありですか? この国を滅ぼし、砂に還すだけのご覚悟が」
シュヤの目は真剣そのものだった。すべてに絶望した暗い闇がどこまでも続いており、そのくせマリックにだけ希望を向けている。
――ああ、そうか。この国の人間は……。
マリックは目を逸らしたくなる気持ちをぐっと堪えてシュヤと目を合わせる。
砂に閉ざされ、蒼鋼に囚われたこの国の人間はみな、今なお自由を求めていた。




