サムシング・フォー #1-3
マリックは、ミアの語りが止まったことで自らが泣いていることに気づいた。プライドの高いマリックにとって人前で泣くなど言語道断。じっとマリックを覗きこむミアの視線から顔を背け、必死に袖口で目元を拭う。気品あふれる王子の仕草からかけ離れた乱雑な動作であったが、ミアに涙を見せるよりはよかった。かっこ悪いと思われたくない。こんなことでとマリックはふてくされたくなる気持ちを抑え「ふん」と鼻を鳴らしてごまかした。
マリックの予想に反して、ミアは初めてマリックに自然な笑みを見せた。かすかだが、そこには愛情にも似た柔らかさがある。
「マリック王子も涙するのですね」
からかうというよりも、そのことを慈しむような、噛みしめるような響きだった。
「べっ、別に泣いてなどいない! これはただ目にゴミが入っただけだ! この国は砂が多いのでな! 風が吹くと目が痛くて困る!」
マリックは羞恥を隠そうと大きな声で早口にまくしたてる。ミアはそれを聞いてやはりささやかに口角を上げただけで、
「あら、そうでしたか。それは失礼いたしました」
とそれ以上の言及はやめた。
マリックもこれ幸いと話の続きをせがむ。子供のような行為だが、泣き顔を見られて動揺しているマリックは当然気がつかなかった。
「で? その後はどうなったのだ? そのシュヤとかいう男はどうなった?」
「そうですね。その後はこう続きます。蒼鋼になってしまったマリを洞窟の最奥へと飾り立てたシュヤは、少女だった石を集めて洞窟を去ります。マリの死を無駄にしないために、シュヤはそうするしかなかったのです」
シュヤがそこでマリを抱えて帰ったり、蒼鋼を採掘することを辞めて逃げ出したりしては、マリが蒼鋼となった意味がなくなる。それはすなわち、マリという存在を否定し、穢してしまうことであった。
蒼鋼を集め終えたシュヤは、国を出る前に指示されていた通り、洞窟の前に蒼鋼を置いてどこか遠くの国へ行ってしまおうかと考えた。マリの死を目の当たりにして悲しみにくれていたし、生贄を生み続ける国に嫌悪感と憎しみを覚えていた。今までのカナリアと同じように。
「なんだそれは! 腑抜けたやつめ! 男なら女の名誉のために戦うべきだ!」
マリックが突然激昂したことをミアはどう思ったのだろう。彼女は少しの驚きと興味を彼に向けた。マリックはそんなミアの変化にまたもやってしまったと口をつぐむ。ミアはマリックの真意を察してか小さくうなずいただけだったが。
「ええ、おっしゃる通りです、マリック王子。葛藤し続けたシュヤは、その足を母国へと向けました。集めた蒼鋼を持って、三日三晩をかけ再び国へ戻ったのです」
「おお! それでどうなった?」
「国の一切合切の罪を暴き、国民たちに気が狂ったと罵られました。それまで誰も注目していなかったシュヤだけが戻り、マリが帰らぬ人となったことに怒りを覚えた人もいました。シュヤは反逆罪で国に捕らえられ、死刑を課せられたそうです」
「は……?」
結末に愕然したマリックの口からは呆けた声が出た。だが、続けられたミアの言葉にいよいよ押し黙るしかなくなった。
「マリック王子ならどう思いますか? 例えば、この国はみすぼらしく、最低だと罵る男が突然目の前に現れたら。あなたは人殺しをしていると糾弾されたら」
「……っ、それ、は……」
それと同じことだとミアは言外に伝え、「しかし」と物語のクライマックスを語る。
「この話はここでは終わりません。シュヤが亡くなった後、次に選ばれたカナリアはシュヤの言ったことを覚えていました。そして、自分も同じ経験をしたのです。その後も、その後も、その後も……。やがて、人々は気づきます」
ミアはそこで一拍呼吸を置くと、少しだけ顔をしかめて続けた。
「カナリアは、国に従順な少女とその少女を愛する少年を選ぶ仕組みであり、その気持ちを利用した生贄の制度なのだと」
「生贄……」
「積み重なった鬱憤は隠されていた罪を白日のもとへ晒しました。蒼鋼採掘は中止せざるをえなくなります。残っていた数少ない国民は亡命し、国土のほとんどがもぬけの殻になったと聞きます。蒼鋼のなくなった今、国が滅びるのは時間の問題。シュヤの勇気が国を変えたのですよ」
「しかし、それは……」
本当に幸せなことなのだろうか。民が国を捨てるなどありえない。少なくとも、サラハでは許されない行為である。
一方で、マリックはミアの雄弁な語り口にすっかりシュヤへと感情移入しており、出会ったこともない青年の一途な愛に心打たれてもいた。最愛の女のために国を裏切り、自らの命を顧みない無謀な行動に敬意すら抱き始めている。
言いようのない思いが内側からフツフツと全身を支配し、それが今までに感じたことのないほどの葛藤をマリックに与えていた。
マリックは王子で、望めばすべてが手に入る。女のために身を焦がすような思いだって実は抱いたことがない。今でこそミアを手に入れたいと考えているが、実際に手に入れてしまったらそのうち飽きてしまうかも。少なくとも今時点で、ミアのためにマリックは現状を手放すことなどできそうもなかった。
マリックはだんだんと頭が痛くなってきたとこめかみを揉む。こんなことは初めてだ。
しかし、もともと忍耐のないマリックである。次第に考えること自体が面倒になり、ついに「もういい」と嘆息した。
本題はそこではなかったはずだ。マリックは、ミアに欲しいものがあればなんでも言ってみろと命令したのだ。だから、これは彼女が欲しいものに関係しているはず。
「して、お前は金鳥の涙とやらを望むと言ったな。こんな話をしているのだ。滅びかけているその国でもそれは手に入るものなのか?」
「ええ、王子さま。金鳥の涙とは、まさに蒼鋼にございます」
ミアは今度こそニコリともせずマリックを見据えた。青みを帯びた宝玉のようなまなこは蒼鋼のように美しい。視線がマリックを貫き、ゾッと背筋に悪寒が走った。
「いや、しかし……、お前の話では、もう蒼鋼採掘は中止されたと」
「ですから、どれほどの力をもってしても、通常は手に入れられる代物ではございません。ましてや一介の商人ではなおさら。しかし、そうしたものを手に入れることこそが商人の夢にございます」
ミアは本気らしかった。
これを聞いて困ったのはマリックである。蒼鋼はもう存在しない。それどころか、蒼鋼を持っているかもしれない国はすでに滅び始めている。国にたどり着くだけでも大変なのに、そのうえもはやひとつとない蒼鋼を手に入れてこいとは。
「マリック王子は、なんでも、手に入れられるのでしょう?」
ミアは愛らしい猫撫で声でマリックに問う。どこか挑戦的で蠱惑的な笑みが浮かんでいる。
「私、一度でいいから見てみたいのです。それこそ、あなたさまの愛が本物だと証明するに相応しい物だと思いませんか?」
「……っ!」
完全に煽られている。たちまちマリックの顔に熱が集まっていく。表層の怒りと、その奥にある対抗心、さらに深くに隠れている情けない自分への羞恥が燃えた。
「……わかった」
マリックは自らを鼓舞するように膝の上へ置いていた拳を力強く握りしめる。
「たしかに、簡単に手に入る物ではつまらんからな。俺がそれを採ってきてやる!」
高らかに宣言すれば、それがとても正しいことのように思えた。愛を示す手立てとして最適だと。マリックは勢いそのままに立ち上がり、自室を飛び出して衛兵に告げる。
「今から蒼鋼を採りに行く! お前たち、すぐに必要な準備を整えよ!」




